霞ケ浦と太平洋を結ぶ常陸利根川を渡り、東国三社詣の最後は、利根川下流右岸の「亀甲山(かめがせやま)」と称される丘陵上に鎮座する、千葉県香取市の香取神宮へ
亀甲堂の由来がわかりましたね
参道には美味しそうなお店がいっぱい
二の鳥居は、赤鳥居とも呼ばれる
鹿島・香取両神宮とも、古くより朝廷からの崇敬の深い神社だが、その神威の背景には、両神宮が軍神として信仰されたことにあると言われている
亀甲堂の由来がわかりましたね
参道には美味しそうなお店がいっぱい
二の鳥居は、赤鳥居とも呼ばれる
両神宮には、毎年朝廷から勅使として鹿島使(かしまづかい)と香取使(かとりづかい)、(まとめて鹿島香取使)の派遣があったが、伊勢・近畿を除く地方の神社において、定期的な勅使派遣は、両神宮のほかは宇佐神宮(6年に1度)にしかなく、毎年の派遣があった鹿島・香取両神宮は極めて重要であったのか、信頼が薄かったのか
また両神宮は、それぞれ常陸国鹿島郡・下総国香取郡が神郡(しんぐん、かみのこおり、かみごおり)すなわち郡全体を神領とすると定められており、郡からの収入はその神社の修理・祭祀費用に充てられたという
神郡に定められた地には、鹿島・香取のほかに、伊勢神宮、安房神社(千葉県で次回訪問予定)、熊野大社・出雲大社(島根県)、日前神宮・國懸神宮(和歌山県)、宗像大社(2022/12/14訪問済み)がある
参道を進むと、三の鳥居に出る
創建は、鹿島神宮に遅れること18年、初代神武天皇18年(紀元前642年)と伝える藤原氏の氏社として春日社(現・春日大社)が創建されたとき、鹿島から武甕槌命が神鹿に載り、第一殿として奈良に迎えられたことは、先に記したが、香取神宮からは、香取神である経津主命が、第二殿として春日社に勧請された
総門の右手にある神徳館の門(勅使門)は、旧大宮司邸の表門の転用で、天明元年(1781)の造営、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、屋根は茅葺で、千葉県指定文化財
いつものように、本殿をぐるりと鑑賞
総門の右手にある神徳館の門(勅使門)は、旧大宮司邸の表門の転用で、天明元年(1781)の造営、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、屋根は茅葺で、千葉県指定文化財
楼門は国の重文で、香取神宮のシンボル的建物なのに、やはり12年に1度(次回は鹿島神宮の御船祭と同じ2026年開催)の式年神幸祭(しきねんじんこうさい、軍神祭、軍陣祭)に合わせた改修中だ
楼門を抜けると、荘厳かつ重厚な拝殿
昭和の大修築による造営だが、黒漆塗、組物・蟇股には極彩色が施されている
元禄13年(1700)に江戸幕府による造営が行われ、この時の本殿はじめ主要社殿が、現在に伝わる国の重文いつものように、本殿をぐるりと鑑賞
樹齢1,000年といわれる杉のご神木
総門手前のカエデとイチョウが、逆光に透けてきれい
総門をぬけずに旧参道の方へ下ると、ここにも要石がある
鹿島凹・香取凸の要石は大鯰の頭と尾を抑える杭と言われ、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないという
総門手前のカエデとイチョウが、逆光に透けてきれい
総門をぬけずに旧参道の方へ下ると、ここにも要石がある
鹿島凹・香取凸の要石は大鯰の頭と尾を抑える杭と言われ、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないという
要石から抜けると、香取護国神社
ここで一端、新表参道へ出る
駐車場わきから奥宮(おくのおみや)へ
ここで一端、新表参道へ出る
駐車場わきから奥宮(おくのおみや)へ
力自慢の鹿島神(武甕槌大神)と、足の速い香取神(経津主神)はともに、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神の命で、葦原中国(出雲の国)を治めていた大国主大神(天照大神の弟)から、地上の国を取り上げた(国譲り)功績で、東のはずれを守る神となったわけだ
国譲りの後日談では、大国主の息子(建御名方神)が国譲りを渋り、鹿島神と力比べ(相撲の始まり)を挑み、負けて逃げ出したので、信濃の国で捉え、諏訪大社に閉じ込め、親父の大国主も出雲大社に閉じ込めた
よくある勢力争いだよな
12年に1度とはいえ、いまだにお互い行き来する仲なのだから、鹿島神と香取神は長い付き合いだそして国譲りの遠征と、神武東征にお供した息栖神(天鳥船神)も交えて、トリオを組んでいるわけだ
こうなると、天照大神 イコール 神武天皇と思わざるを得ない
属っぽく言えば、天下統一を夢見た高千穂の神武が、出雲の統治者を破り、奈良の統治者(長髄彦)をも破り、政権を取ったということだ
さらに部下たちを東に向かわせ、東の果てまで来たが、その先には縄文時代からの統治者(蝦夷、えみし)がおり、手は付けられなかったというところだろうか
香取神宮表参道の「梅乃家本店」の、みたらし団子とところてんのセットで、疲れも取れた
帰路の茨城県筑西市の台湾料理「福都」で、天心セットとあんかけ焼きそばを平らげて帰宅
① 奈良県桜井市の「大神神社」大物主大神
② 三重県熊野市の「花の窟神社」イザナミノミコト
③ 三重県伊勢市の「伊勢神宮」天照大御神・豊受大御神
④ 兵庫県淡路島の「伊弉諾神宮」イザナギノミコト・イザナミノミコト
⑤ 鈴鹿市山本町の「椿大神社」猿田彦大神
⑥ 長野県長野市の「戸隠神社」天表春命・天鈿女命・天八意思兼命・九頭龍大神・天手力雄命
⑦ 熊本県玉名市の「疋野神社」波比岐神
などなど
そもそも飛鳥時代以降に歴史が始まったわけではなく、信仰という文化自体は弥生時代や縄文時代以前からあったはずで、自分たちの住む家もろくにない時代に、神殿を作ってお参りする発想はなかったであろう
しかし、飛鳥時代に入り、ここに神殿を造ろうと思った場所は、きっと太古の昔から祈りの場所であったはずで、すでに神を祀る場所であったと考えられる
一番古い神社の場所なんて、「神のみぞ知る」世界ですね
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