2004/8/08 (Sun)
ちょっと早めの11時にSFO空港到着。
ノースウエストのチェックインカウンターを探す。
3つの重たいトランクは子どもたちが3人それぞれ運んでくれる。
5年前は空港でも大荷物と子どもの面倒は大変だったが、今は私が面倒みてもらっているよう。
北側のフードコートで昼食をとる。とにかくお高いのにびっくり。
中華、Fish&Chips、クラブサンドイッチを食べる。
12時半に12Aのゲート内に入る。靴を脱ぐのももう慣れた。
1時、搭乗。そんなに混んでいなくてラッキーと思ったのは勘違い。
中央の5人がけに4人並び、研人の隣は重たい感じの中年男性。動けるところを探すが望みなし。
ノースウエストの機内食は、JALやAAよりおいしいとも言えるが、スクリーンが席前方の大スクリーンのみで、プログラムも選べないようでは、フライトもあまり楽しくない。
しかし子ども達は<Hidalgo>と<Prince&Me>の2本の映画を前席の大男の影から
隙間をみつけてしっかり見た。
子ども達は10時間弱のフライトで殆ど睡眠を取らず。
2004/8/09 (Mon)
日本時間3時半PM、予定より少し早く成田到着。バスで空港内をぐるっと一周したのち到着ゲートへ。
出迎えに来てくれた江戸爺婆、美由紀さん、宏大君、雄大君、敦男兄、葉子姉。
いつもの事だが子ども達は何故か気恥ずかしそう。江戸爺婆、美由紀さんと二人とは挨拶だけで別れる。わざわざ成田まで来ていただいて申し訳ないです。敦男兄の車で柏の家のそばのフォルクスで夕食を取る。
智ちゃんも仕事を終えて、そして柏爺も歩いて来る事ができた。
おなかいっぱいと言いながらも私達も注文する。
特に研人はこのレストランでビーフカレー(大盛りだと思う)をきれいに食べきった
<すげっ!>
柏爺と別れ、運河へ向かう。ぼーっとしているものの、皆元気。
そのころアメリカでは
2004/8/10 (Tue)
暑い暑いと言われていたほどの暑さはかなり収まったようで、私達には比較的過ごしやすい暑さ。それでもこの湿気はたまらない。
私も子ども達も朝7時には目を覚ます。敦男兄と葉子姉はお仕事。
お隣に挨拶をして江戸川台に荷物を取りに来ていただく。
智ちゃん、裕君と共に柏に行く。
柏爺のサイドを固めるように居座る‘りんご‘と‘チェリー‘。もうすっかり家族の一員だ。
柏爺お得意の天ぴんで出前を頼み皆で昼食。
アメリカにもこういう出前があったらいいと子どもが言う。
それにしても柏爺のあまりに元気な様子にびっくりするやらうれしいやら,何だか怖い気もする。今では痛み止めの坐薬も使ってないと言う。
先に帰った裕君の他、私達は柏に買い物に出る。
が、鼻水が止まらず胸もぜこぜこし出した宏人は、私と岡田病院で診察を受ける。
彼の反応は日本に着いたとたんに出始め、 柏に来るとさらに悪化するようで・・・困ってしまう。テオドール他アレルギー、鼻水、喘息用の薬を処方していただく。
昨年帰路の飛行機で苦労したことを考え、吸入も出してもらう。
智、絵里と合流。丸井~そごうを歩き回る。
ペットストアには、お犬様方の召し上がる物がたくさんあるし、何よりものすごくきれいで見ているだけでも楽しい。
男達は、洋服ばかり熱心に見ている智ちゃんと絵里に辟易気味。
途中で飲んだスタバの抹茶フレパチーノは絶品。しかしShortサイズのカップがあまりにも小さいのにショックを受ける。
智ちゃんと連れ立って宏人と研人は東武線に乗る。
江戸川台ではお爺ちゃんが待っていてくれているはず・・・。
二人は不安いっぱいで私と別れた。
2004/8/11 (Wed)
朝、宏人から電話「今から出かけるよ。」元気そうな声。
真ちゃんの運転で宏司さん一家と合流し、勝浦のキャンプに連れて行ってもらう。
このキャンプには江戸爺も参加、また宏司さんの家の犬ナナも一緒で、にぎやかなキャンプになることだろう。
絵里と私は浅草へ。今日の目的はビーズの買出し。
あらかじめ調べておいたコースを浅草駅から歩き始める。おもちゃ、紐、ゴム印の問屋街を抜ける。
50分ほど歩いただろうか。浅草橋駅付近にビーズ専門店何件もあり、そのビーズの豊富さに何を買っていいものやらわからない。品質豊富安心の店‘キワ‘でか なりの量のビーズを買う。
母のお墓参りに行こうかかなり迷ったがやめて、銀座へ。
迷い込んだジュエリーショップでお買い物。絵里と二人ジュエリーを買ってしまった。ウフフ。。。
さすが銀座のイタリアンと言える店で昼食。満足な可愛い娘とのショッピング。
慣れない道で疲れもしたが楽しい一日だった。娘がいて良かった。
宏人と研人はキャンプでなにしているかな~。
そのころアメリカでは
2004/8/12 (Thu)
絵里と二人再び柏の2階で朝を迎える。昨晩は幾分涼しかったから、キャンプ組はどうした事だろう。
布団を干し洗濯後、絵里と銀行へ。向かったのはりそな銀行。
絵里に払い戻しの仕方をえらそうに教える私。不安げに順番を待つ絵里。
そこへ係りの女性。「おかあさ~ん!」と助けを求める絵里。
「この通帳は銀行が違います。UFJさんになりますが・・・。」
「あの~三和なんですけどー。」 そしてすごすごUFJへ。
するとまた係りの女性。「ご住所はどちらですか?」 「何というか・・・」
「横浜になっておりますがー。」 その後いろいろうるさい事を言われて結局解約することにした。
が、パスポートがないとできないらしい。
わずか数万なのに子ども達の口座3件分、パスポートを持って本人を伴ってこなくてはならないようだ。何だか面倒くさい世の中だ。
絵里はそごうでビーズの講習を受ける。生徒は絵里一人のプライベートレッスン。
私はその間柏に戻りちょっとお掃除。絵里のバックパックと思いカートを持って再びそごうへ。
絵里の作品は今までにない大作のネックレス。いい時が持てたようだ。
絵里と二人江戸川台へ。風邪気味でお留守番の江戸婆が今日も温かく迎えてくれる。
庭になったお化けかぼちゃ(今度写真に撮ろう)に笑い、江戸爺他3人の帰りを待つ。
7時を過ぎて4人到着。興奮気味の宏人と研人。
おいしいものをいっぱい食べさせてもらって海で泳いで花火して・・・・・。
もっといたかった様子。
いわしのフライの舌鼓を打ち、賑やかなうちに食事を終える。
9時、真ちゃんに送ってもらって4人運河へ戻る。
もう木曜日が終わってしまった。明日は子ども達は智ちゃん裕君と5人で遊びに出かける。
2004/8/13 (Fri)
夜中3時にアテネオリンピックの開会式。
10時前に、子供たち5人(智・裕・絵・宏・研)は東京ドームシティー(後楽園)へ遊びに行った。
私は12時、高校時代の友達(美佐子、由季、周子)と美佐子の実家で会う。
4月にお父さんを亡くした美佐子は、自分自身も膠原病と戦うたいへんな日々を送っている。しかしあくまでも大きく温かい美佐子は、今も皆の中心的な役割。
高校時代の性格は年をとっても全く変わる事無く、会話も同じような構成で成り立つから面白い。
美佐子のお母さんは私たちに未だに高校の時と同じように接してくださり、何だか気恥ずかしくなる。
4時間喋り捲り時を過ごす。柏に立ち寄る。2匹の猫ご近所迷惑になっていないか、気になる。
6時、運河に戻る。まだ誰も帰っていない。
夜のバイトのある裕君が他の4人と別れ帰ってきたのが8時近く。
子どもたちはどうやらご機嫌で遊びまくっているらしい。
10時、4人興奮気味に帰ってくる。手には夕飯のコンビ二のお弁当。
10個以上のアトラクションに乗り、相当気ままに楽しくすごした様子。
特に遊園地に親抜きで初めて行った研人はその興奮も最高潮。
2004/8/14 (Sat)
子供たちを連れ、敦夫兄の車で幕張にあるコストコ(Costco)に連れて行ってもらう。
せっかくの二人のお休みを私のリクエストでコストコでのお買い物で費やさせてしまうのは心苦しいが、日本のコストコはとにかく魅力的と強行。本当にありがとうございます。
途中渋滞に巻き込まれ着いたのはお昼近く。
近くのモール(名前忘れた)で研人が念願の小さな財布を物色している間、私は15分間の全身マッサージを受ける。う~ん、 気持ちいい。
頭痛を伴うひどい肩こりは持病となり、すっきりさわやかという日がほとんどない毎日。
マッサージ用のベッドに横たわりひたすら揉まれるとは何とも気持ちがいいが、あっという間に15分は終わってしまった。これで1000円、まあ妥当な値段と言ったところか。
研人はとにかく財布が気に入ったらしい。何回も出したり入れたりして、ニヤニヤしている。もう彼の目的は達成済みで、まだ買い物するの?と言う始末。
イタリアンレストランで昼食。ぜ~んぶ美味。この品の良さ。食材もバラエティーに富んでいてアメリカでは食べられないものばかり。各種パンも止まらないおいしさ。 日本はやっぱいいよ。
コストコへ。1階2階に別れ、規模はAlmadenのCostcoの1.5倍はある。
品揃えは 日本の物の他アメリカと同じ品々もかなりある。
値段の表示で0がいっぱいあるのが、どうもなじめない。子供たちはいちいちドルに言い換えて計算している。
予定通りのそば、乾物、日本菓子、ドレッシング、アイスコーヒー、日本の薬などを山ほど買う。今回は4人分持って帰れると強気な私。車に詰め込めるか敦夫兄は不安顔。
夕飯の食材もたっぷり買って(これらの食材もアメリカに買って帰りたいよー)、
意気揚々コストコを後にする。
柏に寄って置きっ放しの荷物を引き取り、柏爺を乗せて運河へ戻る。
焼肉パーティー。新鮮野菜、えび、肉・・・など。
智ちゃんや裕くんも柏爺を囲んで夕食を共にする。
テレビではオリンピックの女子バレーボールをやっている。
にぎやかにわいわいと時を過ごすが、柏爺は少しは食べられたのかしら。
9時30分、柏爺はバイトに行く裕君と運河を出る。
そのころアメリカでは2004/8/15 (Sun)
日本に来て早くも1週間。暑さや湿気にも慣れてきた。今日は朝から曇り空。昼前には雨も降り出した。
運河の兄姉に、今日も買い物に連れて行ってもらう。
コジマ電気、百円ショップ、古本屋、ペットショップ・・・。昼食はタンタン麺。
1月に私だけ帰った時に連れて来てもらった店。宏人と研人は、中辛をこともなげに平らげる。その後柏へ。
宏人がお線香のけむりが良くなかったのか、アレルギーアタックを受けたように胸が苦しくなり、涙が止まらなくなった。きょう柏に宏人が泊まるのは無理と判断。
宏人だけまた運河に泊めてもらうことにする。
運河の4人、うちの3人(研人は柏爺の所で休憩、少し疲れが溜まったのか軽い頭痛を訴える)で柏に町でお買い物。絵里は再びビーズショップへ、買い残しのビーズを買いに走る。
宏人はミュージックストアへ、ギターのストラップを買いに行く。
医者からの吸入の薬で胸も楽になった様子。
柏爺のおごりで、大漁寿司(回転寿司)に行く。総勢9人。
次々と皿をとり、がつがつ食べる私達。柏爺は少しずつしか食べられないし、普段はおかゆの食生活。
そろそろ終わりにしようと思った頃、柏爺が顔をしかめる。胃がはって苦しそう。吐き気も出てきた様子だ。敦夫兄は急いで車を取りに柏の家に行く。
線路を越す立体交差の階段は厳しく、さらに生ものの寿司にぎりと言うのは、爺ちゃんにはちとつらかった様子。まだ無理はさせられないと反省。
その後柏爺は家に送り届けられると、安心したのか気分も良くなったそう。
私たち8人は、カラオケへ。
4年ぶりのカラオケは、海外の曲を載せたミュージックブックもずしんと厚くなりびっくり。わかる歌がないとためらっていた絵里は大喜び。積極的に曲を入れる(たぶん一番歌ってた!)。
宏人は異常なまでに水分を取り、トイレばかりで一向に歌おうとしない。
たっぷり2時間歌いまくり満足のうちにお開き。
延長しようと言う声もあったが、明日を考えると無理。泣く泣くカラオケを後にした。
宏人は運河へ、絵里、研人と私は柏にお泊り。
11時過ぎに柏に戻った時には、柏爺もすっかり元気になって、ほっと安心。
そのころアメリカでは2004/8/16 (Mon)
運河に一人泊まった宏人は裕君に駅まで送ってもらい、東武線に乗る。
柏駅で予定通り宏人と落ち合い、8時50分柏発の千代田線に乗る。
成城学園前までは乗り換えなしで1時間半ほど。今日は道爺の家にお邪魔する。
電車の乗り方にも多少慣れてきた子供たち。
宏人は楽器屋の集まる御茶ノ水に行きたくて仕方ない。
迎えに出てくれた道爺の元気に手を振る姿が見える。
道爺の家までは成城学園前から小田急バスに乗る。道爺が用意してくれた1日パスでは全員乗れない事が判明。乗り場で運転手の言っている事がわからず困惑する。まるで異国に来たよう。
バス停からは歩いてさらに10分。宏人と研人が交代で道爺の自転車に乗る。
日本の自転車に乗りなれない為か、研人は乗り方もおぼつかなく、何とも情けない姿。
道爺の家に着くと玲子おばさんが私達を歓迎してくれる。
紀州犬のサンはしばし吠えていたが、しばらくするとすっかりなつき、仰向けになってお腹を出して甘える。その姿がTeddyを思い出させる。
日本のチーズケーキ、お手製のクレープをご馳走になり、プールに行く支度を始める。
絵里の水着を見せたら、おばさんに「それは過激で、着られない」と言われ、 絵里はおばさんの水着を借りる事する。
バス、タクシーを乗り継ぎ、世田谷区民プールに到着。
50mの清々とした大きなプールの他25mの浅いプールもある。道爺に借りた水泳帽を全員かぶりプールへ。ザブンと飛び込みたいところだが、飛び込み禁止。静かに音を立てずに浸水。
異常なまでに静かなプール。研人はちゃっぽんと入ったら、監視員が来て注意して言ったそう。笛吹きもないのだ。これが世田谷というものか・・・。
ひたすら静かに水泳をしなくてはならない。ばしゃばしゃとした水遊びは禁止なのか?
おばさんにプールに入る事を禁止されていた道爺もプールで子供たちと泳ぐ。
ガラス越しに見ていた私ははらはら。でも声は届かない。
道爺が平泳ぎを教えているようだが、子供たちの泳ぎはうまい。上で見ていた私は我が子らの泳ぎに妙に満足する。
規制の多いプールに子供たちは不満顔だが、世田谷区の施設にはびっくりする。
テニスコート、野球場どこも 整然としていてさすが世田谷と言わざるをえない。
道爺の家に戻るといとこの香里ちゃんが来ていた。何年ぶりだろう。
母が亡くなって 以来だから8年ぶり?全く変わらない彼女がうらやましい。
おいしい昼食。おばさんのセンスある飾り付けが光る。
マッサージ機を取り合い、アルバムを見せてもらい、サンと遊ぶ。
エンジン付きの自転車で子供たちは家の周りを一回り。
そして今日のメインイベント、写真撮影。
道爺の海軍、空軍の時の軍服を宏人と研人は着る。
サイズはぴったり、めちゃくちゃ似合う。
絵里は香里ちゃんの高校の制服、 これが全く似合わない。
このイベントはおばさんには内緒。おばさんはいやがるそう。相変わらずだね、道爺。
子供たちは道爺の車で近所を散策。
爺の車は軽自動車だから私はお留守番。おばさんや香里ちゃんとの会話。
近くのお寺や公園を回って帰ってきたが、研人はどうも元気がない。
疲れが最高潮に達したか、おばさんのベッドで少し休ませてもらう。寝る事1時間半。
私は香里ちゃんとサンのお散歩。
香里ちゃんも世田谷の細かい道はもうわからなくなっているらしく、迷子になる。
途中地図を見てもちんぷんかんぷん。電話もかけられず結構あせった。
夕飯は三軒茶屋の高層ビルでとの道爺の誘いだったが、如何せんお腹がすかない。
申し訳ないが帰る事にする。もう時間は7時を過ぎた。
おじさんおばさんの大歓迎を受け、何もできない自分が申しわけない。
柏から子供たちは直接運河へ。 私は荷物を取りに柏の家に寄る。
すぐに敦夫兄が車で迎えに来てくれ、コンビニで軽食を買って帰る。
絵里はくたくたなのか早々に寝る。宏人と研人は明日の朝の分のパンまで平らげる。
明日はパッキング開始、明後日には飛ぶ。あまりに短い日本滞在。
そのころアメリカでは2004/8/17 (Tue)
Teddy1歳のお誕生日(だと思う)。 Happy Birthday Teddy!!
いよいよ明日CAに戻る。3つのトランクの他にいくつ荷物が持てるのだろうか。
明日は又運河と江戸川台が車を出してくれるそうなので、飛行機さえOKならばみーんな持って帰れる。
今日になって不安になってノースウエスト航空の連絡先を敦夫兄に調べてもらう。
朝8時過ぎから5分おきにかけてみても「只今たいへん混み合っています。改めておかけ直しください。」
ばかりで一向に繋がらない。英語のラインも同じ。
敦夫兄と葉子姉は夏休みの休暇をとってくれた。
子供たちは敦夫兄に中古のCD、ゲー ムソフト屋に連れて行ってもらい、プレイステーション2のサッカーゲームを買って来た。
早速ゲームをしてみるとこれが本物かと思われるほどリアルスティック。研人、宏人は夢中になって遊ぶ。
お昼近く、鈴子さんとまりえちゃんが来た。
まりえちゃんは絵里と同じ年。すっかり大人の女性になった彼女にびっくり。
昼食は私のリクエストの冷凍食品。2月に来た時にスーパーで見た日本の冷凍食品の豊富さがまぶしく、是非食べてみたかったのだ。
チャーハン2種、皿うどん。日本の皆は冷凍食品は特に食べたくもないらしく、敦夫兄が焼きそばを作る。
お隣の家から出前のラーメンやうどんのおすそ分け。さらにお好み焼きまで作ってくださって、わが子らは好物ばかりでがつがつ食べる。
1時過ぎになってやっとノースウエスト航空の電話が繋がり、荷物は一人2つまで20kg以内であることを確認。ほっとする。
2時、おしゃべりしながらの昼食を終えて、私は一人柏に向かう。
子供たちは江戸川台に電車で向かうようにする。
UFJ銀行で子供3人のパスポートと通帳を呈示したが、やはり子供たちの口座の解約は本人がいないと受け付けてくれない。
りそな銀行に行く。利子のほとんどつかない日本の銀行にお金を入れておいてももったいないので、再びアメリカに送金する事にする。
その為の用紙をもらい説明を受けるが、これまた本人確認とか何とかいろいろうるさい事を言われる。結局今日はできそうにない。書類だけ持ち帰る。
ちなみにりそなはアメリカと同じ5時までの営業に変わったそう。
書類を持って柏の家へ。りんごとチェリーが相変わらず可愛く歓迎してくれる。
UFJの通帳等を柏爺に依託し、送金の書類は今晩書き込み明日渡す事にする。
どうしてこうわたしっていつもぎりぎりになってしまうのか・・・。
大きいおばあちゃんのいる柏厚生病院へ。
ナースセンター近くの部屋で窓際に寝ているおばあちゃんは頬がこけ昔のおばあちゃんではなくなっていた。何を思って眠っているのだろう。
ナースセンターで担当の看護婦さんに様子を聞いてみる。今日はご飯も食べずに寝続けているそう。
こんな日が少しずつ多くなっていると言うが、起きている時はしっかり話もできるそうだ。もう一度ベッドに戻って少し体をゆすって声をかけてみる。
反応はない。つらい。
おばあちゃんは今のこの状態を決して望んではいなかったのに・・・。
今私はただ思う。せめていい夢だけを見ていてください。どうかいやな事はすべて忘れて。
携帯で葉子姉に電話。最終的な買い物に付き合ってもらう(まだ買い残した物がある !)。
<ブラ> 私に似てしまった絵里はアメリカサイズはとてもダメ。いつも買うのに苦労している。
今回も彼女と一緒に見て歩くつもりだったが、時間切れ。
葉子姉に付き合ってもらって店を回る。
結局12枚も買ってしまった!!でも絵里と私共用できるからいいよね。
<芝漬け> 子供たちは大安の芝漬けが大好物。といっても種類がいっぱいあってどれがいいのかわからん。葉子姉と仕事を終えて合流した智ちゃんに試食してもらう。
その他、デパートの菓子をいくつか。また智ちゃんに助けてもらっちゃった!
柏で二人と別れ私は江戸川台に向かう。雨が結構降っている。
結婚する前に歩いた日々を何故か思い出す。月日が流れ街並みもずいぶん変わった。
江戸川台に着くと江戸爺婆、真ちゃん、宏司さん一家と絵宏研のにぎやかな声が聞こえてきた。
とって置いていただいた夕食のおはぎや煮物をぱくつかせていただく。
いつも会っているような気楽さは、私のずうずうしさからくるものなのかしら・・・。
宏司さんのお酒の量が相変わらず多い。あまり飲まなくなった旦那様と比べるとだいぶたっぷり召し上がるようだ。ほとんど毎日というから体が少し心配だよ。
子供たちがかくれんぼを始めて大騒ぎ。
その後は缶けりもしていたようだから、それはもう汗びっしょり。
時間の経つのが早い。9時を過ぎて運河に連絡。
明日空港まで運んでもらうダンボールとトランクを敦夫兄さんに持ってきてもらう。
宏人と研人は江戸川台で最後の晩を過ごさせてもらう。
完全な陽気な酔っ払いと化した宏司さんとの挨拶はそこそこに、美由紀さん、真ちゃん、宏大君、雄大君と別れの挨拶。是非アメリカに遊びに来て欲しいと思う。
運河に着いて再び荷詰め。もう気が遠くなる。
智ちゃんのワインを少しいただき景気をつける。
智ちゃんは一人でぐびぐび飲んでいたようで、ここにも気のいい酔っ払いが出来上がった。
敦夫兄は連日のオリンピックでの夜更かしに加え、私たちの面倒も一気にやっていただいたのでだいぶお疲れのよう。
本当お世話になりました。
2004/8/18 (Fri)
荷物をまとめ、10時運河の4人(めずらしく智ちゃん裕君がフリーだった!)と絵里、私で運河を出て柏の家へ立ち寄る。母にお線香をあげて、11時、柏の家を出る。
車まで送ってくれた柏爺。今度会う時は、もう少し体重が増えてくれたらと思う。
くれぐれも無理しないで、葉子姉の言う事をよく聞いてください。お願いします。
思ったよりゆっくり柏で過ごす事ができなくってごめんなさい。
宏人と研人は江戸川台から直接空港へ。
空港へ向かう途中いつものコンビニに寄る。偶然にも江戸川台の車も来ていた。
持ち込んだ荷物はトランク3個・ダンボール2箱。手荷物は各人1つずつ。思ったよりコンパクトに仕上がった。
しかし重量はどれも30キロ近くになり、11月以降は厳しくなるので、お気をつけくださいと言われる。
チェックインを済ませた後、皆で空港内のレストランで昼食。日本の味を最後まで楽しむ。
こんなレストランでもアメリカとは違っておいしい。アメリカに帰ったらまた懐かしくなる事だろう。
ここで、江戸川台のお二人と別れる。今度はアメリカに来てくださることを期待して。
スターバックスで今一度抹茶フレパチーノを飲む。
運河の4人とバイバイ。いろんな思い出をありがとう。今度はどんな形で会えるのか、すごーく不安です。良かったら智ちゃん裕君だけでも遊びに来てね。CAは近いよ。
予定通りの離陸。機内は行きよりさらに混んで満席。
オバーブッキングもあったそうで、とてもゆっくりとはできそうにない。
さらに座席前に5歳くらいの中国人の女の子が落ち着かず立ったり座ったり、スクリーンを見るのも厳しい。
最初はほほえましく見ていたが、だんだん腹が立ってきた絵里以外の3人。
絵里は彼女が手を振ると応えているから、猶の事彼女は遊びたくて私達の方ばかり顔を出す。その中で映画3本子供たちは見て、ほとんど機内では寝なかった。
CA時間午前9時。無事到着。
指紋押捺、写真撮影をして入国(14歳以上のみ)。
ターンテーブルからの荷物の引き取り、運搬は宏人が率先してやってくれる。
何もしない研人は税関の人に君もやったらと一言いわれむっとする。
早速携帯で連絡を取り、旦那様との再会。順調に家に戻る。
車中子供たちは眠り込む。
Teddyからの大騒ぎの歓迎を受ける。これがたまらなくうれしい。
宏人はベッドで高鼾。絵里と私も少し寝る事にする。
が、研人は一人シャワーを浴びテレビを見ている。
只今日本時間夜中の3時。 結局研人はお昼寝もせずに夜まで。
宏人は7時からギターレッスンに出かける。
絵里のバレーボールと研人のサッカープラクティスはお休みする。
冷蔵庫はからっぽ。でも買い物に行く気はしない。
Teddyのお散歩も旦那様がまたやってくれた。
夕飯は” Chills”完璧アメリカンも悪くない。
夢のような10日間が終わった。
私も地に着いていない毎日だったんだもの、子供たちはさぞバケーション気分で最高の10日間だった事でしょう。
皆様お世話になりました。素敵な10日間をありがとう。
そして旦那様とTeddy, お留守番ありがとう。