9/08/2025

2025/9月のハイク(羽黒山)

2025/9/08 (Mon)

スーパーホテル山形・鶴岡の隣は、セブンイレブン
朝食が6:30開始なのは、一日が長く使えて、嬉しいサービス
お風呂も一晩中利用可能
2日目の今日は、羽黒山へ向かう
最初に現れる羽黒山大鳥居は、高さ24m、幅15m、最上部幅32mの両部鳥居で、大きさでは東北第1位だというが・・・
お天気ならば、右手に大きく月山の山姿が見えたはず
随神門を右に曲がった駐車場に車を停める
奥の幟に「ご利益とゴミは 持ち帰りましょう」の粋な言葉

新しい休憩所兼トイレ
なるほど、碧・蒼・橙で三山を表すのは、新鮮だ
まだ行ってないけど
石鳥居
三山の扁額
随神門~五重塔までの案内図
3Dで表示してみた
続いて山頂までの案内図
随神門の手前に、須佐之男命(スサノオ、黄泉国の汚穢を洗い清める禊で、鼻を洗い清めたとき生まれた神、アマテラスや月山のツクヨミの弟)を祀る天地金(てんちこん)神社
応永4年(1397)に、学頭の法性院尊量により開かれ、1586年に学頭の宝勝院尊量(年代と漢字が異なるが、どちらが正しいか?)により創建されたとされる
安永8年(1779)羽黒山大先達寺の智憲院宥然が「元三大師像」を御本尊とし大師堂を再興した
神仏分離令により出羽三山から仏式は廃されたが、随神門より外側だった為か、大師堂は破却を免れ、仏教色の強い大師堂として存続した
昭和39年(1964)改めて須佐之男命の分霊を勧請し神式となり、出羽三山神社の末社となった
ちょうど巫女さんが扉を開いているところで、今日の一番参拝者となった
向拝(こうはい、岩根沢三山神社で習ったが、参拝者が礼拝する場所を雨から守る階隠(はしかくし)、ご拝、御拝とも呼ばれる)柱の赤い登り龍と下り龍の彫物は、須佐之男命が鎮めた八岐大蛇をあらわしているそう
隣には「豆腐地蔵尊」
出羽三山神社の表玄関の随神門は、元禄年間秋田矢島藩主より寄進された、明治以前は仁王門
豊石窓神(とよいわまどのかみ)と櫛石窓神(くしいわまどのかみ)が剣と弓矢をもって鎮座していたそうだが、留守だったような
写真を拡大してみたら、ひそかにいらしたみたい
この先は石段登りが続くと思いきや、いきなり下り
参道沿いに立ち並ぶスギは、樹齢350年から500年を越す老杉
生(な)さぬ仲の継母が、先妻の子につらくあたり、この辺に捨てたことから、継子坂(ままこざか)
昨日は大雨で、石段脇を雨水が滝のように流れている
下りきったところに、磐裂神社、根裂神社、五十猛神社、大年神社、天神社、豊玉姫神社が並ぶ
神橋を渡る
三途の川と言われる祓川(はらいがわ)は、その名のとおり羽黒山へ登るために身を清めた川だというが、今日の濁流では無理だ
滝は承応3年(1654)別当天宥により月山々麓水呑沢より、約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落した人工滝で、「不動滝」と名付けたが、明治以降に出雲神話から、現在の「須賀瀧」へと改名された

普段はこんな大水量ではないらしい

濁流の三途の川を恐々渡ると、左に岩戸分神社、右に祓川神社
後ろを振り返る
二つの社の間には、奉納された不動尊像と梵天が祀られている
再び祓川を渡り参道へ戻ったところにある、下居社(おりいしゃ)
羽黒山は、花の百名山(ミヤマヨメナ)なのだが、黄色い小さな花は、葉が丸みを帯びているので、ヒメキンミズヒキだろう
ツリフネソウですね
オオハンゴンソウかな?
樹齢約千年の爺杉は、羽黒山内最大最古のスギで、国指定特別天然記念物
雨が本降りになってきた
見えてきたのは、羽黒山五重塔(国宝)
修復が終わるのを待って来た甲斐があった、圧倒的な存在感です
高さ96尺(29m)、三間五層の杮葺(こけらぶき)・素木造り(しらきづくり)の塔は、900年代半ばに、平将門(たいらのまさかど)あるいは、将門の娘・如蔵尼(にょぞうに)の建立され、現在の塔は、応安5年(1372)庄内の領主で羽黒山の別当職大宝寺(武藤)政氏が再建したと伝えられる
ニホンマムシ(日本蝮、Gloydius blomhoffii、クサリヘビ科マムシ属のヘビ、毒蛇)が五重塔への道を開けてくれた
塔内には、聖観音、軍荼利明王、妙見菩薩を安置していた仏教式建築物の1つで、神仏分離で取り壊されずに残されたが、以後は大国主命(オオクニヌシ)を祭神として祀る、出羽三山神社の末社、千憑社(ちよりしゃ)となっている
しかし神仏分離の際、出羽三山はどのような理由で、神社を選んだのだろう
古くは瀧水寺の五重塔と言われ、附近には多くの寺院があったが、今はなく五重塔だけが残った
キバナアキギリからいよいよ一の坂が始まる
大杉が立ち並ぶ石段を、ひたすら登る

ヒヨドリバナ
この辺りまで浜だった大昔、この石は光を放っており漁師が灯台の代わりにしていたという火石
平日だし、朝早いし、雨だし、人もまばらでゆっくり楽しめます
キンミズヒキ


クジャクシダ(孔雀羊歯、Adiantum pedatum、ホウライシダ科ホウライシダ属の夏緑性のシダ植物)
ウドかな?
ウドはウコギ科タラノキ属で、セリ科ハナウド属やセリ科シシウド属ではないのが面白い
写りが悪いが、真ん中より下にできつつある種の形から、
ヌスビトハギ(盗人萩、Desmodium podocarpum subsp. oxyphyllum、マメ科ヌスビトハギ属の多年草)ではないか?
不明
二の坂茶屋は9時から営業していたが、帰りに寄らせていただこう

ミヤマイラクサ(深山刺草、深山苛草、アイコ、イラ、エラ、アエコ、イラナ、アエダケ、Laportea cuspidata、イラクサ科ムカゴイラクサ属の多年草)かな?
雌雄同株だが、円錐状に開いているのが雄花序、真っすぐ伸びているのが雌花序だという
ノブキのようです
ノブキの葉

不明

モミジガサかな?
三の坂途中にある、埴山姫(はにやまひめ)神社
赤い紐を社殿の格子に結び、願いを込めて祈ることで、良縁が結ばれるといわれる縁結びの神
祭神は、埴山姫命(ハニヤス、土の神、カグツチを生んだ後のイザナミの死の間際の苦しみのなか、嘔吐や脱糞失禁をするが、吐物からは鉱山の神カナヤマヒコが、大便からは土の神ハニヤスが、小便からは水の神ミヅハノメが生まれた)


羽黒山 斎館
山頂の鳥居が見えてきた
エゾニュウだと思う
昔は、江戸講中より寄進された青銅の鳥居だったそうだが、戦争で供出されたため、庄内の生徒や学童の寄付によって再建されたという


山上は開けた台地になっており、左手に厳島神社と蜂子(はちのこ)神社がある
出羽三山を開いたと言われる蜂子皇子を祀る
蜂子皇子は、欽明天皇23年(562)崇峻天皇の第三皇子として誕生したが、崇峻天皇5年(592)蘇我馬子による崇峻天皇暗殺後、従兄弟にあたる聖徳太子によって匿われ、宮中を脱出して、丹後国由良(現在の京都府宮津市由良)から曾祖父の継体天皇ゆかりの地に向け、海を船で北へと向った
越前、越後、佐渡島を経てイツハ(イデハ)の里にたどり着いた時、舞台岩の上で、八人の乙女が笛の音に合わせて神楽を舞っているのを見て、皇子はその美しさにひかれて、近くの海岸に上陸した(皇子が由良から来たので、由良海岸と呼ばれる)
八乙女浦という地名は、その時の八人の乙女に由来する
蜂子皇子は修行の地を求め羽黒山に向かうが、山中で迷い込んでしまい、この時現れた方羽根八尺の三本足の霊烏(ヤタガラス?)に導かれ、羽黒山に登り羽黒権現(観世音菩薩)を感得し、皇子を導いた霊烏にちなみ、羽黒山を開いたという
後に羽黒山の南の嶺に登ると阿弥陀如来により來迎され、その峰を月山、さらに先に大日如来を見、宝珠を拝むと大きな岩からお湯が湧き出し、その地を湯殿山と称した
羽黒山三神合祭殿(さんしんがっさいでん、国指定重文)とは建物の名称であり、社名は出羽(いでは)神社、または出羽三山神社
屋根の茅葺は、厚さが2.1mもある
右から出羽神社、月山神社、湯殿山神社の扁額
冬季には閉鎖されてしまう月山神社、厳しい修験道の湯殿山へ行かずとも、三山のお参りしたことになるといい、三社の祭典もここで執り行われる
蜂子皇子は、羽黒山山頂に羽黒山寂光寺を建立し、次いで月山神、湯殿山神を勧請して羽黒三所大権現と称して奉仕したが、神仏分離後、大権現号を廃して出羽神社と称し、三所の神々を合祀している
出羽神社単体での祭神は、伊氐波神(イデハ、イツハ(由良)⇒出羽国の国魂神、ウカノミタマと同一視される)、稲倉魂命(ウカノミタマ、スサノオとオオヤマツミの娘、カムオオイチヒメ(神大市比売)との子、トシガミ(年神/歳神/大年神)の弟)
寛政8年(1796)と文化8年(1811)に二度の焼失を受け、復興のため日光医王院の覚諄(かくじゅん)を招き、日光の職人を伴い再建された現在の建物は、文政元年(1818)大工35,138人、木挽・塗師・葺師・石工・彫物師その他の職人55,416人、人足37,644人を使ったものだという
本殿には「三神合祭殿」の額
海老虹梁(えびこうりょう、高低差のある所に用いる湾曲した梁)の上の力神
以前は腕で支えていたが、火事で焼失後は肩で支えているという
元和4年(1618)に再建された鐘楼と大鐘(ともに国指定重文)が、霧に霞む
羽黒山では、五重塔に次いで古い建物で、鐘は建治元年(1275)の銘があり、東大寺・金剛峰寺に次いで古く且つ大きい
修験道の祖・役行者、東大寺建立の行基、加賀の白山の泰澄、真言密教の開祖・空海(弘法大師)、天台密教の開祖・最澄(伝教大師)らが来山し修行をしたという
三神合祭殿前の御手洗池「鏡池」からは、平安時代から奉納されてきた銅鏡が約600枚も出土し、うち190面が国の重文として、出羽三山歴史博物館に展示されているという
先祖の御霊を供養する「霊祭殿」は、昭和58年(1983)に再建された


寛永18年(1641)第50代天宥別当は、徳川家康の懐刀、黒衣の宰相と呼ばれた、幕府の宗教顧問である東叡山の南光坊天海の弟子となり、羽黒一山を天台宗に統一すべく、東照権現(日光東照宮)の羽黒山勧請の周旋を申し出た
天台宗への改宗には、争いごとも絶えなかったようで、衆徒らの反発で幕府に訴えられ、流罪先の新島で亡くなったそうだ
後に羽黒山「中興の祖」と言われるようになった
天保2年(1645)鶴岡城主酒井忠勝が寄進した「東照宮⇒東照社」
東照社の横に、ずらりと並ぶ末社は左から、大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社


蜂子皇子は出羽三山の発展の為、数多くの神社や寺院を創建し舒明天皇13年(641)、享年80歳でこの世を去った
墓域は羽黒山山頂とされ、明治時代に宮内庁によって比定、現在でも東北地方で唯一の皇族の墓として宮内庁が管轄している(他説あり)

南側の赤鳥居
霧の中の鐘楼が、実に美しい
羽黒山は「現在」と言われるが、現生を漂っている祖先の霊が、羽黒山で供養されることにより、月山という「浄土」へと導かれてゆくのではなかろうか
鏡池越しの三神合祭殿も、霧で神秘的
伝説によると、かつて日本海に蒙古軍の襲来があった際、羽黒山の鏡池より「九頭龍王」が日本海へ飛んでこれを撃退したのだという謂れがあるそう
羽黒山三神合祭殿再建200年奉祝記念事業に伴い、2018年に合祭殿向こう正面の鏡池前に建立された、右に昇龍、左に降龍の2柱の桜御影石の石柱は、高さ約3メートル
龍と言えば、こんな出羽三山の巡り方もあるようだ

羽黒山山頂をあとにして、石段を下る
茎の模様はまさしくマムシグサですが、葉軸が1本で、実より葉が上にあり、分布域から、
ヒトツバテンナンショウ(一葉天南星、Arisaema monophyllum、サトイモ科テンナンショウ属の多年草)または葉軸が2本の
オオマムシグサ(大蝮草、Arisaema takedae、サトイモ科テンナンショウ属の多年草)だろう
後ろ姿しか撮れなかったが、ネズミが1匹
不明
ウワバミソウ(ミズ)の実(ミズコブ)
ノブキ
雨も小休止の帰り道
二の坂茶屋で休憩
庄内平野の田園地帯を眺めながら
あんこときなこのミックス餅
水出し珈琲
宇治抹茶を一服




雨も上がり、山頂を目指す客が増えてきた
一の坂の杉並木
五重塔まで降りてきた
往きに見た、小雨の中の塔の方が、魅力的かな
不明
帰路の須賀の滝も、水量十分
アズマシロカネソウ(東白銀草、エチゴシロカネソウ、Dichocarpum nipponicum、キンポウゲ科シロカネソウ属の多年草、日本固有種)の魚の尾状(T字形)に広がる果実
ギンミズヒキ
随神門まで戻ってきた
この奇石を通して天を拝し、修験者の行法を行ったとされる「天拝石(てんぱいせき)」





門前の土産物屋で、山形名物「玉こんにゃく」
今夜は昨日と同じスーパーホテルに泊まるが、明日は宿坊に泊まる
宿坊とは、お寺や神社への参拝者のための宿泊施設で、ここ羽黒山の手向地区には江戸時代には300もの宿坊が立ち並び、麓三百坊と呼ばれていたという
山形県鶴岡市羽黒町手向地区の、天童稲荷神社
宿坊をはじめ、家々の軒下に、注連縄のようなものが飾られている
これらは、松例祭(しょうれいさい)と呼ばれるお祭りで使われた「引き綱」で、火防(ひぶせ)となり、家内繁盛を約束すると言う
毎年大晦日から元旦にかけて、夜を徹して出羽三山神社で行われる特殊神事(国の重要文化財)松例祭は、羽黒修験の四季の峰のひとつ「冬の峰」の満願の祭事であるという
山伏が、五穀豊穣、天下泰平を祈願して行う100日間の修行「冬の峰」の、満願の祭事でもあるという(日本遺産)
桜小路と呼ばれるこの通りには、稲荷神社がいくつもあり、二つ目の聖山稲荷神社

三つ目の東福稲荷神社

明日の宿の場所を確認したので随神門へ戻り、昼食は「お休み処 Zuisin門」で庄内の郷土食「麦きり」と「十割そば」
「麦きり」とは、小麦粉を塩水で捏ねて細く切った麺類で、うどんよりも細く、冷たくしめて、つゆで食べると、つるつるとした舌ざわりで、コシが強く、もちもちとした弾力もある
こちらでは、モロヘイヤを練り込んであり、味と香りもいい感じ
和がらしで味変しますよ、と言われたが、ワサビも良い
十割蕎麦も、つなぎを使っていない割になめらかで、ぶつ切りにならないのは打ちたてだからなのか流石
ツユはどちらも同じもので、醤油が多すぎたが、蕎麦湯は出て来なかったので、薄められず
今日のハイクは、

この距離はおかしいですね


本日であった動物;
ニホンマムシとネズミ
午後はのんびり、山形県鶴岡市羽黒町後田谷地田の羽黒町温泉「やまぶし温泉 ゆぽか」へ


入浴料は一人500円
2,365Na, 1,549Ca-4,351Clのナトリウム・カルシウム塩化物泉で、海水のごとくしょっぱい
溶存物質量8.654等張性-pH7.5中性-泉温62.2℃高温泉, 含む83.9メタほう酸, 53.8メタけい酸

ゆぽかの駐車場から、鳥海山が見えた
スーパーホテルへ戻り、夕食時間まで鶴岡駅前をぶらぶら
ショッピング モールMARICA内の鶴岡市観光案内所に、引き綱の説明があった

夕食は、散々迷った挙句「庄内魚河岸酒場潮彩」
赤しその自家栽培から始まり、作業工程がなかなか時間かかったりと試行錯誤し、ようやく完成したという、赤しそサワー
バイオテクノロジーで、鶴岡産の海ぶどうは、舌の上で溶けて消えます
きゅうりとたくあんの入った「海鮮ばくだん」は、コスパ最高
日本海沿岸で採れるクロザコエビ、庄内では「がさえび」の唐揚げは、甘くて最高
焼きだだちゃ豆は、香り立つ庄内の誇り
庄内うまいもの尽くし
さんま入りお得な刺身五種盛り
切り身の分厚さを、だだちゃと比べて!
庄内の人が、都会の刺身を、刺身と思うだろうか!
〆は安永7年(1778)創業、鶴岡の酒蔵「栄光冨士」の、つや姫を50%磨き酒米に使った、純米大吟醸・無濾過生原酒「日乃輪」
ごちそうさまでした
と言いつつ、がさえびとだだちゃで、ホテルで飲み直し

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