著名な鹿島神宮、香取神宮詣でを計画した際、前の2神宮と二等辺三角形を作る頂点(神栖市息栖)にある息栖(いきす)神社をお忘れなく
息栖神社の一の鳥居下には、忍潮井(おしおい)と呼ばれる2つの井戸があり、伊勢(三重)の明星井(あけぼのい)、山城(京都)の直井と、神栖市の忍潮井(おしおい)で「日本三霊泉」だという井戸はそれぞれ「男瓶」「女瓶」という名の2つの土器から水が湧き出ているが、現在の井戸は昭和48年(1973)の河川改修のため、移転しているという
忍潮井の上に建つ一の鳥居は、鹿島神宮の南の一の鳥居でもあるという
香取海に浮かぶ沖洲に祀られていたことに由来する、沖洲(おきす)が転訛して、息栖(いきす)となった、鹿島神宮の境外摂社のひとつだ
一の鳥居から二の鳥居へ向かう
江戸時代には、利根川の河川改修で水運が発達したため遊覧船も行き来し、庶民の間で伊勢神宮参拝後に、東国三社を巡拝する慣習「下三宮参り」があったという
一の鳥居から本殿まで、一直線に構成される
古くから香取神宮・鹿島神宮と並んで「東国三社」と称された息栖神社だが、『延喜式神名帳』には記載がなく、『日本三代実録』において仁和元年(885)に「於岐都説神」の記事があり、この「於岐都説神」が息栖神社を指すものとされ、この場合を旧社格制度の「国史見在社」というそうだ
息栖神社の創建は、第15代応神天皇の代(362~430年)に現・神栖市の日川の地(現在地より海側)に創建され、大同2年(806)藤原内麻呂によって現在地に移転したという神門は弘化4年(1847)の造営時のもの
社殿は享保7年(1722)造営で、華麗なものであったというが、昭和35年(1960)に火災で焼失した
主祭神の岐神(くなど、くなと、久那戸、気吹戸)とは、牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されており、鹿島神・香取神による葦原中国(出雲の国)平定において、東国への先導にあたった神
社殿は享保7年(1722)造営で、華麗なものであったというが、昭和35年(1960)に火災で焼失した
主祭神の岐神(くなど、くなと、久那戸、気吹戸)とは、牛馬守護の神、豊穣の神としてはもとより、禊、魔除け、厄除け、道中安全の神として信仰されており、鹿島神・香取神による葦原中国(出雲の国)平定において、東国への先導にあたった神
副祭神は、天鳥船命 (あめのとりふねのみこと、天鳥船神、天鳥船):神が乗る船の名前で、鹿島神の副神として葦原中国平定に赴いた神、と、住吉三神 (すみよしさんしん、住吉大神):上筒男神(大日如来)、中筒男神(阿弥陀如来)、底筒男神(薬師如来)の3柱の総称で、海で生まれているため、航海で大事な神だったのだろう
昭和35年(1960)の火災で焼け残った礎石
社務所の人達から、「お食い初めの石(歯固め石)」の話も聞けた
摂末社の稲荷神社
立派な本殿と神域を持つ
社務所の人達から、「お食い初めの石(歯固め石)」の話も聞けた
お食い初めは、一生食べ物に困りませんようにと願う儀式で、歯固めの儀式は、赤ちゃんに丈夫な歯が生えることを願うために行う儀式だが、お宮参りの際に、お食い初めで使用する歯固め石や、祝い箸をいただける神社もあるそうで、こちらの白い石は、境内で拾った石に祈祷をささげてあるとのこと。「上の歯と下の歯の2個どうぞ」といただいてきたが、はて
境内社の、鹿島神社、伊邪那岐神社、高房神社、奥宮の4柱合祀社(左)と、香取神社、手子后神社、八龍神社、江神社、若宮の5柱合祀社(右)摂末社の稲荷神社
立派な本殿と神域を持つ
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