12/24/2024

2024/12月のハイク(足利)


2024/12/12 (Thu)
佐野市と足利市の境界にある大小山(だいしょうやま)を目指す
山腹の崖に大きく「大小」の金属プレートが取り付けられている
別名を鷹巣山(たかのすやま)とも言うらしい
麓の天台宗 大小山 樹王院 鳳仙寺(ほうせんじ)
釈迦如来、不動明王、聖観音菩薩、千手観音、地蔵菩薩を本尊とする、ゆるーい感じのお寺さん
所狭しと、お堂が並ぶ
本堂には釈迦如来様かな
不動明王堂
鳳仙寺下の登山者用駐車場から、登山口入り口へ
妙義山へのコースで登り、大小山を経て下山する予定
登山口の駐車場は、20台ほどの車がびっしり
獣除けフェンスを開けて山に入り、コーナーを一つ曲がったら、いきなりすごい路
土の抉られ方が半端なくとても歩けないので、左側の林の中を、木の枝を頼りに登る
難所を乗り越えると、稜線に出た
佐野側の街並みが見える
大小の文字が、近くなってきた
大天狗・小天狗の住むという修験の霊山だったことから、大小山と言うらしい
地層がむき出しの、岩盤の山を登る
中腹の休憩所から、三毳山と筑波山

と思いきや鎖場、ロープ場があり、かなりの急坂
鎖場の上にある大穴は、マンガン採掘跡だという
天狗の住処のようでもある「大岩」

さらに稜線を歩き
西側の視界が開けるとともに、富士山も顔を出す
大小の文字と並ぶ高さまで来た
この先が山頂だろうが、かなりの難所と思われ、ぐるりと右にまいた先に人影があり、そちらへ回り込む
こちら側も難所には違いないが、ロープが敷かれている分だけ登りやすそう

北側に日光白根と男体山
何とか登頂、と思いきや10m程先に山頂がある
眺望が良いので、とりあえずパノラマを

最後の崖をよじ登る
着きました~
標高313.8mの妙義(鷹巣)山山頂
ただし国土地理院地図では、ここが大小山となる
3つの山の名を持つピークは、珍しいかもしれない
山頂からの眺めは、360度グルっと遮るものが無い
南西方向の富士山は、手前の松の木の左枝よりやや左に
北西側には、手前の円錐形の大坊山の左に、雪を抱く浅間山と、右に榛名山
浅間山と榛名山にズーム
富士山から太平山まで

山頂にいた地元の山好きお兄さんによると、早朝や雨の前が、一番きれいに見渡せるという
ここから見えた、北アルプス槍ヶ岳の写真を見せてくれたお兄さんに頼んで、記念写真

登りと反対方向に下るが、ロープが無い!
鎖も無い!
一山下り、次のピークに大小山の看板
国土地理院とは別に、ここを栃木百名山の95座、大小山(標高282m)としている
ここでおにぎりを頬張る
さらに下ってはピークを越え、下ってはピークを越え
大小山が遠ざかってゆく
正面に富士を眺めながらの稜線下り

標高213mのピークを最後に、急坂を一気に下り、下山
登山口の足利市西場町にある阿夫利(あふり)神社の祭神は、石凝姥命という
天照大神の岩戸隠れの際に、八咫鏡(やたのかがみ)を作った女神で、作鏡連(かがみづくりのむらじら)の祖神だという
また、邇邇芸命が天孫降臨する際も、五伴緒神として随伴している
文化年間(1804~1818)に大小山に創建され、初めは石尊宮と称したが、明治維新の際に阿夫利神社と改称したそうだ
本日のハイクまとめ
距離が2倍近く異なるのは、いかがなものか

妙義山山頂でお兄さんと話し込み、大小山山頂でおにぎりを食べた


登山口までのドライブ途中に見かけた、「西場の百観音」へ寄り道

足利市西場町の通称「観音山」南麓斜面に、寿山 勧行寺(かんぎょうじ)があったが、いつの頃か廃寺に
寺への登り口に立つイチョウが美しい


イチョウの広場にある御堂には、大日如来が廃寺を見守っていらっしゃる
勧行寺にあった鐘楼は梵鐘とともに、戦争により無くなったという
大阿闍梨円海和尚が、西国33箇所、坂東33箇所、秩父34箇所の計百番の霊場巡礼を勧進し、その功徳を村人と分かち合おうと、勧行寺僧侶が残したものだという











勧行寺跡の前の石造勢至菩薩供養塔は、寛政8年(1796)に造られた


勧行寺跡のお隣、足利市稲岡町の新義真言宗 豊山派 孤峯山 龍泉寺

大正6年(1917)に竣工した釣地橋は、擬宝珠形の高欄をモチーフにした御影石造の石橋
山門脇のイチョウが、こちらも光り輝いている
センニンソウがたくさん

仁王門
首が落ちて後からセメントで作られた、かわいいお顔

金剛力士像2体は、市指定重要文化財(彫刻)

石段の上に立つ稲岡観音堂も、市指定重要文化財(建築物)

寛文5年(1665)より以前に建てられたという
県の文化財の、木造聖観世音菩薩像は、厨子に納められているそうだ
1860年頃、近くの堂が火事になり、半分が焼けてしまったという、樹齢800年ほどの市指定天然記念物カヤの木

今では町民が管理しているお寺だそうだが、お隣の勧行寺同様の運命をたどる日は、近いと感じた
2024/12/20 (Fri)
今日も足利の天狗山を目指す
足利市さいこうふれあいセンターに車を停め、今日歩く山を眺める
先ずは足利市通7丁目の浄土宗 供養山 三寶院 清水寺(三宝院)


延應元年(1489)に舜智上人が開山となり創建

境内には藤原秀郷(ひでさと)の末裔で、天喜2年(1054)足利両崖山(りょうがいさん)に居城した、足利大夫藤原成行(しげゆき)の弟 行房(ゆきふさ)の子で、大治元年(1126)に没した藤原行国の墓塔があるそうだ
続いて、時宗 称名山 常念寺
足利七福神(毘沙門天)
一遍上人の法孫が遊行中荒廃した寺の再建に尽くされたと伝えられ、平安末期(1143年)創建といわれている、仏舎利泰安の寺
常念寺の脇から、天狗山へのハイキングコースが始まります
1つ坂を登ったところにあるお堂は、臨済宗 建長寺派 多宝山 福厳寺管轄の子安観音と観音堂
享保21年(1736)、寺の修築工事の際、裏手の岩窟の中から「鉄板」と「観音像」が発見され、源姓足利義兼公(鑁阿寺・鎌倉浄妙寺の開基)と時子夫人(源頼朝夫人北条政子の妹)の守り本尊と伝えられる、四明道人が作ったという子供を抱いた10㎝位の白銀の立像「子安観音」だとわかった
文治4年(1188)、時子夫人が御懐妊の時、義兼公の懇情により理真上人が「お腹の中の女の子を生まれるまでに男の子に変える呪法」、つまり“変成男子の修法”を行った時に用いられた仏像で、源姓足利三代義氏公の誕生に縁深い観音様だという
建久9年(1190)義兼公の本願により、霊験あらたかな観音像を祀る堂宇が建立さたのが、この観音堂だという
子安観音は「秘仏」とされ、福厳寺に安置されており、観音堂には行基作と伝えられる「千手観音」が祀られている
この観音様は、宝永6年(1709)開創の「足利坂東三十三ヶ所観音霊場」の第31番札所および、令和3年から始まった「足利三十三観音霊場巡り」の第8番札所「子安観世音菩薩」、さらに足利七福神でもある
こちらの立像は、聖徳太子様だろうか?
明和3年(1776)から大正3年(1914)に建てられた庚申塔、その数163基が観音堂の先に祀られている
中国の道教に由来する庚申信仰で、悪疫などの侵入を防ぐと信じられ、江戸時代には庶民の間でも隆盛をきわめたという
よく見ると、中央の剣人型六臂青面(しょうめん)金剛像の台座には、見ざる・聞かざる・言わざるの三猿が彫られている
明るい雑木林の中、落ち葉を踏みしめて坂道を登る
どんどん登る
西の空は霞んで、富士山の頭がわずかに見える
北の空は澄みわたり、浅間山がくっきり
最初のピークは、足利百名山の56座、観音山(標高130.8m)
足利市街と渡良瀬川が見渡せる
2つ目のピークは、足利百名山の43座、須永山(154m)
須永山のボード下に202Mと書かれているが、マジックで消されて154と書かれている
ここからは赤城山が良く見える
3つ目のピークは、つる山(153.7m)
左の榛名山と右の赤城山の間に見える雪山は、方角的には草津白根と苗場山
おそらく草津白根山
これらは、これから挑む山

天狗山との中間点
天狗の牙という岩
こちらはゴジラ岩
ゴジラの背びれのようでしょ
2021年の山火事による被害が、痛々しい
熊がいるのかなあ
4つ目のピーク、かわら山(202m)に到着
ここに富士見岩という見晴らし台がある

富士山はかすかに見える程度に霞んでしまったが、関東平野が一望できる


天狗も火の用心を願っている
5つ目のピークは岩山だ

無名のピークのようだが、最終目的地の天狗山をバックに
天狗山に到着
山頂には山神社の石祠と天狗のお面(ご長男だそうです)
祠の説明は、Netでも見つからず、正体不明

6つ目のピーク、天狗山(標高258.7m)に到着
足利百名山の30座だが、栃木百名山には選ばれていない

帰りは来た道を引き返し、ピーク二つ戻ったところから日蓮宗 棲龍山 本経寺へ下る
本経寺は前回(2023/12/04)訪問していたと思ったが、夕方になったので通過していた
今日で二度目の素通り、ごめんなさい
今日すれ違ったハイカーは、11人でした






2024/12/24 (Tue)
三週連続の足利山歩き
今日は大坊山を目指す
指定の駐車場は、坂を登った先の大坊山の中腹にある
目の前は、足利市大沼田町の大山祇(おおやまづみ)神社

天養2年(1145)東の空に彗星が現れた際、第76代近衛天皇は国家の災害を憂い、山城国(現在の京都府南東部)の男山と賀茂の2社で臨祭を行った
両社の別当は、久安元年(1145)に大坊山山頂に山神社を創建した
主祭神は、山々の精霊を総括支配する大山祇命で、国家安全と五穀豊穣を祈願した
山頂の社殿は、1965年に落雷により焼失し、氏子たちにより中腹の現在地に、1969年に再建された本殿
拝殿から一段下がった場所の、神楽殿は1972年の再建
江戸時代から続く神楽奉納は、市の重要無形文化財
大山祇神社から大坊山へ登り、尾根伝いにハイクして下山すると、駐車場までの長いアスファルト道を登り返さねばならない
これは厳しいと判断し、先にアスファルト道路を下り、逆コースで大坊山を目指す
このルートは、足利市観光協会と足利市観光振興課が発行しているハイキングマップ、および市役所のHP内のコースマップにはあるが、YAMAPの地図には無い
かつてはハイキングコースだったが、台風やら山火事やら外出自粛やらで荒れ放題となり、その後だれも手を入れなくなった道だと気づいたときには、すでに引き返すことができない場所まで登ってしまっていた
岩肌に枯葉が積もり、足元がかなり悪く、頼りになりそうな木も、つかむとポキンと折れてしまう
国有林の中で、10本以上の木の枝を折ってしまいましたが、こちらも必死です
イノシシたちの獣道が交錯する中、これを登れば正規のルートに出れることはわかっている
2時間弱の格闘の末、ようやく尾根道の正規ルートに合流できた
YAMAPに載っていない道は、人は入り込んではいけないことを、身をもって実感した
富士山が迎えてくれた
中央の山が、これから向かう大坊山
左から、足利鉱山の山~越床山~妙義山(大小山)
太陽の左下が大坊山

先週と違い、雪をかぶった赤城山
今日も北の見晴らしは良く、浅間、榛名、赤城の山が良く見える
南側の眺めも開けてきて、都心から富士山も仲間に加わる
足利百名山の24座、つつじ山(278.1m)
道なき道を2時間登った後は、こんなのは坂道にも入らない
快適そのものの尾根道が続く
大坊山に登る手前から、生死をさまよった森が見える
山の影と光の当たる境目辺りが、戦場だった
ひょいひょいと岩場を登ると、足利百名山の20座大坊山(285.5m)の山頂広場に出た
昭和10年(1935)に、延べ2千数百人の勤労奉仕により、この山頂広場に、総檜造り銅板葺き本殿と神楽殿が完成し、春秋の例大祭には屋台も出店し大賑わいだったが、1965年に落雷で全焼してしまう

中腹に社殿を移し、神楽殿も移動した後は、奥宮と数本の石碑が取り残された感じ

浅間山も美しいものだな

奥の宮から参道を下り本殿に到着し、今日の無事を感謝していると、丁度西日が差し込んできたので、大山祇命のお写真をいただきました
今日は想定外のことがあったので、この後の温泉もお寺訪問もやめて、まっすぐ帰宅しました



今日出逢った動物:
奥の宮下の石段で、老人男性一人とすれ違う

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