12/31/2013

両親の介護

両親の介護履歴一覧



月日元明恂子
2012介護1級
3d/wリハビリ
Parkinsonは難病64疾病のため、薬代4万/Y市から補助
左足が前に出にくくてよく転ぶ。けいれん有。
歩行器を使用
頭部MRTは正常
心不全、全身のむくみ、貧血、不整脈
9/04
10/17検診の結果、心房の動きが悪く、不整脈も出てるのでそれを薬で治療するため、入院を勧められ明日入院します
10/18今朝、無事入院しました。病室は前回の同じで531?です。
心房の働きが悪く、不整脈があるのでそれを点滴による薬で治療します。
結果が良ければ2週間程度の入院になるそうです。
母は元気で、ご飯も食べています。父のことが心配なようですが、少し病院で休憩するつもりでいます。
10/20
12/08江戸婆は心臓肥大から心不全に症状が進んでおり、突然症状が悪化する事態も起こりうる状態です。そんな状況の中、「家にいてやりたいことをやる」と言う姿勢で、入院を拒否しつつけていますが、拒否の理由に江戸爺の介護問題がありました。
婆が緊急入院となったときに爺をどうやって介護してゆくのか。答えはDay Care~Short Stayという選択肢にしぼられました。
神奈川でCare Managerをしている後藤洋子さんとも相談し、順子が新しいCare Managerの畑山さんとも面会し、爺のDay Care選びが始まりました。近所の3箇所のDay Careの中から、爺の意思でひとつを選択し、本日デイサービスの契約をしました。
洋子さんも来てくれて、契約は順調に進みました。
今後婆は水曜日(隔週?)慈恵病院へ、爺は毎週水曜日「椿寿の里」という運河と梅郷の間にある特養ホームにて、日中を他の要介護老人と過ごし、帰宅後にHelperさんによる食事の準備となるようです。
現在爺は要介護1であるため、短期でも宿泊を伴うホームでの滞在には(Waitingが多いため)入れないであろうとのことで、介護レベルの再審査を受けられるように、洋子さんから畑山さんにPushしていただきました。要介護2になれば、入居の優先度があがるそうです。
ここで確認事項があります。
自宅で最後まで生活したいと言う婆の意思を尊重すると、医師の入院勧告を拒否するだけの、意思表示が必要なようです。
最後まで自分のやりたいように生きる。管をつながれ、病院のBedに縛り付けられるのが、本人の意思に反する。と言うことを、家族が同意しており、病院や医師にはその決定の責任がないことを示す必要があるようです。
宏明は、このことに同意を示しますが、宏司、真司はどうですか?
宏司の意思は、以前からの阿玉さんや慈恵とのやり取りから、賛同しているように感じていますが、再度の確認です。
また、元明さんの意思がどうなのか、それはこちらで確認してゆきます。
今後も入院せずに最期までという事になると、定期的に往診を受けるとか、最期の時を診てもらうといった話にもなるので、それなりの体制を整えておかなくてはなりません。

医療は患者の主体性を尊重したものでなければなりません。
このことを医者や病院側に納得してもらうのに苦労しますが・・・。宏司

最初に返答を書きますと
婆の意思に同意します。
延命は僕が江戸川台に到着するまで、ってことで??!Shinji

真司の到着までもたせてくれ、の気持ちはわかりました。
家でばったりの場合は、了承ください。
そもそもいつ何どきばったり行くかもしれない状態で、入院させるべきと考えますか?本人の希望に同意しますか?という選択なので、前者を希望しない限り、到着まで持たないことは覚悟願います。

>原則、絶対安静で、
これが延命治療になるんじゃないかと思うのです。
いいじゃないですか、本人が歩きたいなら歩かせてあげれば。
まぁ現場にいるとそうも言ってられないんだろうけど。Shinji
12/22

2013


慈恵医大柏病院へ 心不全と腎不全、それに血液の問題があり入院


1/10爺の方は本日より7日間、椿寿の里(chinjyu no sato)にShort Stayしてもらいました。夜電話をしたら、さっそくやる事がないとぼやいていました。PCもないしね。母の所に寄って帰ってきましたが、あんまり元気はありませんね。よく寝られるそうで寝てばかりいるようです。(宏司)

婆の入院は無期限です。心不全と腎不全、それに血液の問題があり、退院できるまで体力が戻るかどうかは、薬が効くかどうかだそうです。食事をとっていなかったことに加え、水分も取っていなかったので、排尿もできていません。人工透析も治療の候補に挙がっていました。
1/10そうなると、爺を無期限で介護してもらう必要がありますが、椿寿の里をはじめどの特老施設も、入居には数百人待ちの状態で、要介護1ではほぼ入居不可能です。介護レベルの審査は1/18に予定していますが、2になったとしても大差ないようです。
特老に入居する事で、介護Pointを使い果たすため、現在行っているリハビリは受けることができなくなります。全額負担しても、送迎の方法がありません。
発想を変えてリハビリを優先し、全額負担で介護付きアパートに入る案を、Care Mgrの畑山さんがもってきました。
ココファン柏たなかというアパートです。月に15~20万円で24時間介護付き、食事つきのアパートです。アパートなので、基本自由です。特老は、ビルから勝手に出られない仕組みになっています。これも検討始めました。
ところが、爺のリハビリ熱は急速に冷め、しばらく休みたいとも言っています。今回のShort Stayにより、外の空気を吸いたくなるかどうかが決め手でしょうか。
特老に閉じ込めておけば、確実にぼけ老人となる気がします。
江戸川台はもぬけになっていますので、土曜日に電気ガスその他が危険になっていないか、確認してきます。
新聞、生協は止めました。Internetもいらないかな。
婆が退院しない限り、爺も家に帰れない状態が続きます。
1/12特養ホーム3件の申し込みと、介護付きアパートの申し込み。
栃木の特養へも、申し込む予定。江戸川台に近い必要はないとの判断。
特養は順番待ちですが、要介護1か2では厳しい。
アパートは、収入の審査がありますが、年金収入が月に25万あるので、まあだいじょうぶ
1/13今朝は冷え込んで、ゆうきの前の畑は前面霜で真っ白でした。
江台の家の中も、さぞ冷え込んだことでしょう。そこはいかがですか?暖房があって、快適ではありませんか?
われわれも、意地悪で閉じ込めているのではありません。楽してもらおうと思ってのことです。
介護点数の内訳、詳細はわれわれも聞けていませんが、月末締めで計算されるようです。
1月のお父さんの点数は、ショートステイをしたことで、全て使い果たしました。
それ以降は有料サービスを受けるしかありません。
江台で炊事、掃除、洗濯をお願いするのは、有料の家政婦さんを雇うことになります。
椿寿の里に居続けるのにも、一日13,000円が今後必要となります。
江台に戻った後のヘルパーさんまたは家政婦さんのアレンジが完了しない限り、椿寿の里から江台に移ることを認めるわけにはいかないのです。
月曜日にココファンというアパートを見せます。
介護点数を使う必要のない24時間介護付き住宅です。
点数は今までどおり、洗濯やリハビリに使えるのです。3食つけて月に15万円ほどです。
要約すると、ショートステイを継続する場合、一月に25万円ほどかかり、リハビリも無い生活になります。
ココファンに入ると、一月15万円で生活ができ、今までどおりリハビリと洗濯介護を受けられます。
長期的には、特別養護老人ホームが安いのですが、どこも何百人の待ちになっています。
とにかく1月はお金で解決するしかありません。そのため、52万円をお預かりしました。
ここまで読み終えたら、確認のため電話をください。

今はゆうきが丘のトータスホーム(亀の家)という特養に来て、話を聞いています。
先程美由紀が母の病院に行ってきました。
退院をできそうなことも言いますが、会話が成立しないところもあります(難聴・ぼけ?)
とりあえず、元気そうなのでご安心ください。
1/14とんでもない大雪の中、ココファン下見
ショートステイがとにかく辛かったようで、自由度のあるココファンに入ると、言ってくれました。気に入ったんじゃないかと、思われる。
20日から、入居の方向で進めてます。
5時に梅里の椿寿の里に送り届け、2時間かかって常総市まで来ました。今日中に、水戸の家に着くかな?

ぉおゆきの中今日問題かいけつの為がんばってくれてありがとう。これでしばらく住まいの心配しないでよいでしょう。あとはどう生きるかが問われるこでしょう。今日はどうもありがとう。ではまた(元明)
体の右半分に水が溜まり、利尿剤も利かないため呼び出しを受ける。
延命治療を希望しないことから、水が抜けない事による心臓への負担が増え続け、このまま心停止を迎える事への再確認かと思います。
痛みへの対処だけ、お願いしてきます。
今週末に洋子さんが見舞に行くと言ってくれていますが、状況を伝えておきます。
1/1520日、お父さんがココファンに入る準備を進めてます。
笠井さま
契約書を確認の上、なるべく早く振込の手続きを取るように致します。
ざっと見せていただきましたが、取り急ぎ1件ご確認をお願いします。
本人が浴室等に近いお部屋の218号室にしたいと申しておりまして、秋葉さんにお伝えしていましたが、218号室はまだ空いていますか?

218号室に関しましてですが空室でございますので218号室でご契約させていただきます。
やはり会話が成り立たないことも多くなってきました。
食事ができないこと・点滴と尿管の管が外れないためにベッドから出られないことがストレスの原因になっています。
でも禁止されていないからと言って今日はヨーグルトを少し食べ喜んでいました。
17日に医者に呼び出されたことは伝えてあります。宏司
1/15畑山さんに電話しました。
こちらの状況説明をしケアマネは替えた方がいいか聞いたところ、替えないで欲しいと言われました。病院に連れて行くとか、認定の立会いとかは、特別にやっているのと、母親との関連もあるのでと言う理由。たぶん利用者を離したくないという営業的な部分があるのでしょう。病院やリハビリの送迎は紅葉台でできるそうです。
現時点でケアマネを強行に替えるのは得策とは思われず、ココファンのケアマネ秋葉さんに電話して、介護ベッドの手配等話して下さいとお願いしました。
午後にでも、私の方からもココファンに電話を入れるつもりですが、それでいいですね?
1/16
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僕も痛み対策を希望します。って痛いのかな???
そうか、利尿剤も効かないか。。。。
・・・もし可能なら聞いてもらえる?
延命治療なしなのでタイムスケジュールも見えやすいのかな。
誕生日迎えられるかな?
ドラマの世界なのかもしれないけど自宅で最後を迎えるための「終末医療のDr.」って実在するの?Shinji
1/17新居用にタンス、カーテン、TVをWebで注文。
ベッド、歩行機は保険でCare Mgrさんが準備しています。
あとは千葉の家から見繕って、20日に運びます。
冷蔵庫は、Babaの帰宅がほぼなくなったので、千葉から持って来たいけど、Golfには入らない。
そもそもあの大きさは必要ないけど、小さいのを買っても流用予定ないし。うちは大きいの2台2箇所に持ってるし。
JijiとしてはPCを持ち込みたいのだが、今のInternet契約を江戸川台から移すことを考えています。さもなくば、うちと同様E-mobileに代えちゃうか。
心不全の末期状態にあり、心臓から肺(特に右)にかけて広範囲で水が溜まっている。現在、最大量の投薬(強心剤、利尿剤)を投与しているが、あまり改善が見られない。いつ何時、不整脈が起こり心停止となる危険な状態ではあるけれど、今のまましばらく落ち着く場合もあるそうです。
本人の要望は、一刻も早くあの病室のベッドから出たい。(現在6人部屋の真ん中) 家に帰りたい。食べたい。歩きたい。
現実的には、食欲なし。管に繋がれていて歩行は困難であり、本人も体力的に自信がない。 転院の話も出ましたが、望んでも実際に転院できるまで1ケ月ほどかかるそう。
朝水戸から病院に行きましたが、家にiPadとココファンの書類一式を置いてきてしまい、病院と江戸川台での諸々をすませ、水戸に戻りました。で、休む間もなく今上三川に向かってます。宏明氏の明日のお仕事は宇都宮。
1/18介護レベルの審査

【ご注文情報】ご注文いただいた商品は、次の送付先へ発送いたしました。
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長旅、ゆっくりできているといいのですが・・・。早速ですみません。忘れない内に連絡事項を、列挙します。

① 菅谷さんが数日間の郵便物をポストに入れてくれているはずです。確認ください。
②20日は、私達は11時には椿寿の里にお父さんを迎えに行きます。その後江戸川台で入居の準備をして午後本契約の予定ですが、お父さんが荷造りをしている間に、宏明さんは布団他大物を運び込む予定。できれば、契約と少し搬入が出来たら、真ちゃんはお父さんを連れて病院に行けたらいいね。
③20日から真ちゃんが江戸川台にいたら、お父さんも自宅に帰りたいと思います。もちろんそれで良いのですが、そうなると火曜日(22日)から入っているリハビリのピックアップ変更をケアマネに知らせないといけません。お父さんの所在をどこにするか、早急にどうするか、決めなくちゃね。

お母さんは真ちゃんが来てくれて喜ぶと同時に、もうそんなに悪いのか、もうダメかって思っちゃうのではと気になってます。
出来れば、真ちゃんの仕事が日本で急に入って休暇をつけたとか、言えないかなー?

江戸川台のWiFiはSet済です。
電源Cableを入れれば動きます。
1/18先程お父さんから電話があって、宏司さんからお母さんの様子を聞いたと、とても明るく元気な声でした。
あと一日でショートステイも終わると、開放的な気分にもなっていた様子。椿寿の里の認知の人達の行動を笑いながら話してくれました。
ココファンが期待に足る所でありますように!
病院に寄ってきましたが、なんと今朝から食事が出るようになったそうです。
いっぱい種類があって、好きなものを少しだけ食べればいいと指示されているようです。
食事のせいか、今日は普段より元気でした。
あと2つの課題、動くこと・空を見ることが解消できればいいですね。
1/19いよいよいよです今日で最後です。今日もよろしくです。ありがとう(元明)
1/21
なんと窓側に移動Shinji
1/23腹部大動脈瘤を江陽台のリハビリの医師が発見し、すぐにCT等の検査で分かった。
昼食後、江陽台の医師の紹介状を持って、松戸の新東京病院に行く。すぐに手術の必要があるようで、入院は2週間位。

1/24手術・入院ですが、予定通り新東京病院で行う事にしました。
理由は、
1.慈恵大へ問い合わせた所、まず診察・その後の手術は1か月待ち。
2.他の病院も同様と思われ、不確定ではあるものの火曜日の手術は最短と思われる。
3.新東京病院は、心臓外科手術で高い実績がある(web情報)。
尚、手術は全開腹手術になる。江陽台の石郷岡医師によればステント手術の適用ではないそう。
今日午後、入院します。
その後検査等を行い、火曜日の手術に備えます。
1/26心臓カテーテル検査
腹部大動脈瘤が出来るぐらいだから、他の部分も動脈硬化が進んでいる事が考えられる。開腹前に必要な検査という位置づけ
結果は、大動脈瘤だけでなく多岐にわたり動脈硬化はすすんでおり狭心症も確認されました
1/27爺の退院日を16日にできれば、その日にCocoへ移動。術後患者がCocoに入れてもらえるかの確認要
したがい、連休から16日まで、洗濯無しでいられるよう、じじもばばも準備が必要
もし1週間洗濯がもたないなら、水曜に順子が出向いて対応する。現実的には火曜の夜に江台にドライブし、私は電車で水戸往復、水曜夜に水戸にドライブ。日中順子がTeddyと病院へ
以降、水曜と週末の週2回病院へ行き来する
これで対応できるので、真司はいつ帰国しても大丈夫
美由紀さんにも迷惑をかけずに済むつもり
基本は週末のみを考えている。
どうしてもの場合の水曜Optionだが、いただく経費として、ガス代1500円、高速代1500円、昼食代、コインランドリー、宏明交通費など8000円ほど毎週かかることになり、衣類を1週間分購入したほうが、明らかに安いので、衣類を買い込む(持ち込む)事を基本としてください。
1/2923:30に電話があり、椅子から立てなくなったので、ちょっと見て欲しいと言われました。周りは皆いう事を聞いてくれず、きちがい呼ばわりするそうです。
今どこにいるのと聞くと、工場だそうで、真司に車で連れて来てもらったそうです。
だんだん興奮して来たので、周りの人に迷惑だからというと、だから部屋を出てきたと。何だ歩いているじゃない、ああそうか?
工場を立て直すためにいろいろ話し合い、人も雇ったそうです。
そこは病院で、夜中だから静かにしていなきゃと言っても、なかなか認めてくれません。
真司に電話して来てもらうとも言ってましたが、夜中だから病院には行かれないよと言いましたが、電話来ましたか?
今日は24日で、明日手術だそうです。
体が心配なんだねえと言うと、おれのからだは心配してないと、ムキになっていました。
ストレスの限界のようです。

こちらは2:17AM(これは起きなかった)と朝6時半に電話が鳴りました
ただ「幻覚を見ている」という自覚はあるみたい。だったら電話しなくても。。とは外野の声か・・・
二晩続けてみているそうです。僕から病棟医師に相談するつもりですShinji

お母さんの入院・ショートステイ・新しい生活のココで、かなりストレスがかかっていた所で大動脈瘤の判明、大手術。1月9日から転々と居を替えたからホント心も落ち着かなかったでしょう。その上に手術待ちで今は食事制限。パーキンソンの薬も強く作用して、以前からあった幻覚幻聴も強く出ているのかも。そう言えば、お母さんが入院で家で一人で過ごした時も幻覚の発生が多かった。宏明さんは、手術の不安が一番大きいのではと言ってます。
1/30明日は8時半から長い1日になりそうです
明日は腹部大動脈瘤に対する人工血管置換術です
内科的治療法、カテーテル治療は適用できない様態です。し・か・し
強度の冠動脈狭窄が見られていることから明日の手術が成功しても退院させられない状態とのこと
医者の薦めるシナリオとしては、明日の手術後2週間ほど待って傷が落ち着いたら冠動脈バイパス術を行うというものです。
二つの大手術を続けて行うことになりますが単品で二回に分けるとそれぞれ1%の危険率。ですが、一度に二つの手術をすると危険率が上がることが報告されています。
明日の手術に戻ると、よく聞かされるたくさんの弊害のなか、出血による再開腹止血術、術中に心筋梗塞が起こる事が危惧されます
冠動脈狭窄については3本ある冠動脈全てに複数の狭窄部が見られどこが詰まっても不思議ではない。
ということで医師の間でどちらを優先させるかの議論があったそうですが、動脈瘤の手術中に心筋梗塞になっても対応策があるが逆はない。ということから今回の順番にしたそうです
先ほど治男さんから連絡があり、お昼ごろ病院に到着するとのこと。
細かいことは文章にしませんが麻酔から目覚めてくれることを願いましょう。
1/31手術たった今、慈恵の吉田医師から電話がありました。
お母さんの状態は改善が見られ、薬の値も減らしてきている。この状態から転院を薦めるとの事。薦めると言っても、これはほとんど強制的。
慈恵は救急病院であり、長期入院できないそう。すぐにソーシャルワーカーを通して、転院先を探し始めるので了解してくれと言われ、ノーが言える状況ではないと判断し、申しわけありませんが皆さんの声を聞かずに了承しました。
しかしながら、輸血の問題もあり転院先はすぐに見つかるとは思われないそう。お父さんの状態もお話した所、ソーシャルワーカーに事情を説明して進めていくようにと。
新東京病院に転院の可能性を問いましたが、やはり新東京も救急病院であるので難しいだろうとの返答。血液内科もある病院なので、一応ダメもとで確認の必要はあるように思いますが・・。
食欲が落ちている件に関しては、便が出にくくなっているなどの問題があると、そういった症状が出るそう。基本的には、お母さんは良い状態に向かっているようです。
2/06大腸壊死による人工肛門設置手術中。
壊死の原因は、大動脈瘤手術時の人工血管の分岐先で不具合があり、栄養が行かなかった事によるもので、排泄物が体内にまわってしまいその汚染により、人工血管も明日午後に再設置となる。
しんじは明日に備え帰宅し、私が今日の手術終了を待ちます。
2/07新東京から電話あり。「手術前の説明をするので、すぐに来てくれ。手術は午後一番にしたいと思っている。」との事
「冠動脈のバイパス手術はどうする?って話になった時は、どうする?」と相談されましたが、「即答の必要があれば、医師との話の中で真ちゃんが決めれば良いのでは」と答えました。たぶん、兄たちもそれで文句はないと思うと。
ただ私としては、これ以上お父さんに負荷をかけたくない。果たしてそこまでする必要があるのか疑問もあると私見を伝えました。
しないリスクとするリスクを比べると、しない方が良いと感じる。
2/0711時20分お父さんは再び手術室へ。
今回の手術は、30日に行った大動脈瘤の置換手術のバイパス(?)により、大腸の一部から漏れがあって汚染され、急遽付け替えの手術となったようです。このバイパスは腹部を通さず、全く新たなラインを確保するそう(背中~?)。手術は、今の時点でこの手術を施さなければ、確実に死に至るという差し迫った緊急手術です。
しかしながら、大腸の漏れによって腹部全体が汚染されている状態なので、今後の事は全く予断を許さない状態であるよう。
手術は4時間ほどと聞いていますが、痛みなく穏やかな夢を見ながらの手術になってくれる事を切に願います。
2/12残念まだ管が入ってました。38℃越えの発熱の為予備で入れたままとのこと。モニターではずっと自発呼吸してました。何度も痛そうな顔してました。はだつや良いけど疲れてます。八十二歳おめでとう
2/15慈恵の石井さんと話した。
一般病棟をあたっていて、水戸では<青柳病院>のOKをもらっている。
柏方面では、辻中病院と東松戸病院の連絡待ち。
ココファンとの話は、結局自分たちで話をする必要があるようで、週末ココファンと話をした方が良さそう。
ココファンとの話のあと、慈恵のドクターから、お母さんの現況を聞く必要あり。
それによって、直接ココファンの可能性も考える。
ココファンの笠井さんと話した。
17日(日)の11時に面談の予約を入れました。土曜日は×だった。
2/16新東京病院
美由紀さんからご連絡頂いたように、状態は芳しくなく、38度以上の熱が続き辛そうです。
昨日発熱箇所を特定する為のCTを撮りましたが、現時点では 特定出来ていません。カンジタとバクテリア(?)の菌が、出ているので抗菌薬と抗生物質が投与されています。感染症の専門医も診てくれているようです。薬が効いてくれれば、1週間程で落ち着くとのこと。
以上は、依田医師からの説明です。
今の状態はあまりに辛そうで、少しでも早く効いてくれるのを願うばかりです。
江戸川台に寄って来ました。真ちゃん、ずいぶん頑張って片付けてくれたのですね!
和室も冷凍庫もスッキリしちゃって、びっくりしました。
お母さんの洗濯物もOK。明日届けます。
2/17新東京病院から、電話あり。
お父さんは、右肺に肺炎が見られるそう。痰を除去するためもあり、人工呼吸器をマスクタイプからチューブに替えたという事です。
慈恵医大柏病院
お母さんは、食欲がないながらも昼食は完食。体力が極端に落ちている事にショックを受けていますが、顔色は良く少しずつリハビリする方向で動いてます。

今日のココファンとの打ち合わせでは、輸液が外れているのであれば、入居は可能のよう。お父さんの契約を書き換えという形で、進められそうです。今週末、慈恵の医師から現況を聞くつもり。順次、畑山さんや石井さん、ココファンと連絡を取っていきます。
2/18江戸川台の分の申告を終えようと思ってます。
なんと医療費は、爺ちゃま132264円、婆ちゃま389452円で合計521716円でした。
これに後期高齢者給付金を引いて、約50万円の医療控除申請の予定です。所得税、住民税から共に、約4万円ずつ控除になる計算。。。ホントかな?
悲しい哉,,,お父さんは区分変更によって、要介護3と認定されましたと通知が来ました。

高齢者の入院費用自腹分は、44400円までと決まっていて、ICUに入り手術を受けても、残りは全部国が負担してくれたと思います。なので、たぶん心配するような金額にはならないと思います。
区分変更は、介護度を改めて見直す作業です。今回のお父さんが要介護1から要介護3になったのは、ココファンに入る前に畑山さんにお願いして、区分変更をかけてもらいました。ココファンからの、デーサービスやリハビリを増やすためでした。また介護施設に入るためには、介護度が高くないと、なかなか入れません。特養の申し込みの為にも必要でした。
今後、、、、、全く見えてきませんが、ホント介護保険が使える位に回復してくれたらと、強く思います。
あ、いやいや、前回江戸川台から緑の領収書ファイルをお持ちになりましたか?
ICUは44400円とは別に加算されます。個室料金みたいなものです
新東京の請求書、領収書セットの請求書に書き込みしておきました
一度目の支払いなので内容を聞いたのです
Shinji

え?!そうなのー?!
それじゃ、恐怖の金額になりそうですね。
お母さんの慈恵の時は、ICUであまりの金額の少なさにびっくり。高齢者高額医療費なるものを、知ったのですが。。。
緑の領収書ファイル、次回行ったら見てみますね。
2/18お父さんの所には、美由紀さんがたびたび行ってくれているようです。
今日も行ってくれましたが、目を開ける事なく、相変わらず苦しそうだったと。
2/22新東京の徳永医師に会って、お話を伺いました。
昨日、美由紀さんが聞いた通り、お父さんは肺炎の他、血中にも菌がみとめられそれが全身に回ってしまっている状態で、40度の高熱となっている。そこで昨日は計画していた人工呼吸器交換のための気管切開は取り止めて、血しょう交換をし血液透析を始めたそう。(血しょう交換、血液透析と話されても違いがよくわかりませんが…)
今日は熱は38度ほど。フラフラしていた血圧も落ち着いてきたそうです。
血液透析と抗生剤が効いてくれれば、数日で熱が下がるはずとの事。安定したら、気管切開の人工呼吸器を装着。今の口から入れるタイプの人工呼吸器では、強い薬で眠らされているが、気管切開のタイプになれば、薬を少しずつ減らし、意識も戻るよう促して行くそう。
人工呼吸器が付いている内は、ICUかHCUになる。
危険な状態ではありますが、昨日より数段良いそうなので、薬が効いてくれる事を期待します。
慈恵にて吉田医師、石井social worker と話をしました。
本日、尿管も外れましたが、管による感染のため、微熱があるようです。
慈恵の次の受け入れ口として、東松戸病院の他2-3ありますが、リハビリがあり差額ベッド代なしということから、東松戸病院が候補になりました。ココファンも引き続き可能性を探ってます。
本人は病院は嫌だとも言っておりましたが、医師から本人に状態を説明してもらったうえで、日曜に本人の気持ちを確認したいと思います。
2/24尿路感染によるものと思われる発熱で具合が悪く、会話らしい会話が出来ませんでした。熱は38度近くあり、食欲も落ちうつらうつら寝ている状態で、体もよこたわったまま。
体を拭いてあげる事も、車椅子で動く事もできませんでした。あの様子を見ると、ココファン入居は難しいと思われます。
東松戸は、3-4週間待ちの状態。出来るだけ早く予約を入れる必要があるので、東松戸病院の次の行き先は、水戸の青柳病院にしょうと考えています(変更可能)。
尚、東松戸病院は、一般病院なので3ヶ月しか受け入れできず、その後の行き場所を決めておかないと、入れません。
2/27江戸川台の電話とインターネットを解約しようとおもいます。
電話は残そうと思っていましたが、電話だけ外す契約ができず、月々の支払いが7000円以上かかっているので。
お母さんの所へ連絡やお見舞いに来てくれた方々のお名前を、教えてください。
電話番号は、江戸川台にある電話帳で見つかるかしら?
ちなみに、テレビは2月28日で解約しました。
慈恵のソーシャルワーカーの石井さんから、電話がありました。
転院が決まりました。東松戸病院に3月11日(月)転院します。10時に医者の予約もあります。
今の容態はわかりせんが、この日の転院は否応なしのようです。宏明さんが休暇を取るそうなので、こちらで何とかできそうです。
3/01ココファンの解約についてはどのように考えていますか?
父と母の状態ですと、ココファンまでまだ時間がかかりそうなので・・。宏司

ココファンの荷物で、新品の整理ダンスも使わないかな?
それと21インチTV。
部屋を手放すと、急に満室になり、逃げ場がなくなることを心配していましたが、父親は元気になっても車椅子生活だとすると、ココファンは厳しいと思います。
母親の今の精神状態では、ひとりで生活する意欲は感じられず、次は老人病等も致し方ないかと思えてきました。
解約も視野に入れて、考えたいと思います。
同じ状態で、話している途中で寝てしまい、そのまま帰ってきました。宏司
3/02日中起きている状態で、私達が来ている事に反応してくれました。
感染症、肺炎ともに少し落ち着いて来ており、高熱が出る事はなくなったそう。引き続き抗生物質と抗菌薬の投与を続け、感染を完全にたたく作業をしているそうです。腎臓機能も少し回復し、尿も出ているので、血液透析は中止しました。
痰がつまらないよう、体位を定期的に変えている(うつぶせ寝も痰対策)。もう少し良くなれば、気管切開による人工呼吸器に替え、座位を取れるようにしたいとの事です。依田医師による説明。
熱が下がり状態は安定しています。しかしながら、尿路感染で長時間寝たきりだった事と発熱、気力も低下している為か、コミュニケーションが難しいです。耳もかなり遠くなっている様子。
洋子さんが来てくれて、車椅子で少し気分転換したり、着替えやマッサージをしてくれましたが、すぐに目をつぶってしまいます。来週の転院もどこまで理解しているか、わかりません。
3/04昨晩熱が上がってしまったようですが、安定に向かってました。
うつぶせの状態でしたが、目はしっかり開けることができ、体や手も反応していました。
呼吸の管のため会話はまだ難しそうですが、回復の兆しはやっと見えてきたようです。
美由紀によると、この状態になったのは真司と最後に会った2月13日以来のようです。
まだまだ通常の生活に復帰する道筋は見えませんが、見守るしかありませんね。
新品のタンスもTVも貰ってよければ頂きますが・・・・。宏司

熱が出た原因が気がかりですが、医者もモグラたたき状態なのでしょうね。
タンスとTV、使うなら持って行ってください。
ココファンのカギは食卓の上にあったキーホルダーにあります。
ココファンに行ったら、残り物(大物)を確認願います。
Bedとマットレス、歩行器は返却したはずです。借り物は他にはないはず。
なんだか変な位置づけのアパートになってしまったものです。

ところで歩行器って?
二つ来て、一つは返却、ひとつは新東京の7Bに置いてきたけど。別の話?Shinji

今ココファンから引き揚げた業者のリストを確認しました。
歩行器は引き揚げリストにありましたが、物がなかったのか、横線で消されています。
なかったことを言ってくれれば土曜日に動けたのに。
新東京からはジャケットとキーは引き取りましたが、歩行器の話は聞いていません。ねえ美由紀さんも知らないよねえ。
ロストですと全額返済になります。

明日新東京に電話し、歩行器の有無を確認し、その後Rental業者に連絡します。
業者が新東京から引き取ってくれれば何もすることはありませんが、ココファン引き取りであれば、新東京からココファンに移動する必要があります。
明日結果を知らせますので、移動が必要なら宏司に頼むかもしれません。
母の携帯も不要であれば慈恵病院の引き出しか、江戸川台の食卓に戻しておいてください。解約を考えます。これはついででいいですよ。

携帯だけどババの携帯からヒロ、順子さんの携帯へは無料なんでしょ?
状況報告とかHotlineとして使えばいいんじゃないの?Shinji
3/05歩行器は新東京にありました。
業者が直接引き上げてくれるそうで、宏司に頼むことはありません。
まずはよかった。
携帯は1台はKeepするつもりです。じじ、ばば、Junko、Meの間はすべて通話料は無料です。
1台を宏司のところでもって無料通話用に使ってもよいけれど、1台宏司家で持っていてもいいよ。
電話よりメールのほうが情報が一度に回せて記録も残るし、いいとは思うのだけど

携帯は基本料金もかかるでしょうから、特に必要ないのでは?
とはいっても通話料金がかかりすぎるのも考えものですから、メールを有効に活用しましょう。
母の携帯は今週中に慈恵医大に置いておきます。宏司
3/06たった今、新東京病院、心臓外科のイトハラ医師から「まだしばらく人工呼吸器は外せないので、気管切開をさせて下さい。」と電話がありました。
お父さんは熱なし、状態が安定しているそうです。
気管切開の話はすでに聞いていたので、了解の返事をしました。
切開はベッドの上で、行われるそうです。

これでしばらく会話できなくなりましたね
でも情報によると本人は楽になるそうなので父にもそうであることを願います(Shinji)

3/07
明日、携帯を慈恵医大に置いておきます。
母の転院の件ですが、起き上がることや車いすに乗ること、ましてや乗用車で松戸まで移動することは難しいように感じます。
ストレッチャーの使用の有無より、救急車や専用車が無難なのではないでしょうか。
個人的な見解ですが、転院そのものが困難に感じます。
生きていくことの意欲が全く感じられず、ため息と不安ばかりを口にし、現実と夢の中をさまよっているような状態です。(宏司)

なるほど、想像できます。
転院しないことは選択肢にないとのことですので、転院は仕方がないところでしょう。
月曜日はストレッチャーを用意します。
本人がその調子なら、無理して一般病院に移してもらうことはなかったなと、なんともやるせないものです。
3/09父は気道確保については問題なく行われていますが、相変わらず熱が下がりません。
検査にも時間がかかるようで、病院は熱を下げる対策を最優先しているようです。
目は開いていますが、しっかり見ている状態ではなさそうです。言葉かけにもはっきりとした反応は見せません。ただ口に管が入っていたときより表情も穏やかには見えます。コウジ

今、新東京から電話があり、急性肝障害に陥っており、止血機能の低下が発生しています。また腹内に水がたまっているものを抜き取り分分析した結果、腹内膿瘍があり、原因は抗生剤の副作用または強い解熱剤の副作用によるものと想像されます。
症状としては、重症感染症と急性肝障害にあり、敗血症が疑われます。
今後肝不全に陥る可能性がある。
強い抗生剤投与のために、肝機能障害が起こったと考えられるため、この抗生剤は取りやめ、通常の抗生剤に戻したそうです。
今すぐ命にかかわる状況ではないものの、急変はありえます。
沈静時の投与を今後はじめる可能性がある。
つまり、意識がなくなることを覚悟する必要があるようです。
母は相変わらず生きる希望がなく元気がありません。
同じ質問の繰り返しとため息、すぐ目をつぶってしまいます。
ベッドから動くのは困難だと思われます。明後日の転院、よろしくお願いします。コウジ
3/10気管切開した部分からの出血が止まらず、ガーゼは血にまみれていました。熱は38度位で昨日は40度あったそう。しかし意識は比較的しっかりしていて、さかんに何か話そうとしていました。
徳永医師から、詳しい話を聞きました。昨晩の話と重複しますが、改めてまとめます。
①肝機能障害
薬剤性と考えられるため、抗真菌剤を中止。負担の少ない抗真菌剤に変更。感染症に対する効力は下がる?
②40度の発熱。胆嚢腫大および左腹腔内液体貯留
左腹腔内液体貯留に対しドレナージ施行した所、血性膿性排液が見られ、腹腔内膿しょうであるとわかった。これは腹部が汚染された為の重度感染症。
③肝機能の低下により、血液凝固ができなくなっており、出血傾向にある。
このため、胆のう炎の可能性もあるが検査できない。
現在輸血と血液凝固因子の投与をしているが、改善が見られず。急いで血小板の手配をしている。
危険因子がいくつもあり、とても重篤な状態です。
今後の話を山口部長先生と話す必要があると、徳永先生に言われてます。

先のメールであった鎮静剤投与の可能性は本人が痛みに苦しんでいるからですか?
山口部長は漫画に出てきそうな「典型的な外科医」なのでストレートです
言われるがままにうなずいているとまた切られちゃうかもしれないので呑まれないよう望んでください
明日もお手数かけますがお願いします(しんじ)
3/11新東京のお父さんは、熱は38度程度。血小板を投与し始めましたが、まだ出血しているようです。そして本日新たに、結核の疑いありと、糸川医師に言われました。CTの画像による診断であり、はっきりしたことは、血液検査によって判明するそうです。入室には感染防止のため、いかめしい専用マスクを装着しなくてはいけません。
鎮静剤で深く眠っているお父さんの意識はありません。
今のお父さんのポイントは、重症感染症の腹腔内膿しょうと、肝機能障害に変わりありません。
山口先生は手術中だった為、お会いする事は出来ませんでした。
東松戸病院へ転院
2ヶ月間慈恵にお世話になりましたが、東松戸に転院を完了しました。
4階東棟427号室(6人部屋)です。
主治医となる内科の河合先生、担当看護婦、ケースワーカーとのコンファレンスを持ちました。
今まで通り、強心剤・利尿剤の内服、2週間に一度の輸血で行くことになりそうです。自力でトイレに行けるようにリハビリもお願いしました。
この病院も2ヶ月間しかいられません。次の受け入れ先をはっきりさせなくてはいけませんが、まずは転院でお母さんの状態がどう変化するかを、見る事にします。少しでも、元気になってくれたらと思います。
3/11父は・・・夢に出てきて言いたかったことを教えてほしいです(しんじ)

昨日のことですが、ここだけの話、私には「もういい。もういい」と聞こえてしまい、無性に悔しかったよ。
昨晩思ったのですが母の心の置き所を探すために心療内科のような方の力を受けられないでしょうか?
母は転院したことをわかっていましたか?
それから僕は父親にあわしてあげたいと思います
それがリハビリの動機になることを期待して。
傍から見る意識あるなしでなく、夫婦の超越したものがある気がします(しんじ)

その後洋子さんが母をたずねてくれました。
今日は目を開け、多少話もでき「これは本当なの?夢なの?」と言っていたのですが、洋子さんが訪ねた時には、転院したことも何も理解していなかったと。また眠りに閉じこもりがちであったとのこと。
顔を拭かせたりして、多少正気に戻ったようです。が、父のことは全く気になっていないようで、洋子さんからかなり悪い様態だと告げられても、「だれが?」という状態だったよう。
かわいそうな父です。
新しい主治医との面談時に、週一で来る精神科医と相談してみる、診察だけでも受けてみることでお願いしてきました。抗鬱剤の投与は、進められたら断るつもりですが。
3/12部長先生との話とは、父の幕引きのことだと思っています。
思えば薬の副作用が出やすい人で、今後薬が効いたとしても、別の場所がやられてしまい、結局元には戻れないのではないかということに気づきました。
熱が下がってくれれば、という期待を持ってきましたが、熱を発生させている原因が体全身からの悲鳴であるなら、どこを薬でたたいても、モグラたたきになるだけなのではないでしょうか。
20種類近くの輸液をぶら下げられ、人工呼吸器でのどから呼吸している姿は、もうかわいそうすぎます。
部長先生にあってこようかと思っています。(宏明)

私は闘病は終わりにして欲しいと思っています。
医療は、その治療をしたあとにどのような展望が描かれるかによってのみ、行なわれるものであるとずっと考えています。
今、加齢やパーキンソンによって今後の展望が見通せないのであれば、治療の中止が最良の選択であると思っています。私は展望のない延命に、何の価値や意味を感じていません。(宏司)

医療の姿勢について、同感です。
今までは回復の期待にたよってIUCの作業をお任せしてきましたが、回復する望みは絶たれたと思います。
もう一人のお母さんの大変な時に悪かったけど、明日、部長さんにアポを取ります。
真司は「おれが行くまで待って」といいそうですが、それは真司の自己満足なので、あまり聞くつもりはないのですが、一応何か言ってくるのを待ちます。
明日はお父さんの誕生日ですね。
母のほうは、昨日書いたように、面会ができる状態ではありません。
尿路感染により発熱があった時点では、母の意識はしっかりしており、慈恵の医師に父の見舞いを申し出ました。父の様態を説明し、それは見舞いをさせるべきだと吉田医師も同意し、本人(これは母)の受けるショックより、なぜ言ってくれなかった、会わせてくれなかったのかという思いが強いだろうとのことでした。
しかし、その時は発熱が収まってからという、もっともな意見でした。
母の発熱が収まってみると、意識はもうろうと夢の中に漂ってしまい、現実を見ることも、前に進もうとすることもない、父を気遣う余裕もない姿に変わっていました。
会わせたい気持ちはわかりますし、父は意識があるならば母に会いたいでしょう。
でもその時期はすでに過ぎ去ったと、私は思います。
お互い、相手は幸せに生きていると思ったまま、次の世で再会するのが良いのではないでしょうか。
もうこれ以上後悔しないように、知りたいことはすべて聞いていいですよ。言っていいですよ。
3/13新東京の高垣ICU責任者と話しました。
外科の医師から、腹内に溜まったゼリー状物を除去する手術の許可依頼がありましたが、緊急を要するものではなく、患者の負荷低減から見送ってもらいました。
金曜に山口先生と話すなかで、必要性を再確認することにしました。
今日は37度台の熱で、咽からの出血も止まったそうです。
意識もあるそうです。
頑張っているようです。
八十三歳、おめでとう。
3/14父は相変わらずの状態でしたが、目ははっきりと開けていました。
昨日は熱も上がったようですが、たずねたときは37度台でした。(宏司)
母は私が最後にあったときより(先週金曜日)顔色はよく感じました。会話は成り立ちませんでしたが、不満の表情はしなくなりました。弱ってしまった感はありますが問題なく転院できたように思いました。(宏司)
3/15山口先生との面談
まず1回目の手術から今の状態の説明を受けました。
現在腎臓.肝臓共に機能が回復しており、熱も下がっている。一時期の危険な状態から脱した。
手術による腹腔内膿瘍の膿みの除去は、現時点では見送り、今後状態を診て行いたい(その際は、また連絡が来る)。
結核の検査は今の所、陰性。明日3回目の血液検査の結果が出る。
長期に渡る治療になっているが、現在全く白旗をあげる状況でなく、回復は充分期待できる。
上記は、山口先生の言葉。
今日のお父さんは確かに顔色も良く、熱もなし。手足のむくみも軽減、血だらけだった首元もすっきりしていました。しきりに何か話したそうにしていました。痰が詰まるのか時々苦しそうにしているのが、とても気になりました。先生は、回復後には皆さん痛み苦しみをほとんど覚えてないですよと言っていましたが、本当に今の状態が苦しくないと良いのだけれど…。
洗濯物とオムツを届けてきました。夜9時半でしたが、何のチェックもなく病室に入れました。病院によってずいぶん違うのに、びっくり。
お母さんは目を開けてくれましたが、声は発さず。私達をわかってくれていたのか…。
3/16宏大が週末帰宅してます。ココファンの荷物を江戸川台に移すのなら明日が可能だと思うのですが、どうしますか?(宏司)

昨日の父のようすでは、ココファンの解約をどうするかなと思ってしまいます。
いずれにせよ荷物を入れておく必要はないので、持ち出しを頼めたら助かります。
ココファンに頼めば鍵を開けてくれると思います。
その際は転送されているメールも江戸川台に置いてもらえると助かります。
ココファンへの転送も不便になったため、次は水戸への転送手続きをしました。
母は元気がなくなってしまいましたね。
慈恵にいたときより不満もなくなったようだけど、不満を感じる元気がなくなったというか・・・。(宏司)
3/17結核の疑いは晴れました。
今日はまた38度程度の熱が出ているようですが、状態は引き続き安定しています。
意識もかなりはっきりしていて、宏明さんの言葉に頷いてくれました。
体が硬くならないように、手を曲げる等のリハビリも施しているそうです。呼吸は90%自発ということですが、外すのには長い道のりになりそうです。
食事の時以外は、一日中ほとんど寝ている様子です。しかし食事は半分程度食べて(自力と少し看護婦さんから)いるそう。
何とか会話をしようと試みましたが難しく、今の状況もお風呂に入れてもらっていることも、覚えていません。声を出す力もなくなっているように見えるのは、悲しいです。要望も訴えも何もなし。
リハビリも開始しているようですが、座位をとるのも血圧が下がってしまうので、ベッド上で気持ち程度。
洋子さんへ。背当て用に枕を持って行ってます。役に立つかどうか、わからないのですが。
3/20こんにちは。12:50到着、昼食は終わっていました。ご飯は1割程度でおかずは全部食べたそうです。目を閉じている事が多く起こすと少し話をしますが意味不明。血液が薄くなっているせいもあるとの事です。輸血は明日か明後日です。水分補給のため点滴を足のつけねから していてバイ菌が入るのを避ける為導尿になっています。熱いタオルを渡すと自分で顔と手を拭いていました。今日は5時頃まで居るつもりでしたが寝ているのでもう少ししたら帰ります。
今日はストローで水が飲めなくて水のみで飲ませました。(洋子)
3/20転院がきっかけになり、前向きになってくれることを期待しましたが、週2回入れてもらっている寝たままのお風呂も記憶が無く、自力でストローをすえないところまできたようです。
輸血の必要性を確認させてください。
今後の輸血(ヘモグロビンを補給すること)が明るい将来に向かうことではなく、延命の処置だとすれば、本人も望んでいなかったことです。
次回医者との面談までの間に2回ほど輸血されるでしょうが、面談時に以降の輸血中止を申し入れようと思っています。皆さんの同意が得られればですが。
3/20美由紀の母は死に至らないために大変な苦労をしています。
通常では考えられないほどの痛み止めと投与しても、時々意識が戻り苦しんでいます。
医師は、痛み止めの量が極端に多いため投与をためらいます。
しかし、投与をためらうことが苦しみに直結している状況のため、こちらとしては苦しむことをなくす薬物使用をお願いしていまが、十分な量の投与はされていません。
ただでさえ、悲しい状況であるのに、医師に対する不信感との戦いも続いています。
死は、だんだんいろいろな器官や機能が弱っていき、最後にはどこかに不都合が起きていくのですが、それを認識をする機能や力も衰退して朦朧として迎えるのが自然な姿のようです。
そういった意味では、輸血を中止していくのが自然の姿だと思います。   宏司
3/21本日午前中、永眠されました。
午後には自宅(松戸市)に戻ります。宏司
通夜
  3月22日(金)18:00~
告別式
  3月23日(土)14:00~
3/23土曜日朝から再び40度以上の発熱により、見舞い時には鎮静剤により寝かされた状態。しかし意識はあるのか、しきりに手を握ったり、腕を上げようとしたりしており、痛々しいことはなはだしい。
体はものすごく熱く、氷枕もすぐにぬるんでしまう状態で、目も開けずじまい。呼吸は自発呼吸をしているが、呼吸器により吸気量を補助しているそう。
心臓外科医(高垣)の話では、発熱の原因を調べないと対処のしようがない。CTと血液検査から判断するが、あまりの熱で本日のCTはできず。カンジタの対応はできているので、おなかの中だとは思う。いずれにしても何の菌によるものか、知る必要がある。また膿瘍の対処のため切開が必要なら事前に相談する。先ずは熱が下がるよう努力している。患者本人の治る力にかかっている部分が多大。そのため、栄養を150%与えている。
輸血を受けたためか、いつもより長く目を開けることができ、いろいろしゃべりもしました。
ただその内容は、今日は泊まって行くのか、浅草に行くんだ、挨拶はしたのか、おっさんはどうした、と完全に夢遊状態です。
その中で、輸血は受けたいかの質問に「したくない」と答えられても、何を信じてよいやら。ただ表情が穏やかになり、死を受容することができたのかなとは感じました。
入浴のためのタオルが足らず、江戸川台と2往復する羽目に。
3/24つらいのは父だよね
一ヶ月以上発熱に苦しむなんて40代でもかなり酷。。。。。
本人の治る力、かぁ。まだ生きたいのかなぁ
先日の山口先生の話も考慮すると安楽死の選択はまだ親族に与えられていないのだろうか?
両親の様態は想像するばかりが故に胸が締め付けられます。
母親は穏やかな終焉を迎えられそうなのが救いなのでしょう
ただ見た目にとらわれず輸血が延命手段なのかはDrに確認しましょう
実際輸血後は脳みそへの酸素の供給が増えたわけでしょう?内容はともかく・・
輸血がリハビリに向かわせ車椅子への移動を助けるものであるなら意味を持ってきます
とはいっても本人の意思が目標を失ってしまっているんですよね。それは薬や輸血じゃ解決しない。
病態の進行もあるだろうし延命であるとすれば今後江戸川台で生活する選択肢はないのですから次の世界へ送り出してあげましょう。
いままで何回の輸血を受けたのか数えてみたいものです
もうその回数を増やす必要はないと考えます
でも、輸血やめればすんなりいくんだろうか・・・・?
3/24状況がよくわからない中で、こういった話はきついですよね。
まずは母親だけ、追加説明します。
人工呼吸器をつけていても、胃ろうから栄養を得ていても、それが本人の将来につながる、あるいは家族のために必要なら、その人が人間として生きていることの意味があると思います。
入院前の母は、この点では点滴を受けることにより、しっかりと生きていたと言えるでしょう。
点滴によりヘモグロビンが増えその結果、外からの問いかけに対する反応が働くようになっているようです。しかし自分ではベッドに起き上がることも、座位を取ることも、自分が今どこで何をしているのか理解することができず、私をはっきりと認識することもできませんでした。
800mlの輸血翌日(あるいは2日後)の状態が前回伝えた状況のため、リハビリは実施されていません。ベットの上で上体を起こすことで血圧低下、頭痛発生になり、リハビリがはじめられない状態です。輸血以前にもリハビリらしいリハビリは実施されていません。
リハビリが開始できないという状況はつまり明るい未来が期待できないということであり、輸血以外の輸液をとっていない現在、輸血が唯一の医療行為です。この行為が延命かどうか、ということを医者に確認する以前に、すでに生物化した母に、この後生きながらえてどうしろというのでしょうか。
ヘモグロビンが欠乏して体内に酸素が送られず、臓器が機能しなくなることは、自然の成り行きとは言えないでしょうか。
母親にこれ以上生命維持の為の輸血は果たして必要なのかどうか、子供たちで意思の確認をしたかったのですが、状況が完全には伝えられていませんでした。
答えを出すのは、本人と私たち家族です。
ちなみに、母親は血管から輸血用の針が入らなくなってしまって、CV(中心静脈ライン)による輸血となっています。この輸血は鼠蹊部から行い、今水分補給もそのラインから取っています。この為、また尿道カテーテルがつけられました。
まだ議論する時間は残されています。
3/259:30に高垣医師より電話があり、左腹が膨れてきたためCTをとり、膿の削除手術の同意を出しました。
実際に開腹になるかどうか外科医と相談の上再度電話があり、その際は病院へ向かうことにしました。
11時前に外科医の浅川医師より連絡があり、局部麻酔によるカテーテルにより、体内の膿を取ります。
前回より太めのチューブを使用し、多少固まり状態でも除けるようにする。ベット上での処置のため、また全身麻酔ではないため、立会人は不要とのこと。
エコーを見ながら血管や臓器に傷をつけないよう行うが、合併症の危険説明があり、すでに合併症による高熱への処置なのだから、やってもらうことにしました。
3/30ココファンの最終荷物の引き上げ、掃除をして来ました。
何ともつらいココファンの解約となりましたが、スタッフの人たちに、とても親切にしていただきました。
父の見舞いに洋子さんも一緒に行ってくれました。
腹腔の膿みを取ったのが功を奏し、熱は38度以下になっています。
近日中に腹部のCTを撮り、状態を診るそう。腹部からのバクテリアは特定され、抗生物質が投与されています。ベッドの両脇にぶら下がっていた10種程の輸液は、5種類位になっています。
基本的に栄養は、高カロリー栄養物質のみとなり、その他の補給はしなくなったから。
感染が治まる事が今の第一の目標であります。
以上、糸川医師の説明。
私達が病院に着く前に、洋子さんが行って話やマッサージをしたりしてくれました。
話は現実とはかけ離れたもので、お母さんは別世界にいるようです。洋子さんが話を繋げてくださったので、今日はずいぶん声が出たそう。看護婦さんは、久々声を聞いたとか。
尚、お母さんの次の病院は、水戸でという方向で考えていますが、いいですか? 転院は5月の連休を予定してます。
3/31文面からすると父は意識なしかな?
父のような状態の場合3ヵ月後はどうなるんでしょうかね
保険診療分が病院に入らなくなると書いてありました
Ipadのapp Storeで「ブラックジャックによろしく」という本が無料配布されてます
結構はまってます
ココファンは高い3泊でした。お疲れ様でした(しんじ)
母は大きな決断をしたのに次の転院先を考えなければいけないのはやるせない現実ですか。医師とはいつ会える予定ですか?
アクセスしやすいほうがいいですよね、水戸で結構です
4/05自治会に電話をしました。自治会費はゴミ収集の事も関わるようなので、今回は退会の処理にせずに、自治会費を納める事にしました。僅かな金額の事でご面倒をおかけしました。
大西さんともお話して、集金は姉経由としました。なんか不思議な縁です(笑)。
4/06今日は12時に着いたので昼食に間に合いました。食べるか?でしたが、いなり寿司を買ってきたので食べさせたら美味しそうに1つ食べました。その分病院の食事は少し残しましたが量的には充分です。
私のことは分かっていたようですが名前は出ませんでした。食事中も目はほとんど開けないので会話らしい会話は0でした。出来なくなっている事が多くなっているのは辛い事ですが受け止めるしか無いですね
今日は電車が止まると大変なので早めに帰ります。家族に渡したい書類があるのでナースステーションに寄るようにメモがあります。リハビリテーション総合計画書です。
追伸  いなり寿司の事はナースに伝えました。
帰る時無理やり起こして氷水を飲ませたら目覚めて会話が成立したので10分位お喋りが出来ました。帰る時も有難う。気をつけてね、と言ってくれたので凄く嬉しかったです
4/08本日東松戸病院でのコンファレンス。
3時前に病棟に行った時の母は、とてもクリアで「おう」とか言いながら、White Noteの場所を聞くとしばらく考え込み、「まったくわからない(考えられない)」とはっきり答え、現実の中にいました。「病院から電話があったか?」と、今日の予定を聞いていたのでしょう。お風呂に入ったことが意識をはっきりとさせたのかなと思いました。
しかしほんの数分で医師、看護師、ケースワーカーとの話し合いになり、「もう帰っちゃうの?」という中、小一時間のコンファレンスの後は、いつもの眠り姫に変わっていました。
目を開けても人は認識できず、しゃべる言葉は聞き取れず、こちらの問いかけには反応しませんでした。
ちょうどリハビリの時間となり、手足の屈伸やマッサージを受けている間も寝ている状態です。平日は毎日ベッドの上でのリハビリを受けているそうです。
東松戸の看護とリハビリは、本当によくやってくれていると思います。
しかし、本人の状態がこうも極端では、どう考えていったらいいものか・・・。
さて、コンファレンス。
移転先の選択は、輸血できることを絶対条件にしないこと、
水戸の病院にしたい旨を伝えました。
輸血から2週間でヘモグロビンが6台に下がるため、輸血をしないと死期を早めることになり、医者の立場から、賛同は得られませんでしたが、ケースワーカーと看護師には理解してもらえたと思います。
担当の河合医師は、マニュアルにのっとり慈恵からの引き継ぎ通り事を進めることのみに囚われ、患者本人の事を思っての発言はなかったように思います。
また話し合いも論点を捉えてもらえないようです。
さらに入院時に話のあった精神科医による診察の結果、レメロンという抗鬱剤を処方しているそう。
「診察はよいが治療には我々に相談を」と伝え投薬には連絡が来るはずでしたが、すっかり忘れてしまっていた様子です。この件については突っ込まず流しましたが・・。
しかし厳しく暗い表情が少し穏やかになったのは、この抗鬱剤が功を奏したのかもしれません。
前回の輸血は4/4と4/5に400mlづつだそうで、洋子さんが見舞ってくれた時は輸血直後であったのに、あまりはっきりしていなかったのは、輸血も持ち直すのに僅かな力しか持たなくなっているのでしょうか。あるいは眠りの周期と関係がある?
輸血をするしないに関して、河合医師は本人の意思確認が欲しいと言っていました。
精神科の医師には「死にたい」と何度も言っていたそうですが、これは鬱状態での言葉。逆に抗鬱剤を処方されて気分が変わっても、その時点では本人の言葉とは信じられないと言っています。
というわけで、現在本人の意思確認はほとんど不可能という状態です。
今日も母のデスクを中心にWhite Noteを探したのですが発見されず、別の日記帳に挟んであった「延命治療は望まない」というメモを医師に見せましたが、平成8年という日付、延命治療はいらないの延命が何を意味するものかとの疑問から、河合医師はこれを本人の意思とはとらえないようです。
では本人の意思確認はどうする?いろいろ提案してみましたが、得策はありません。
しかしながら、最終的に退院・転院は誰の意思によるかというと、家族の意思で進められるそうです。
いろいろ書きましたが、今日の結論は
・水戸で長期に診てもらえる(看取ってもらえる)病院を探す。
病院は輸血の可否で考えない。
・介護保険を使って(区分変更の必要あり)介護型療養施設(病院)も視野に探す。
・時期に関しては、今まだはっきり言えませんが、5月上旬になると考えられます。
最後の時を自宅でと、家で数日でも過ごさせてあげられたらとも考えましたが、実際問題、緊急時の対応や移動方法、その後の事を思うと難しいようです。
尚、輸血を止めるとヘモグロビンの値が低下し、極度の貧血状態となり死期を早めます。
しかし心臓に負担のかかる鉄分が増加するのもまた事実。
貧血時にどんな苦痛になるかは、息苦しさとだるさという言葉が出ていました。
鉄分の沈着による心臓への負担からの心不全の悪化の症状とはどんな違いがあるのかは、明確な回答を得られませんでした。
4/10株券の相談です。
トヨタがどうの、NTTがどうのという話は聞いた事があると思います。
母親名義でトヨタ株、NTT株、ソフトバンク株を所有しています。
本人死亡時には、遺産となり相続対象金額に加算されます。
解約して現金化し、タンス預金にしてしまえば、課税対象にはならないと思います。
このまま、株を所有したいか、タンス預金化した方が良いか、ご意見を。
私としては、今の株価が長持ちするとは思えず、売っちゃったほうが良いかと考えます。本日の株価で売却手数料を考えると、トヨタはちょっとマイナス、NTTは購入金額が高過ぎ(11,736円)めちゃ損、ソフトバンクは購入額が不明で損得不明、という所です。
配当金は2012年に63,000円ありました。
株券を換金しても、土地が課税されるので、大差なしという見方もありますが、どう思います?
4/11母が亡くなった時には、売却するのだろうから、今売却していいのでは?
株価が元気になったときだからちょうどよいのでは。
ということで、“今売却”に一票。
4/21野村証券の代理人申請をしましたが、連絡待ちです。
国内投資信託と個人向け国債(償還日2015/4/10)があるようです。
5/01母の転院先探しのため、家族との事前面談が必要といわれ、本日東前病院で相談員及び院長と面談をしてきました。
結論からいうと、この病院を転院先とする事に決めました。
水戸のアパートから、大洗方面へ一本道を約15分。駅から車で20分強かな。
先ず、医療保険対応病床で、要介護度は関係ありません。
病棟も見せてもらいましたが、一人、二人、または四人部屋で、状況により入れ替わるため、差額ベット代というものはありません。病室指定もできません。
どの部屋もゆったりと明るく作られており、東松戸の6人部屋の広さに4人という感じ。介護士さんも平日だからか多くおり、皆明るく働いているように感じました。
リハビリの施設もありますが、利用できるかどうか本人次第です。
生活に必要な物はほとんどすべて病院側準備となり、今までのようにパジャマやタオルを洗濯したり、おむつ等を買い足す必要もありません。
その代り、リース代やごみ処理代として、金銭で代替えします。
食費込々で、ひと月に17~18万円がかかります。特養ホームやココファンとほぼ同額と言えます。また全額を両親の口座から引き落とす予定でいます。(家族負担金はありません)
輸血は、ありません。
入院日数制限も、ありません。
つまり、母親にとって最後の病院となりそうです。
転院日は東松戸との相談になりますが、連休明けの週、5/9-10、5/15-17辺りになりそうです。
水戸まで足を運ぶのは大変と思います。東松戸にはあと少しの限られた時間となる事をご承知おきください。
転院日程は決まり次第、連絡します。
5/01
いい病院が見つかり良かったですね。転院先では輸血が出来ないということですが別の病院に通院して輸血を続けるのか完全に止めてしまうのか、どちらでしょう。(洋子)

言いづらいですが、完全に止めます。延命処置であると判断しました。ごめんなさい。

宏明君達も辛い決断をしたと思います。それに対して私は何も言うつもりはありません。止めてから、どの位の期間でどうなっていくのか医師に言われていたら教えて下さい。

時間的な事、全くわからないそうです。痛みがあるのかについても、体が慣れているので、我々から血がなくなるのとは違う、と。息苦しさはあるだろうが、鎮静剤の投与はよほどの事でない限り行う事はないそうです。
末期病院ですので、医師も対応の仕方が全く異なるのだろうと思います。
慈恵でも、水分はダメだ、塩分はダメだと言われたのに対し、食べたい物、呑みたい物を与えてくれとお願いし、逆に元気になったりしています。輸血を止めると後がないと言うのは、恂子さんには当てはまらないかもしれません。
5/02東松戸から電話あり。
転院日は、5月14日(火)・16日(木)・17日(金)のどれか。
水戸の病院には14時に着くようにとの事。
今日の午前中もしくは、5月7日(火)に、何日にするのかを岸田さんに連絡する必要あり。
介護タクシー(ストレッチャー)の件は追って相談。
水戸までは2時間かかるとすると、11時半には東松戸を出る必要あり?
5/03今日のお父さんの回復ぶりには、びっくりしました。
リハビリが順調に進み、今日から立つ練習も始まりました。ちょうど私達がいる時にリハビリの時間となり、頑張っているお父さんの姿を見ました。
人口呼吸器も、今日1時間外し、様子を見たそうですが、順調だったそうです。少しずつ完全に取れるよう進めています。
今日、自分の名前を書きました。
そして、言いたいこと、欲しいものを書いてもらいました。
最初の2文字は「体調」と読めます。
あとは何語が書かれているのでしょうか?
私達が行った3時頃は眠気モードでしたが、声がけを繰り返す内に目が覚めて来ました。
その後、お父さんのお見舞いも行って下さった治男さんご夫婦がいらっしゃいました。
きちんと治男さんたちを認識できていましたが、耳が遠いのか、思うような会話はできませんでした。
今日は体調が良くなく、腹痛・気持ちの悪さ・頭痛・・・とあるようで、先週とは違って元気がなく、いかにもしんどそう。熱いタオルで顔を拭いたり、クリームを塗ったりで喜んでくれましたが、何せつらそう。熱はありません。気分転換に車椅子散歩に誘いましたが、行く気になりませんでした。
帰り際には、「ありがとう」って、しっかりと言ってくれました。
今日は、意識レベルは比較的良いものの、体がついていかないという感じでした。
5/05
今日は1時頃到着。食事の後でまだギャッチアップの状態で私の顔を見るなり、遅かったじゃないと言われてしまいました。今日は駄目かな?と思っていたので元気な声を聞いて嬉しかったです。玉子の殻に入っているプリンを持っていきましたら1個きれいに食べてコーヒーが飲みたいと言ったので買ってきたら少し苦いけど美味しいと5口飲みました。
その後ドーナツを1口。昼食はおかずを7割位でお粥は食べなかったようです。お腹空いていたのかな?
体調の訴えはなく意識は今までに無いくらいクリアで何を話しても会話が出来ました。
車椅子は本人も乗る気になっていましたが移る時少し目まいがあり止めました。
全身清拭後クリーム、マッサージ時間があったので、ゆっくり出来ました。手の爪切りも出来ました。恂ちゃんは気持ちいいを連発、爪は気になっていたようで喜んでいました。今日はいい時間が過ごせました(洋子)
5/06人工呼吸器を外しての生活を、1日1時間ずつ伸ばして、5/6は4時間の自力呼吸で問題なかったそうです。車いすに座るのも1時間ほど。筆談は読み取れないのに書かせる事が申し訳なくなってきて、考えものです。
そうは言っても、右足は動かず、右手もペンを持つのに苦労し、ベッドと車椅子の移動は100%介助を必要とするなど、重度の障害者には変わりありません。
眠り姫状態であり、「食事はしたの?」「今何時」以外は目を開けてもらえませんでした。
5/075/14に転院する事で、東松戸病院、東前病院、移動手段の合意が整いましたので、ご報告です。
東松戸病院を11:30ごろ出発し、2時に東前病院に到着の予定で、移動は慈恵から東松戸移動時に利用した業者に、36,000円でストレッチャー(寝たまま輸送)を手配しました。
当日は宏明が電車及びバスで東松戸病院へゆき、ストレッチャーに同乗して水戸まで移動します。
苦渋の結論ですが、来週末が松戸での最後となり、5/14からは水戸へ引き取りますので、よろしくご理解をお願いします。

ストレッチャーで移動できるのは安心です。
役にたたず、本当に申し訳ありませんがよろしくお願いします。宏司
5/1212時に着いたら昼食中でしたが眠っている状態でした。何とか目を開けましたが夢を見ていたみたいで私のお葬式終わった?と聞いてきました。
私の昼食の鉄火巻き食べると言い1つ食べましたがご飯が硬いと文句を言っていましたが意識はハッキリ目も開きました。
真ちゃんに頼まれた真樹ちゃんの写真を見せると真樹?随分大人じみてきたね、と嬉しそうでした小一時間熟睡して車椅子に乗りました。庭に出て空を見上げた瞬間空の美しさにワーと感激していました。調子が良かったのでえい子さんと朋子さんに電話をして話が出来ました。1時間以上乗っていました。
今日は夕食まで居ました。看護師さんが塩分が足りてないとお粥に塩をかけにきました。味がついたせいかお粥はほぼ完食でした。今日もいい時間が過ごせました。(洋子)
5/12明日の母の搬送日に新東京に立ち寄ってもらうことは不可能ですか?
父が母に会える最後のチャンスだと思うのです。
お互い車椅子に乗れます。三男のお願いでした

母が車椅子に乗れるのは、本当に体調の良い一時です。東松戸へ移動後、我々は一度も車椅子には乗れていません。さらに母は、今の姿を見せたくないと思っているようです。
水戸の病院の受け付け時間も決められており、今からストレッチャーの出発時刻を変えられるか、私の電車が間に合うか、調整が必要です。
父には、母はすでに水戸にいると伝え、理解してくれています。どうしようかな。
5/12今日のお母さんの調子は良さそうで良かったです。
お母さんにお父さんに会いに行きたいかどうかの確認をしていただけますでしょうか?
お母さんには転院(引っ越し)の話はしていますが、水戸とはっきりわかっているかどうかわかりません。水戸という事を認識してもらって、転院の前にお父さんに会う気持ちがあるのかどうか。そこをポイントにしようと思います。2人の精神的・肉体的な負担は致し方ないと考えました。
もしお母さんにその意思があれば、介護タクシーの時間変更が可能かどうか、また新東京に面会時間外で特別に両親を会わせる事が可能かどうかを、聞いてみます。
もし新東京経由での転院の場合は、申しわけありませんが、洋子さんにお手伝いいただかなくてはいけません。

今、洋子さんも巻き込んで、面会実現させるべく、全てを調整しています。
新東京が、急患受け入れ口からストレッチャーのまま母を迎えてくれ、そこに車イスで父が会いに行きます。
最後の時間は、双方の気力と体力から限られたものとなります。
5/13今までの手術の理由と概要をICUにいる時に話しました。
腸が腐ってしまい削除して、ストーマーをつけた事を話し、うんと頷いていましたが、正直どこまで理解力があるのか、わからなくなっています。
筆談が辛うじて可能になる前に、50音表で一文字ずつ示してもらう事を試しましたが、目なのか手なのか指なのか、全く文字を示すことができませんでした。
介護タクシーは、予定は入っているが調整は可能との事です。
新東京への問い合わせは、相談員に電話をしましたが、面談中。折り返しの電話待ちです。
新東京の相談員にこちらの事情を詳しく説明しました。かなり難しいけれど、医師等に働けてみて、また電話すると、言ってくれました。
しかし、新東京にはリクライニングタイプの車椅子がないそう。東松戸から借りられないか、聞いてみると言ってしまいました。洋子さん、またすみません。貸出可能か、聞いて頂けますか?
介護タクシー多田さんと話しました。
明日は東松戸10時発で新東京に向かいます。出る時に新東京相談員の佐藤さんに連絡。
水戸へは新東京を11時半出発の予定です。
介護タクシーは10分前には来ると思います。その前に精算等も済ませるつもりで、プラン立てて下さい。
明日ですが、当初早めのお昼を食べて出発の予定でしたが、10時東松戸出発となったので、お母さんのお昼がありません。ストレッチャーの上寝たままの姿勢で、口にできるものが何か必要と思います。宏明さんはゼリー飲料が良いのではと言っていますが、どうでしょう?お手数ですが、病院に入る前に何か買って行っていただければ、助かります。
5/14


洋子さんには昨晩、松戸のホテルに泊まっていただき、今日も朝早くからサポートしていただきました。
新東京病院での両親再会は、関係するすべての方々の協力により、実現する事が出来ました。父親はたいそう感激するとともに、落胆もした事と思います。
母は相変わらずで、「天国で会いましょう」などと、父に言っておりました。
東前病院へ転院
その後東前病院での受け入れ検査において、
①心臓の肥大はほぼ通常に戻っている
②利尿剤による脱水症状がみられる
③血圧低下が顕著である
との状況から、利尿剤を止め、様子を見ながら別途対処方法を考える、という患者に目を向けた対応を、今後の方針にされました。
脳のCTから、痴呆が始まっていませんかという確認もありました。

総じて東前病院の医師、看護団、介護士、栄養士、環境全てにおいて、東松戸よりも良い環境にあると感じました。
今後、平日は母にできるだけ面会に行くようにし、週末は父のサポートをするという方針です。
江戸川台の荷物は少しずつ片づけています。ずいぶん広くなりました。
5/15とってもしっかりして、きちんと会話が出来ました。iPadで江戸川台のここ数ヶ月の庭の写真をしっかり見てくれました。今までにはない反応で、庭の花の話をしました。
昼食は軽く状態を起こし、食べさせました。自分から食べようとはしませんでしたが、半分位食べました。しっかりはしていたけれど、精神的に かなり落ち込んでいるように感じました。
5/16今新東京病院より連絡あり。
3ヵ月ぶりにICUを出て、7階のB病棟へ移動するとのこと。
ティッシュ2箱と運動靴が必要と言われましたが、日曜日に持ち込むことで了解されています。
昼食は1割程度しか食べられず、すぐ目をとじてしまいます。後になって、発熱朝は39度と聞きました。夕刻時には、37度台に戻りました。
5/17私が行った時には寝ていました。目を覚ましたようなので、声をかけると「あら」って、ニコッと笑ってくれました。近くになったので、急いで起こさないでいいことが、うれしいです。
食事が来ました。自分で食べますか?の私の問いに「食べさせて(^^)」笑顔が嬉しい!
完食です!リクエストした梅干しを美味しそうに食べました。そう、この病院、栄養士さんが毎日きて、要望を聞いてくれます。が、その分食品の持ち込み禁止なのですが。
江戸川台の花を何か持ってきて、飾れたらと思っています。
お母さんは今日は平熱です。私がいる内に車椅子に乗れれば良かったのですが、時間があわず。午後10分ほど乗せてくれるそうです。
5/18父の病院に行ってきました。スカイツリーも見えるし快適な病室ですね。
父との筆談では、やはり意志を伝達できないことが最大のストレスのようです。
ですが、筆談で意志を伝達しようとすることもストレスになると感じたので、そこそこにしました。
とにかく父の笑顔が見られたことに、人間の生命力の強さを感じ、感動しました。

5/19一般病棟に移って、初めての来院です。
お部屋は、看護婦詰所前の個室です。お風呂や洗面所がついてます。
病室で起きていたお父さん。探していたリハビリ用の靴はどこかしら?って言ったら、ロッカー指差し、、、、、確かにそこにありました。頭は至ってクリアのようです。
車椅子に乗り筆談をしました。なかなかこちらが理解できる文字が書けませんでしたが、持って行った手帳の今日5/19の欄に、宏明Fam来院と、しっかり記してくれました。その後、車椅子で廊下から外を見たり、いろんな話をしました。お母さんの水戸の病院の様子も伝えました。ウンウンと言った感じで聞いてくれました。
お父さんは話したい事言いたい事がたくさんあるのに伝えられないのが、今の一番のストレスと思います。わかってあげられなくて、申し訳なく思います。
部屋ではテレビも見られるので、ラジカセとCDはお母さんの所に持って行きます。
病状等の説明は、受けられませんでした。医師の話を聞きたいと申し入れてあります。近い内に今後の展望も含めて話が聞けると思います。
今もペンは持たせてあげないと、自分では持てません。よって、携帯電話は使用できないと思います。
同様にメガネを着け外す事も困難な作業です。イヤホン、ヘッドホンは必要ないと思います。
去年戻ったとき、持っていたたくさんのコーラスのテープを最後にもう一度聴いては捨て、聞いては捨て、を繰り返して数を減らしていたことを思い出します。
まだ箪笥の上に残っていると思います。(しん)

ラジカセのカセットは音が出ない状態でした。ヘッドが汚れているのか原因は調査していません。CDとラジオで充分だと思います。おっと、ここは茨城なので、ラジオは入らないのでした。AMが1局あるくらいです。
5/20先週金曜日の好調子とは一転の週となってしまいました。
違う世界を見ているようです。「お魚を干してあったけど片付けたの?」「えいこさんはもう帰ったの?」などなど。病院のスタッフを旧知の誰かと勘違いしているような場面も。食事はとても嬉しそうに幸せそうに、自分で完食。「美味しいー。」
かみ合わないながらも、会話が出来ました。
5/21夜宏明さんが立ち寄りました。やはり話は?だったようですが、二人会話が楽しめたよう。
5/22別世界と現実を行ったり来たりしているのでしょうか。お母さんの話に波長を合わせていると、納得した様子です。ベッドから洋子さんに電話しました(短時間ならと許可ゲット)聞こえる左耳を使って会話成立。
昼食も自分で完食。ご飯をとても楽しみにしていました。制限されていた梅干しを出してもらえるようになったり、塩分制限をほとんどしていない為と思います。そのため、足に浮腫みが出始めてます。
5/23洋子さんご夫婦が来てくれました。しかし昨日までとは、打って変わって顔色も悪く、手にも浮腫みが出ています。利尿剤を少なくし脱水症状から抜け出すと、今度は尿が出ない。医者はバランスを考えて処方していきますと言われてたけど、果たして…。来週医者と面談の予定です。食欲もあまりありませんが、ほぼ完食。
洋子さんが終日そばにいて下さいました。
5/24新東京に申し入れた面談ですが、まだ連絡なし。先程電話しましたが、今週末に医師の話を聞くのは難しいかもです。ICUを出るとこんなものなのでしょうかねぇー。寝ていたので、しばしメールを書いてました。目の覚めたお母さん「遅いから、順子さん今日は来ないんだなーってずっと思ってたんだ。」などと言ってくれると、顔の出し甲斐があるというもの・笑。
しかし現実と違う世界を行ったり来たりなのか、会話は難しいです。昨日に続き今日も発熱。原因はわかりません。手足の浮腫み。寒気。体を起こしているのが、きつそうです。
食事は半分程自分で食べました。美味しいーと言って、嬉しそうにしていた数日前の表情はありません。
長期療養型病院では治療は望めないと、認識させられました。
少しでもご飯を楽しみ、良い夢を見られるといいのですが。
5/25東前病院での受け入れ検査時に、脳のCTを撮り、痴呆が始まっていませんか?と医者に言われました。
転院直前の状況、転院後一週間の状況では、意識レベルは高く、会話が成り立っていたのですが、2週目に入り水分と塩分による悪影響か、記憶が消されているようです。
加齢による幼児戻りと言われますが、母は今銀行勤めをしているようです。
そうなると子供は生んでいないし、結婚もしていないかもしれません。
明日は宏司たちが見舞ってくれますが、記憶に残ってくれることを切に願います。
6/02
東前病院
6/06夕方、東前病院から電話がありました。
お母さんは、意識レベルが下がり、血圧もさらに低下したので、酸素吸入器と首からの水分補給のための点滴を開始したそうです。心臓のモニターもつきました。
すぐに…という話ではないようですが、私達は明朝、水戸に戻ります。
6/07昨日の電話通り、首からの点滴(通常の点滴を苦労して入れてくれたそう。水分プラス少し栄養)・酸素吸入・モニターがつきました。
時々目を開けますが、見えているようには思えません。苦しそうな様子はありません。たぶん痛み苦しみはないはずと言う相談員の言葉を信じたい。
危機的な状態であるとは聞いていませんが、本日ナースステーションに直結した部屋に変わりました。
6/08三日前に声の出せる器具に変え、今日は何ヶ月ぶりの声が聞けました。
まだはっきりとは発音できませんが、筆談とは格段の差。いい湯だった~!ですって。
今日はお風呂にも入り、疲れたようです。興奮しておしゃべりしてくれるのかと思いきや、眠ってしまい…。あれ?
リハビリは3パターン行っている。
1) 発声・食事   今日からペースト状食べ物を取る訓練開始
2) 生活動作  寝間着の着脱、歯磨き等
3) 機能訓練
目覚めました。午後のリハビリ(3)です。
寝返りは、ほぼ一人で打てるようになったそうですが、今日はマッサージ後、車椅子での移動、立ち姿勢、歩行のリハビリをしました。すごく頑張ってます。
リハビリの後、4ヶ月ぶりのまともな会話!!
どうも4か月間の夢の中と現実の区別がつかず、「一つ聞きたいんだけど、俺はまだ生きているのか?」には、おどろいた。
「寒くなるまでで良いんだけど、外壁はどうするんだ?」江戸川台の家?とわたし。「いや、ゆうきが丘」。「内壁はクロスを貼るのか、木なのか?タイル張りもいいな」。「リビングの真ん中にでっかいもん置いたまんまだったから、外壁ができちゃったら出せなくなる」。
「三途の川の話なら山ほどある」、「3回位行った」。お花畑なの?「きれいなんだ、これが」。
「閻魔さまには会ってない」。だって閻魔さまは川を渡ってずーっと登っていかないと。「ああ、そうか。今度行ってみるかな」。
「死亡届を出さないと」。うん、でも死んだ人は出せないよね。
「おれはもう棺桶に入ってて、お経をあげてもらってるんだ」それを外から見てるんだ。「みんなと一緒に座ってる」。
ほんとうに死ぬところだったんだよ~。で最初の言葉。
わけがわからないけど、話せてよかった。
午前中のお母さんは、痰取り等の処理後だったせいか、少し反応してくれました。すぐに洋子さんご夫妻が来て下さってバトンタッチ。今日はホテルを泊まっての、お見舞いをしていただいてます。

6/0910時に病院到着。肩を叩くと目を開け ワッとビックリする位大きな声を出したのでナースが振り向いていました。早かったね、とニコニコしてクリアでした。
点滴が首から右ももに変わっていました。昨夜せん妄が出て自分で外してしまったそうです。心臓のモニターも危なかったとの事。
真ちゃん、マキちゃんとも話が出来マキちゃんの声が聞こえるとニコッ
今日は11時半病院を出ました(洋子)
6/09お母さんは痰取り後で、苦しーいと目覚めていました。その後、体勢が落ち着かないようで、着衣を直したり足をあげたり・・・。何か違うものを見ているようでしたが、話をしました。パンパンになった足をマッサージしたり、手をなでたり、、、宏明さんと二人で全身をいじくり(?)まわしていたら、気持ちいい~って、どんどん穏やかな表情になりました。
その後右に宏明さん、左に私、手を握って(ぎゅっと握りしめてくれました。ちょっと手を離すとすぐに再び手を求められました)話しました。
今日は結婚式、私もスピーチするのか? 21番。こんなんで大丈夫か?あれは真司だね(ニコッ)。ケンだ(うちの次男)フフ(何故かベッドの横に寝かせているのか、微笑みかける)。絵里はまだ来ないの?スピーチはやっぱり断って。なんか食べる物は用意できてるの?喉が渇くね・・・・ここ、江戸川台でしょ。ずーっと、、話は続きました。
トイレ行きたい。ちょっと抱っこして連れて行ってよ。足を下ろしてくれれば・・・。こんな格好でいいかしら?
突然、「お父さんは良くなってるんだってね。」
びっくりしました。その言葉は、はっきりすごく明瞭な言葉だったんです。「そうだよ。うんと元気になってる。」とっても嬉しそうに満面の笑みを浮かべました。あの表情、お父さんに見せてあげたかった。
洋子さんから聞いたお父さんの話を覚えていたんですね!
点滴により極度の脱水から抜けたからのでしょうか、数日前よりずっと目覚めていられるようになった気がします。
しかし、呑みこみは無理なようですね。水を飲みたいと言ったのでガーゼで冷たい水をふくませてもらいましたが、むせこんでしまいました。
尿も前よりは出ているようですが、色が異常でとても気になりました。
今、いろんな人がお母さんの所に集まって来ているように感じます。
6/109時59分、お母さんの死亡が確認されました。
昨日は、とてもよく話をして皆がいると喜んでいたお母さんでした。
今朝もトマトが食べたいと話をしていたそうですが、急変しました。
江戸川台へ搬送、江戸川台のベッドに寝かせた。
これから業者が来て、打合せ。
6/11セレモ柏ホールにて、16時30分頃から、納棺、通夜 6月13日(木)18時~
柏ホールには、13日5名宿泊可
葬儀・告別式 6月14日(金)11時30分~12時30分
この後、火葬場にて初七日
7/6納骨
6/20真司が日本にいるうちに相談したい事があります。
母の遺産相続について、法的には父親が50%、子供が1/6づづ。
もしいったん父親に100%預けるには、子供3人が相続放棄をする手続きが必要になります。その為の手続きを日本で取らなくてはなりません。
父親に相続放棄をさせ、1/3づつ引き取る事も考えられます。
江戸川台の土地は父親名義です。
どう分配するか、父、宏司、真司を交えて決めておく必要があります。
宏明の考えは、父の今後を考えると少しはキャッシュがないと、父の第二の人生がおぼつかなくなるのではないか。父がいくら預貯金があるかは不明確で、普通預金が130万、定期に100万あるのが確認できている額です。これに年金の収入があるのですが、最期のお寺さんへの費用を考えると、充分とは言えません。よってとりあえず50%相続してもらうのが妥当かなと考えます。
6/21お墓と仏壇の件ですが、宏明家は子孫が日本に住まないことから、宏司家に墓守を依頼しましたが、宏司も入墓は希望しないことから、真司家に全権委託します。
仏壇は大きいので持ち帰りは難しいでしょう、位牌を持ち帰りたければ、祖先の分も含め、そうして下さい。
株の相続ですが、換金ではなく株券で相続となるそうです。
父50%、子供16.6%ルールを適用する場合、各人が野村証券に口座を作る必要がありそう
そうなると手続き上面倒だから100%父にしてしまい、父から生前相続を受ける方がいいかなとも思ってしまいます。
再度つらい事ですが、宏司がしっかりしているうちに、真司が日本にいるうちにきちんとしておきたい案件です。まいったな。
6/25昨日は夕方のリハビリ前からなにやらお疲れ気味の父。
話も今一かみ合わなくて(僕が)へこんで帰ってきましたが、今日は一変、意識清明で書類集めに奔走していることを聞いて、「いい経験になっただろう」なんて言われちゃいました。
その原因の一つは”経鼻チューブ”が外れたことだと思います。顔が普通になりました。
また、夜のグローブもストーマを外さない約束を看護師さんとして、無しになりました。
まだ食事はペーストですがお粥はご飯粒がすいぶん判るサイズになってます。
医師に「いつ出れますか?」と聞いていました。
首の穴は器具を外せば自然に塞がるそうです。
今日の新東京からの連絡は、あまり明るい情報はなく、塞がる可能性はないという事だったので、この食い違いに戸惑いも感じます。痰の問題があるので、器具を外すのが難しいということでしょうか?
今週末は日曜日に行きます。また外出もなしで、江戸川台に連れて行くのも、却下になりました。
コーラスの松本さん、古い友人である森谷さん(ふじ模型)、曽我部さんがいらしてまた少し陶器を持っていってくれました
7/1柏厚生、つくしの共に受け入れ出来ないとの返答。佐藤さんも困ってます。パーキンソン病の方はケアマネ畑山さんが動いてくれるそうで、僕からも連絡入れます。
7/6
納骨
7/16柏厚生病院へ転院
7/29転院以来初めて、お父さんに会って来ました。
基本お父さんは元気で、本人曰く「だいぶ調子が良い」そう。しかし昨日は言葉がはっきりせず、会話はできるものの、意味不明の発言多し。サインの必要な書類があったのですが、筆圧が弱くしっかりした字が書けませんでした。また手足の冷えがひどいのも気になります。でも顔色は以前の蒼白な感じはなくなりました。
リハビリは無理をせずというか、新東京に比べかなり緩いリハビリだとか。
今週、気管切開部を塞げるかの見極めをすると看護師は言ってました。今後どうするかを考えると、切開部の問題は大きいです。
美由紀さんが一緒に病院に行ってくれて、携帯電話受け取りました。近い内に名義変更(婆から爺へ)するつもりです。
江戸川台に寄ってきました。ずいぶんきれいにしていただいたんですね。前日とは雲泥の差。忙しかったでしょ!お疲れさま!!
8/12厚生病院から電話あり。お父さんが5階の一般病棟から、6Aの障がい者病棟に移ったそうです。
気管切開部を塞いで2週間、順調に回復という事のようです。
差額ベッド代は、一日2100円です。支払いは月額12~13万になると聞いていますが、本当かな?
ココファン、特養、長期療養病院と、ほぼ同じ金額になると、考えています。この金額だったら、年金でまかなえそうです。しかしながら、1ヶ月近く一般病棟に入れたのは、ラッキーと言えそう。
食事はどうなっていくのか、医者からはまだ何も聞いてないので、わかりません。本人からの話では、何もわからずです。
リハビリは、先週末宏明さんが行った時、歩く練習をしていたそうです。調子の良い時はベッドから自分で起き上がれるようにもなっているので、ものすごい進歩です。
8/17この暑さでは、テディを車に残しておけないので、交代で病室へ。宏明さんが行った時は熟睡中。声かけせずに30分。目が覚めないので交代。私が病室へ行くとちょうどリハビリに向かうところ。リハビリをバッチリ見学出来ました。
車椅子からの立ち上がりを練習。体が突っ張ってうまく立ち上がれません。体の力を抜く練習をかなりの時間を行って、少し体も柔らかになりました。平行バーを使って歩行訓練。介助なしに短めの往復して、リハビリを終わりました。
食事はペースト状のものから、少しミンチタイプの物になってきているようです。
お父さんの意識問題
今週始めに美由紀さんが行って下さった時には、調子が良かったようですが、昨日は??
まともな会話も少しはできますが、お父さんの意識がどこにあるのか、全くわかりません。
昨日は突然「旅もそろそろ終わりになってきたよ。」と切り出されてびっくり。その後「これからの予定よ。」とか、「なんだか聞いてもはっきりしないんだよねー。まだわからないとか、言ってるし…。」などの言葉。看護婦さんに話を聞いたところ、どうやら意識は旅行に行っているとの事。ここは病院だとだけ、看護婦さんは言ったそう。
スピーチカニューレをつけた当初の方が、会話も言葉も明瞭だったような気がします。目覚めさあこれから~と思っていた頃と、少し経過し、体は動けないまま残酷な事を次々知らされた今。お父さんは現実と折り合いをつけているのでしょうか。
さて、江戸川台の家ですが、ここ2週間水道、ガスと要チェックのお知らせが入ってます。
そこで、ガスはストップしました。再開は連絡後点検をして、再開となります。夏の時期なので、湯沸かしやヒーターは必要なしと考えました。おっと、ここまで書いてシャワーも浴びられなくなると気がついた。。。しばらくお泊まりはできないや。
9/18オムツ等の補充もあるので、週末の病院見舞いは行っています。
お父さんの意識は、月日の経過と共に、現実から遠くなっていっています。私は3週間ぶりにお父さんの様子を見ましたが、非常にショックを受けました。
病院に入っているという自覚は全くなく、会話は全く成り立ちません。新東京にいた時にもわけのわからない話をしていましたが、それよりひどい状態。表情はうつろで何を言っているかも非常にわかりにくいです。
でも食事は毎回完食。刻みやペースト状ですが自分で食べられます。
パジャマを脱いでしまったり、ベッドから降りようとしてみたりなので、着脱のしにくいジャンプスーツ型のパジャマを着て、ベッドの柵は固定されています。
週一回のお見舞いをもう少し増やしたい。でも私たちもこの生活が長期に渡り、毎週の訪問もきつくなって来ました。なので、次の病院はお母さんが入っていた水戸の東前病院に連れて来たいと考えています。お父さんの状態で受け入れ可能かどうかは、わかりませんが。
9月に入ったら、厚生病院とのコンファレンスをすると言われていたのですが、まだ連絡がありません。近日中に連絡を取って、転院を勧告される前でも、転院させてもらえるか聞いてみようかとも考えてます。 面談しないとはっきりした事はわかりませんが、今の状態ではお父さんが厚生病院に入院している理由がわからなくなってきています。
今の様子だと、お父さんを短時間と言えども江戸川台に連れて行くのは、難しいと感じています。お父さんには申しわけないけど、本腰入れて荷物の整理を開始します。
・お母さんの洋服他、11月7日に行われる婦人会のバザーに出す予定です。10月はその仕分けを行います。
・今までずっと3か月ごとの自治会費1200円を払っていましたが、昨日脱退届を出しました。自治会費納入にあたり非常に手数がかかる事もあり、自治会館の担当者との話で脱退手続きする事にしました。真ちゃん一家の帰国の際には、ごみ出しの問題(ゴミ出しができない)が出てくると思われますが、ガスの件も含め、帰国の際にはその時々で対応するようにしましょう。
菅谷さん、須黒さんも気にかけて家の様子を見てくれていますが、台風のシーズン到来で突風もふくこの頃、あのままの状態でおいておくわけにいかないです。とにかく大変ですが、ボチボチ進めていきます。
9/21本日柏厚生病院の相談員と面談。
次の行き先として、長期療養病院ではなく有料施設、老健を薦められる。
理由はボケ防止のための他人との接触、社会性の維持。
そうかもしれないが、今までも予想通りにはなってこなかった。
時期については明言されなかったが、こちらはそろそろ通院の限界を告げた。
本人は病院に入院している自覚は多分無く、Ticketを持ったかとか、声にならない会話(?)が続いた。
声が出ないのは、パーキンソンのせい?
9/22・気管切開の部分は、上手に塞がったようです。写真のようにすでにガーゼも外れ何も問題は出ていません。普通食に移行可能かどうかは、医師聞く必要があり。切開した事より、嚥下の問題になっているようです。
・管は厚生病院に来てからは、全くつけた事がないと思います。現在治療という治療はなし。パーキンソンと血流をよくする薬、夜は眠剤を処方しています。
・リハビリは現況維持をめざしています。これ以上体が動くようになる事はないに等しいという厳しい現実。
・新東京から転院した時より、ずっと体が動くようになり、気管切開部も無事塞がれました。柏厚生の役割はおわったように思います。
・老健、有料老人ホームの他、特養も候補になってます。老健施設、特養は介護保険。長期療養型病院は医療保険となり、老健は期限付きリハビリ中心です。特養や老人ホームはリハビリなしになります。どこも入居可能かどうか調べてもらいますが、いろいろ難しいですね。
・いずれにしても、私達の生活も暫定的ではありますが、転院先の場所は水戸。特養の場合は上三川を考えています。
9/24「自宅に帰る」という選択肢のない父にとって、老健は候補から外すべきだろうな。とか、いろいろ考えてはいます。
先ずはSoftbankの株が売れた事を報告します。3人で分けましょう。孫の教育資金は、いくらまで免税されるんだっけ?知ってたら、教えて。
12月に帰国するのは良いのですが、父がどこでどうなっているのかまだ何の見通しも立たず、何とも言えません。呼び戻すまでは、帰って来る必要は無いように思いますよ。
10/3昨日通りかかって気が付いたのだけど、リビングの雨戸が一枚開いていました。近くで確かめたら中のガラス戸には異状は無く、大きなカマキリが上から見張っているようにこちらを見てました。おばさまだったのかしら・・
お身内の方がはじめから開けておく予定でしたら問題ありませんが、部外者が開けようとしたのなら心配です。閉めたほうが良ければ簡単ですのでお返事ください。
以上、お隣おばさんのレポートでした。
10/14土曜日に見舞いましたが、特に変化無しです。
11月には水戸へ転院させようと考えています。
親のベットやタンスは、次に処分します。
母の衣類をバザーに出すため、整理を始めています。引き取り手のない古着は、処理場へ持ち込みました。
10/23水戸への転院に向けて準備中。
今日、問題というかIssueが一点。
長期療養病院は、治療行為を行わないため、パーキンソンの投薬が受けられないそうだ。
治療しているわけではなく、悪化速度を遅くしているだけなので、私としてはやめてもいいのではないかと思うが、どうでしょうか。
今のところ自分でできる行為としては、食事をとること。ほかには思いつかないのは、悲しいことですけど。
手に震えが来ると食事も補助が必要になるでしょう。
あれほど好きな食事でしたが、口にしているのはどろどろの液体なので、そばが食べれるわけではないので、仕方ないのかな。
ベッドの上に歯が一本落ちていたそうです。
検査の結果、上左の歯らしい。なんだかな・・・
10/25お父さんの転院について。
投薬については、パーキンソンの薬(高価)が使えないということで、ワーファリンは処方されると思います。長期療養型病院は、治療を終えた患者が入る病院と位置づけされ、積極的な治療が受けられません。
今日、厚生病院の工藤さんと話しました。
1.今飲んでいるパーキンソンの薬を止めると、どの程度の影響があるのか。また代替え薬はないのか(東前からは、気休め程度しか出せないと言われています)
2. パーキンソンに対応できる病院を水戸で引き続き探して欲しい。
これらを話し、医師の意見を聞いていただくようにしました。合わせて、東前にも可能な対応方法を打診しています。
また、上三川の特養も早急に申し込むつもりです。特養は介護保険となるので、パーキンソンの薬は医療保険を使って対応できるのではないかと思いますが、確かではありません。また入所はかなりの待ちになるでしょう。
11/21柏の仕事帰りに元明さんのところに寄ってみました…
残念ながら、大きな口を開けて爆睡中。
眉間にシワをよせ苦しみの表情になり、うなり始めたので声をかけて起こしました。
目を開けたので、話しかけたのですが・・・???
また、眉間にシワをよせながら寝てしまいました。
看護師さんにお父さんの様子を尋ねたら、特に変わりはないとの事でした。
11/24
12/10東前病院へ転院
12/16死亡
江戸川台へ搬送
12/19通夜、12/20火葬、2014/2/2納骨

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