9/08/2011
ケータイ
ケータイは実に便利である。
などと今さら笑われそうだが、利便性を追求してできた結果だから、と言ってしまえばそれまでである。
その過程の中で、本来の電話機としての機能は、今や「付いているだけ」とも思える。
なぜそんなことを言っているかといえば、先日ケータイがなくてえらい目にあったからに他ならない。
会社のバス車中に、私のケータイがするりとぬけ落ちてしまった(らしい)。
バスを降りるときにないことに気が付き、いちおう椅子の下も見たのだが、滑ってどこかに移動していたのだろう。ロッカールームかもしれないと思い、大して気にせず同僚と話しながら、電車のホームに向かった。。。駅まで迎えに来てもらう連絡をしないと。。。さもなくば駅から50分、徒歩で帰ることになるわけで。
いつもなら何分の電車に乗るかを、ケータイからメールで送る。それだけのこともケータイが頼りである。
搭乗駅から家に電話を入れる。電話番号は記憶が頼りである。なにせ、ケータイのメモリーから電話をかけるのがフツーになっているのだ。
家の電話にはだれも出ない。きっと来日中の娘と、夕飯の材料でも買いに出ているのだろう。仕方がないので、下車駅から再度電話をするが、だれも出ない。留守電にもなっていない。
かばんに入っていた古い電話帳を頼りに、奥方のケータイ番号に電話をすると、3回目くらいに出たのは、奥方よりかなり年配の女性でした。案の定、電話帳には昔の番号が書かれていたようである。
仕方ないので、歩いて帰ることにした。明日はケータイが見つかるといいな。途中暑いのでシャツを脱ぎランニング姿になるが、すれ違う人はいないし街灯はないし、人目を気にする必要はない。そのかわり森の中の真っ暗な近道を使えず、イナゴが顔に向かって飛んでくる田んぼの中を、ひたすら家に向かう。
家に帰ると奥方と娘が戻っており、そんなもんだよなと間の悪さを嘆くが、家の電話機には着信履歴が残っていない。
「あんた、どこにかけたのよ」え?
「7009だよ」
「うちは7008」
記憶力に関しては、ケータイのほうが私より、ん~万倍も上なのである。
PS) 翌朝私のケータイは、バスの運転手から手渡されました。
ケータイに期待したいこと。
免許証をケータイに入れて欲しい。
お財布ケータイなのだから、免許が入れば、お財布が要らなくなります。
健康保険証も、病院の診察件も、入ってもいいですよね。
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