2/27/2024

2024/2月の散歩(県北西部)

2024/2/27
矢板を通過するたびに、気になっていた御前原城(ごぜんぱらじょう)跡
シャープ栃木工場跡地の、広大な敷地内にある
治承・寿永年間(1177年~1183年。間に養和の年号あり)に塩谷頼純により築城されたとする説と、正和4年(1315年)に塩谷頼安により築かれたとする説がある
発掘調査では、御前原城の築城年代は1400年初め頃と推測されていることから、塩谷頼安による築城であろう
現在はゲートボール場となっている、敷地
川崎城とともに塩谷氏の居城だったようだが、御前原城を居館、川崎城を詰め城として使われたのだろう
空堀がきれいに残り、桜の木が植えられている
県指定史跡として、桜の名所の御前原公園となっている
主郭以外の遺構は、シャープの工場用地として開発されて壊滅している
主郭の中央近くに、天文18年(1549)に御殿様が建立した麻疹(はしか)地蔵尊がある

“お地蔵様の粉を病気の子供に飲ませると、はしかが軽く済む”との迷信から、顔を削り取られている、アンパンマンのようなヒーローだ
昼食は、那須町高久乙の8(えいと)餃子
外は大風で、那須岳に降る雪が飛ばされてきて粉雪の舞うなか、あたたかな中華スープで一息
ランチ定食Aは、玉ねぎ、キクラゲと豚肉野菜炒め(洋葱木耳炒肉片)
手前右のヌードルのようなものは、湯葉を揚げたもの
ランチ定食Bは、石鍋白身魚の辛口煮込み(石鍋水煮魚)
白身魚がふわふわの美味しさ
餃子が有名なので、お持ち帰り前庭のエイト焼餃子は、中身ぎっしりで10cmの大きさ
エイト焼パン餃子は、ニラ玉入りを選択
夕飯分のお持ち帰りを含めて3,270円は、お得感満載ながら、店内が少し寒かったのが響き、星4.5
ホテルラフォーレ那須で日帰り温泉を予定したが、2時まで清掃中とのことで、大田原へ引き返す
上町十字路に建てられた金燈籠(かなどうろう)
大田原城下の住民勇志38が、道中安全と町内安全を祈願して、文政2年(1819)に建立された
常夜灯として住民だけでなく奥州街道を利用した旅人や商人達にも有難い存在だったが、太平洋戦争に溶かされ、旧三斗小屋宿から形式が近似していたことから譲渡され、破損した1対のものを良い部分だけを繋ぎ合わせ修復し建立された2代目は、車との接触や衝突などで破損し、今ある3代目は、地元商店街の尽力により昭和54年(1979)に初代のものを踏襲した形で再建されたという
大田原市新富町の浄土真宗 東本願寺派 光明山 忍精寺
江戸時代の文政12年(1829)第11世大田原藩主飛騨守愛清の開山、導琳和尚の開基
大田原市中央の雨薬山薬師堂
寛永年中(1624~1644)に大田原氏が再建したと伝わる、薬師如来像が祀られる小堂宇
宝暦7年(1757)大田原宿の大火により焼失、寛政5年(1793)に大田原庸清(つねきよ)により再建された市指定有形文化財(建造物)
万延2年(1861)の火事によって仁王門が焼失し、そこにあった2体の金剛力士像(市指定有形文化財(彫刻))が、薬師堂内に安置されている

鬼瓦が正面を向いて置かれている
元禄7年(1694)建立の五重の舎利塔も市指定有形文化財(建造物)
貞享元年(1664)の建立の7重の塔も市指定有形文化財(建造物)
ホテルニュー塩原で、おもて那須入浴
pH7.3と中性だが、源泉温度は65.3℃と高温泉のため、加水している
陽イオンとしてナトリウム(Na+)を多く含み、
溶存物質量が1.741g/kgなので低張性だが、塩素イオン(Cl-)と炭酸水素イオン(HCO3-)が多く含まれるため、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩高温泉となる
対岸のホテルからの覗かれ防止のため、木の板で半露天状態だが、時折粉雪が舞い込む温泉は、のんびりするわ~

2/22/2024

2024/2月の散歩(県北部)

2024/2/22
烏山大橋から1kmほどの那須烏山市上境にある、見落としがちな「もり食堂」
自家地粉の八溝手打ちそば粉を使い、食べごたえのある太めの田舎蕎麦がガッツリ味わえる、昔ながらのお蕎麦屋さん
店主は大森さんと言い、おおもりそば店でも良かったのではと思える、満腹感のあるお店
駒板を使わず、手を当ててそばを切り出す「手駒」の乱切りにこだわるきし麺のような田舎そばは、噛めば噛むほどソバの香りと味が楽しめる
かけそばは、わかめと柚子がたんまりと乗り、ツユがしみてそばがきのよう
自宅の畑で栽培した野菜や、周辺の山で採れた山菜のかき揚げは、この大きさで150円!
ソバ打ちが肉体的にしんどいので、大盛は提供できないという大森さん、十分大盛です!
蕎麦豆腐はさわやかな味わいと、ほのかなソバの香りがただよい、100円!
お土産に蕎麦くず餅(150円)をいただき、満腹で店を出る
店内が寒々しいのと、トイレもおしゃれではなく、蕎麦以外のポイントで減点され、惜しくも5つ星を逃す、隠れた満点店
栃木・茨城県境にある鷲子山上(とりのこさんしょう)神社
サザンカの花と雪景色
早朝からの積雪で、素晴らしい眺めだ


明神型の大鳥居の中央が県境となっている
奈良時代の「常陸国風土記」に「下野国との境の大山」と書かれており、1000年以上前より国境いであったが、江戸時代は水戸領だったという

二階建ての楼門(安養閣)で、鳥居側には右大臣・左大臣が控える寺の形態
文化12年(1815)に再建された
神仏混交時代の「安養閣」の額は、権大納言重嗣の筆による
石碑は、神社の呼び名である「随神門」となっている
楼門の先は96段の石段
往復すると2x96で、ふくろうの石段(不苦労の石段)とこじつける
随神門(楼門)の本殿側には、阿吽の仁王様が睨みをきかせている

標高470mの山頂に、南向きに建てられた鷲子山上神社で、参道から見ると90度横を向いている
祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)であり、鳥に円があることから「フクロウの神社」として信仰を集めているのだが、後述のように天日鷲命を祀るのは別の峰にある本宮で、こちらには羽黒神社の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られているのではなかろうか
三間社流造りの本殿

大同2年(807)に矢又村(現栃木県那須郡那珂川町矢又)の大蔵坊宝珠上人が、諸国遍歴中に四国の阿波国(徳島県)に立ち寄り、製紙業が盛んであることを知り、紙漉きの技術と共に守護神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を勧請したのが、当時の「鷲権現」であり、鷲子山上神社の始まりであるとされるが、鷲子山にある三つの峰のうち、中央の朝日嶽に最初に創建されたらしい
そこが消失してしまい、現在の鷲子山上神社に本宮が遷宮したものの、再び朝日嶽に社殿を建立して遷座したため、今では日本最大級の大フクロウがいる朝日嶽が本殿、鷲子山が別の神社ということになっているそうだ
朝日嶽の初代社殿消失の後、朝日嶽には出羽三山より羽黒社を勧請し、後日入れ替わりが起こったようだ
その頃の事情は、この千年杉が知っているのだろうか?



ふくろう坂を往復する
那須町蓑沢の真言宗智山派 妙賀山 医王寺 養福院は、那須三十三観音第4番霊場
現在は無住の寺で、大田原市黒羽向町の明王寺の末寺だという
続いて那須町伊王野の曹洞宗道幻派 瀧澤山 正慶寺(しょうけいじ)
貞享3年(1686)洞孫和尚によって創建されたと伝わる
枝垂桜が咲いたら、さぞかし良い眺めであろう
本尊は観音菩薩
那須町の名木は、樹齢200年近い古梅

寛政9年(1797)に現在地に遷された沼野原薬師堂

本尊は嘉吉3年(1443)作の薬師如来立像で、十二神将がその眷族(けんぞく)として祭られており、町の有形文化財/彫刻となっている



薬師堂の周りも、桜の木で囲まれている

今日の締めは、那須塩原市板室のあったか~い宿「勝風館」に、おもて那須手形入浴
溶存物質量が1.016g/kgのため、低張性だが単純温泉ではなく、硫酸陰イオン(SO4--)が主成分であり、その結合相手の陽イオンが、ナトリウム(Na+)とカルシウム(Ca++)のため、泉質としてはナトリウム・カルシウム-硫酸塩で、源泉温度が41℃のため温泉となる

pHも9.4とそこそこ高いので、アルカリ性の肌に優しい柔らかなお湯だ
源泉温度が41℃なので、冬場は加温しているそうだが、それでも湯温は40℃くらいのぬる湯で、顎まで浸かれる深い浴槽に揺らいでいると、眠りに落ちそうな快適なお風呂だ
露天もサウナも打たせ湯もないけれど、入浴後の体の暖かさと、筋肉のほぐれ感があり、良い温泉であることは間違いない