2022/12/06
芦野温泉(あしの)への昼食は、黒磯駅前の「生そば冨陽」
香り高い「那須野ヶ原 里山の晩秋蕎麦」を毎朝手打ちしてうるという蕎麦は、香りも良く、コシがあり、素晴らしいが、つゆが辛め(濃くはない)暖かい三色蕎麦は、山菜、カレー、海老天
名物の「そばがきコロッケ」は、おもて那須クーポンで200円引き
もりそばだけではないのも、冨陽さんの魅力です
お隣の「明治屋」は、まんじゅう屋
温泉まんぢゅうは、那須野が原高原産の小豆を使い、適度な甘さでお値段以上のおいしさ
どらやきも食べてみたーい
黒磯駅前の散策コースも、楽しそうだ
お蕎麦屋さんから徒歩2分の「黒磯神社」一の鳥居
二の鳥居神馬像
主祭神は天照皇大御神、大己貴神、宇迦御魂神の三柱
面足尊(おもたる)と惶根尊(かしこね)の御神像
わらじが祀られた足尾神社
戦没者を祀る祖霊舎
神門
東に移動し、那須三十三観音霊場第6番礼所「會三寺(えさんじ)」
今日のお宿、芦野温泉の、日帰り温泉用の立派な入口
広大な敷地に、ホテルもあります脱衣所手前の、素敵なスペース
温泉の湯けむりが、吹き込んでいます
休憩所は広々としており、温泉陣屋で食事もとれます
この温泉の名物は「薬草の湯」
喫煙所
温泉内は写真が撮れません
異なる2つの檜の浴槽で、異なるお湯が楽しめる
先客がお帰りになったので、パシャリ
一回りしたところで、松籟館での夕食、和食コース
分厚い那須野ヶ原牛のしゃぶしゃぶ
分厚い那須野ヶ原牛のしゃぶしゃぶと、馬頭温泉そばの白相(しらそう)酒造の「御用邸 大吟醸」
甘みもコクもあり、冷酒が美味い
イワシのつみれ鍋
中庭に面して、足湯が湯気をあげます
浴室脇の温泉神社
一泊二日で3度の入浴
「ツルの湯」「メラの湯」のほかに、薬草の湯として刺激性の強い「那岐の湯」とマイルドな「那美の湯」があり、是非お試しあれ
さらに「薬草霧吹きサウナ」と「露天風呂」もあるので、温泉好きにはたまらない
日帰り温泉浴場とは別に「内の湯」があり、こちらはメラニン制御効果の認められる、2号泉が楽しめる先客がお帰りになったので、パシャリ
一回りしたところで、松籟館での夕食、和食コース
分厚い那須野ヶ原牛のしゃぶしゃぶ
分厚い那須野ヶ原牛のしゃぶしゃぶと、馬頭温泉そばの白相(しらそう)酒造の「御用邸 大吟醸」
甘みもコクもあり、冷酒が美味い
2022/12/07
朝食は清涼館で和定食に、梅ヒジキ粥を選択イワシのつみれ鍋
中庭に面して、足湯が湯気をあげます
浴室脇の温泉神社
一泊二日で3度の入浴
お湯は最高なので、日帰りでも陣屋の大広間で昼食をはさみ、2度風呂もありかも
遊行とは、時宗19代尊酷(そんこく)上人のことで、柳の精の老翁を念仏で成仏させたという場所
かみのみやのイチョウは、那須町の天然記念物
躍動感のある、立派な銀杏の木です
通称かみのみやと呼ばれる鏡山温泉神社
神社の裏は鏡山の断崖です
帰路の遊行柳
農産物のお店は、とにかく安い
駐車場から遊行柳と上の宮を望む
陸奥国側の境の明神
主祭神は、譽田別命(ほむたわけ)、応神天皇
境内社の雷神社
天照皇大神宮
二の鳥居から拝殿への参道
一の鳥居はのはるか先に、二の鳥居が見える
旧奥州街道沿いに堂々たる姿で建つ瀧澤家長屋門
西側の塀沿いに建つ蔵座敷は、洋風望楼(ぼうろう)が特徴で、氏家地区の象徴的な建物
車を停めるなら、瀧澤家住宅前の無料駐車場が良さそう
昨日は雨模様でしたが、今日は陽が差し込みます
前回スルーした、「遊行柳(ゆぎょうやなぎ)」へ
野菜の産直所に車を停め、長閑な田園風景を進みます遊行とは、時宗19代尊酷(そんこく)上人のことで、柳の精の老翁を念仏で成仏させたという場所
遊行柳から、上の宮と呼ばれる鏡山湯泉神社へ
銀杏の大木がそびえていますかみのみやのイチョウは、那須町の天然記念物
躍動感のある、立派な銀杏の木です
通称かみのみやと呼ばれる鏡山温泉神社
神社の裏は鏡山の断崖です
帰路の遊行柳
農産物のお店は、とにかく安い
駐車場から遊行柳と上の宮を望む
国道294号線を、福島との県境までゆくと、「境の明神」があります
下野国側に車を停めて、奥州街道をあるいて陸奥国境を越えます陸奥国側の境の明神
社殿は、会津領主蒲生氏により造営され、白河藩主本多能登守により改修されたという記録があるが、火災による焼失のため、弘化元年(1844)に再建されたものだそう
和算の問題、かなり難しい!
玉津島明神(女神・衣通姫)を祀ります
国境の印
奥州側から見れば住吉明神(男神・中筒男命)、関東側から見れば衣通姫命(そとおりひめ)が祀られていることになる
待てよ、どちらも相手側が男神という前提で、自分側に女神を祀っているのだから、どちらも衣通姫命を祀っているに違いない
和算の問題、かなり難しい!
玉津島明神(女神・衣通姫)を祀ります
国境の印
下野側の境の明神は、正式には玉津島神社(たまつしま)といい、少し地味です
女神は内(国を守る)・男神は外(外敵を防ぐ)という信仰に基づき祀られているため、陸奥・下野とも自らの側に「玉津島明神」を祀り、反対側に「住吉明神」を祀るとしているそうだ、ややっこしいな奥州側から見れば住吉明神(男神・中筒男命)、関東側から見れば衣通姫命(そとおりひめ)が祀られていることになる
待てよ、どちらも相手側が男神という前提で、自分側に女神を祀っているのだから、どちらも衣通姫命を祀っているに違いない
この際、この大日如来は何を意図するのだろう
抜苦山(ばっくさん)補陀洛院(ふだらくいん)與楽寺
聖観音を祀る観音堂
不動明王
神殿の額を収めています
これです
高原山
塩原山系
那須山系が一望できる
と、ここまで来て、これは前回訪問した場所だと気づく
伊王野城は、別名霞ヶ城だったのだ
奥州街道を戻り、「與楽寺(よらく)」は、那須三十三観音第十番札所
地蔵菩薩が石段の前に抜苦山(ばっくさん)補陀洛院(ふだらくいん)與楽寺
聖観音を祀る観音堂
不動明王
與楽寺の隣にある「鹿島神社」
與楽寺の墓地のすぐ隣です神殿の額を収めています
これです
さらに南下し、芦野を過ぎ伊王野に差し掛かると「霞ヶ城跡」の表示
昼食前にひと歩きと、山城を登り始める高原山
塩原山系
那須山系が一望できる
と、ここまで来て、これは前回訪問した場所だと気づく
伊王野城は、別名霞ヶ城だったのだ
標識用語の共通化を望む
伊王野の道の駅の「水車館」で、旅行支援クーポンでの昼蕎麦
蕎麦の腰や味は良いのだが、つゆが濃すぎる
天ぷらもカラッと揚がっていないのは、油がくたびれたのか、温度が低いのか
天ぷらもカラッと揚がっていないのは、油がくたびれたのか、温度が低いのか
国道4号線に戻り、那須33観音第14札所「慶乗院(けいじょういん)」
室町時代の1394年(応永元年)に創建された高野山真言宗に属する寺院です。本尊は不動明王です。この本尊の脇に安置されている石仏に刻まれた文字から、1813年(文化10年)か、これ以前に寺が焼失したことが分かっています。本堂はその後1853年(嘉永6年)に再建され、今の本堂は1965年(昭和40年)に改築されたものです
聖観音を祀る観音堂
お顔が見れました
那須塩原山系が望める、小さなお寺です
駐車場の上では鳶が二羽、獲物を探していました
軍人さんを夫婦ともども神格化してしまうことに、理解を示せません
とはいえ、境内の杜を散歩させていただきます
日本遺産STORY #058 明治貴族が描いた未来の乃木希典那須野旧宅
夫人の名を取った静沼
ボケ封じ観音「聖観世音菩薩」
雲照寺の大松
こちらが准胝(準提)観音
杜の中に石仏がたくさんあります
鳥居くぐりができる神社
境内社和光稲荷大明神
芦野温泉に絡めて、蕎麦、観音様巡りなど、栃木県の北東部をほぼ網羅した小旅行となりました
室町時代の1394年(応永元年)に創建された高野山真言宗に属する寺院です。本尊は不動明王です。この本尊の脇に安置されている石仏に刻まれた文字から、1813年(文化10年)か、これ以前に寺が焼失したことが分かっています。本堂はその後1853年(嘉永6年)に再建され、今の本堂は1965年(昭和40年)に改築されたものです
聖観音を祀る観音堂
お顔が見れました
那須塩原山系が望める、小さなお寺です
駐車場の上では鳶が二羽、獲物を探していました
慶乗院の南にある「那須乃木神社」
真っすぐに伸びる参道は、桜並木になっています軍人さんを夫婦ともども神格化してしまうことに、理解を示せません
とはいえ、境内の杜を散歩させていただきます
日本遺産STORY #058 明治貴族が描いた未来の乃木希典那須野旧宅
夫人の名を取った静沼
JR西那須野駅からほど近い線路沿いの、那須三十三観音第15番札所「宗源寺」は、ボケ封じ観音でもある
ボケ封じ観音「聖観世音菩薩」
那須三十三観音第16番札所「雲照寺」は、境内のヤマユリで「東国花の寺百ヶ寺栃木第7番」にも指定されています
山門越しに見える参道は、見事です雲照寺の大松
こちらが准胝(準提)観音
杜の中に石仏がたくさんあります
鳥居くぐりができる神社
境内社和光稲荷大明神
芦野温泉に絡めて、蕎麦、観音様巡りなど、栃木県の北東部をほぼ網羅した小旅行となりました
12/02/2022
2022/12月の散歩(氏家)
2022/12/02
WCサッカー、日本vsスペイン戦で、ブラボーな早起きをした
お昼は高根沢町のそば処「福福福」
もりそばとかき揚げ
新蕎麦は腰もあり美味しいのですが、つゆが濃すぎて、蕎麦湯で2倍に薄めていただきました
先ずは「光明寺(こうみょうじ)」に駐車しました
氏家氏に代わり、鬼怒川沿いの勝山城を治めた氏家芳賀氏の菩提寺
奥州道中分間延絵図(おうしゅうぶんげんのぶえず)にも描かれている、身の丈3mの青銅造不動明王坐像(せいどうぞうふどうみょうおうざぞう)は、県指定文化財
氏家氏に代わり、鬼怒川沿いの勝山城を治めた氏家芳賀氏の菩提寺
奥州道中分間延絵図(おうしゅうぶんげんのぶえず)にも描かれている、身の丈3mの青銅造不動明王坐像(せいどうぞうふどうみょうおうざぞう)は、県指定文化財
宝暦9(1759)年、宇都宮藩の御用鋳物師(ごよういもじ)で名工、戸室卯兵衛(とむろうへい)が鋳造した傑作です。奥州街道を1800分の1で描いた絵巻物『奥州道中分間延絵図』にも、丈六仏と言われる大きな仏像が描かれたそうです
青銅座像不動明王は、別名「感満不動尊(かんまんふどうそん)」と呼ばれ、北関東三十六不動尊霊場第22番札所だ
この大きな不動明王を作る鋳造型が、勝山城脇のさくら市ミュージアムに展示してあった
不動堂
光明寺を後に、市街地を散歩
二季咲き桜が見事です
櫻野八幡宮
青銅座像不動明王は、別名「感満不動尊(かんまんふどうそん)」と呼ばれ、北関東三十六不動尊霊場第22番札所だ
この大きな不動明王を作る鋳造型が、勝山城脇のさくら市ミュージアムに展示してあった
応永34年(1427年)勝山城主芳賀氏の菩提所として、美女木の地に「荒木山普門院光明寺」として創立された
戦乱の中で何度も焼き討ちに遭っている。当時激戦地に寺があり、敵将が馬を捨て、光明寺の境内で自害したことから、山号を「馬捨山(ばしゃざん)」と改めた時期もあった。
慶長2年(1597年)現在地に移転して、山号を「冷水山」と改めた。
その後も度々火災に遭遇し、現在の本堂は昭和50年に再建され、山号も現在の「霊水山」に改められた
不動堂
光明寺を後に、市街地を散歩
二季咲き桜が見事です
櫻野八幡宮
本殿は間口6尺(180センチメートル)奥行10尺(300センチメートル)総欅白木造りで、鳳凰や当時は珍しい大象そして鯉が滝を登り、竜となる登竜門を三方に彫り廻らした彫刻などで飾られています。
江戸後期の寺社建築として優れている他に、文政元年(1818)に宇都宮の高田仲衛門等宮大工によって着手されたことや、儀式、祝宴、群衆などを描いた絵馬「本殿上棟式図」に見る文政五(1822)年の上棟式、文政九(1826)年に行われた遷宮式典の様子など、年代、作者、諸記録が明確なことも重要です。
本殿の他に多くの奉納絵馬がありますが、そのうち上記絵馬の他に、「大相撲図」、小宅文藻筆「鶏図」、菊池愛山筆「暖燗紅葉図」の4図が町指定文化財になっています。
主祭神は、譽田別命(ほむたわけ)、応神天皇
境内社の雷神社
天照皇大神宮
二の鳥居から拝殿への参道
一の鳥居はのはるか先に、二の鳥居が見える
旧奥州街道沿いに堂々たる姿で建つ瀧澤家長屋門
西側の塀沿いに建つ蔵座敷は、洋風望楼(ぼうろう)が特徴で、氏家地区の象徴的な建物
車を停めるなら、瀧澤家住宅前の無料駐車場が良さそう
小雨も降り出したので、今日はここまで
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