2024年の歩き納は、宇都宮の名峰 古賀志(こがし)山
南登山道駐車場に車を停め、御嶽(おんたけ)山から古賀志(こがし)山を目指しますさっそく赤い実をつけていたのは、フユイチゴ(冬苺、Rubus buergeri、バラ科キイチゴ属の常緑匍匐性の小低木)のよう
歩き始めてすぐのところにあるのは、瀧神社の一の鳥居
湯殿山神社、御嶽山神社、古賀志山神社の三つの山神社の祠だが、本社はそれぞれ別の場所にあるという
祭礼で本社に参拝するには厳しい山道を登っていかなければならないところを、氏子や神主の高齢化で、祭礼の継続が厳しい局面を迎えたために、この場所に遷座したという
ここより上の瀧神社境内から引いた鉱泉だというが、廃れてしまったのだろう
登山道は、ほとんど水の無い涸れ沢の岩場を、どんどん登ってゆく
瀧神社は、天仁元年(1108)に、日光二荒山神社の別宮の滝尾神社より勧請し、瀧大権現と称されていたようだ
ご神体は神社脇を落ちる男滝だろうが、水量が乏しく滴り落ちる程度
瀧神社の少し上にある聖観音堂
2体の不動明王に守られ、その奥に聖観音が祀られる
辺りは岩だらけ
今日もお天気が良く、陽が差し込んでいるのが救い
どんどんと高度を上げる
木曾御嶽山のピークのひとつ、アルマヤ天を勧請したことから、アルマヤ堂と呼ばれている
昭和20年代までは洞窟内にお堂があり、中に天狗像があったそうだ
洞窟の奥まったところに、お堂が一つ
いよいよ沢から尾根への直登が始まる
尾根に出ると、筑波と加波山が、霧の上から迎えてくれた
鉄梯子とチェーンを使い、御嶽山(標高560m)と御嶽山神社に到着
登山道は、ほとんど水の無い涸れ沢の岩場を、どんどん登ってゆく
瀧神社は、天仁元年(1108)に、日光二荒山神社の別宮の滝尾神社より勧請し、瀧大権現と称されていたようだ
ご神体は神社脇を落ちる男滝だろうが、水量が乏しく滴り落ちる程度
写真ではわからないと思い動画を撮ったが、横向きになってしまった
瀧神社の周囲は岩に囲まれており、クライマーの良い練習場になっている
瀧神社の向かいにも祭事場があるのだが、詳細不明瀧神社の少し上にある聖観音堂
2体の不動明王に守られ、その奥に聖観音が祀られる
辺りは岩だらけ
今日もお天気が良く、陽が差し込んでいるのが救い
どんどんと高度を上げる
木曾御嶽山のピークのひとつ、アルマヤ天を勧請したことから、アルマヤ堂と呼ばれている
昭和20年代までは洞窟内にお堂があり、中に天狗像があったそうだ
洞窟の奥まったところに、お堂が一つ
いよいよ沢から尾根への直登が始まる
尾根に出ると、筑波と加波山が、霧の上から迎えてくれた
鉄梯子とチェーンを使い、御嶽山(標高560m)と御嶽山神社に到着
御嶽山はかつて中ノ鳥屋山と呼んだらしい
素晴らしい日光連山と
高原山の眺めは、とちぎの景勝100選
有名な山だけあって、登山者も多い
チェーンが無ければ、歩けない
なんだよ、こっち面にはちゃんと岩場ルートと表示があるじゃない
素晴らしい日光連山と
高原山の眺めは、とちぎの景勝100選
有名な山だけあって、登山者も多い
合っているかわからないけど
御嶽山から降りて、岩場を越えて古賀志山へチェーンが無ければ、歩けない
なんだよ、こっち面にはちゃんと岩場ルートと表示があるじゃない
栃木百名山の第72座、関東百名山の第37座で、さらに宇都宮市の最高地点だ
南ルートを一気に下り、古賀志山(写真右)を下から見上げる
帰路の宇都宮市古賀志町で、日吉(ひえ)神社(山王様・鎮守様)に立ち寄る
ほぼ読めない由緒書き
古賀志山系の麓に鎮座する
長治元年(1104)宇都宮氏第2代当主宗綱が、近江坂本の日吉大社より、大山咋神を古賀志山麓の地にお迎えし、山王大権現として祀ったのが始まりという
天正元年(1573)の宇都宮氏と壬生氏の合戦により社殿が炎上し、現在の地に移したという
祭神は大山咋命で、の咋「くい」とは、山麓の田畑の作物をグイグイと育てて下さる御神徳を指したらしい
帰路の宇都宮市古賀志町で、日吉(ひえ)神社(山王様・鎮守様)に立ち寄る
ほぼ読めない由緒書き
古賀志山系の麓に鎮座する
長治元年(1104)宇都宮氏第2代当主宗綱が、近江坂本の日吉大社より、大山咋神を古賀志山麓の地にお迎えし、山王大権現として祀ったのが始まりという
天正元年(1573)の宇都宮氏と壬生氏の合戦により社殿が炎上し、現在の地に移したという
祭神は大山咋命で、の咋「くい」とは、山麓の田畑の作物をグイグイと育てて下さる御神徳を指したらしい
嘉永3年(1850)再建の本殿には、見事な彫刻が施されている
古賀志はかつて「古橿」と書き、日吉神社にあるこの古いカシの木にちなんで命名された、という説があるが、日光男体山頂遺跡から出土した経筒に「故賀志」と書かれていたことに由来するという説が有力なようだ
かつて社殿は大木の森の中で、道路からは見えなかったが、丸裸になり、かえって古賀志山を直接お守りしているようにも見える
かつて社殿は大木の森の中で、道路からは見えなかったが、丸裸になり、かえって古賀志山を直接お守りしているようにも見える
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