5/18/2022

2022/5月の散歩(大田原)

2022/5/18
暖かくなった今日は、大田原へ
湯津上村民食堂で昼食
ダムカレーならぬ古墳カレーは、ちゃんと前方後方墳になっていましたが、カレーを墳丘にかけちゃだめでしょ!
続いて笠石神社


ご本尊はなんと国宝の石碑
西暦700年、当時の那須国(郡)を治めていた那須直韋提(なすのあたいいで)の没後、その子、意斯麻呂(おしまろ)等が韋提の遺徳を偲んで建碑したものです。それから約1000年後、水戸黄門の名で知られる水戸藩主徳川光圀が、倒れて草に埋れているこの石碑に堂をつくり安置しました。
碑文は、全文8行、19字詰め、152字で六朝風の書体で書かれており、宮城県の多賀城碑や群馬県の多胡碑と並び、日本三古碑の一つに数えられています。(大田原市HPより)





大田原市なす風土記の丘湯津上資料館と大田原市 歴史民俗資料館に立ち寄り





とちぎの景勝である下侍塚古墳から、古墳ツアーを開始

前方後方墳の墳丘から見た景色


侍塚古墳群をぐるりと一周
マムシグサがあちこちに
こちらはカラスビシャク


光丸山(こうまるさん)法輪寺
ここは、八溝七福神 大黒天霊場、八溝山麓十宝霊場、那須三十三所観音霊場 第23番札所、関東九十一御薬師霊場 第62番札所、東国花の寺百ヶ寺でもある
中の院への勅額門
栃木の銘木、西行桜は樹齢八百年


天狗堂には、寄木造りとしては日本一の大きさを誇る大天狗面を安置する。(高さ2.14m、幅1.5m、鼻の高さ1.3m、重さ1t)火災盗難厄除けとして広く信仰されている。
光丸山前を流れる御行川(岩川)をまたぎ建つ奥の院への一の鳥居
ということは、奥の院は神社
奥の院への途中にある温泉神社
ここの裏手に二の鳥居があったそうだが、見落とした
三の鳥居から先は山道となる



奥之院
光丸山の住職が「あそこは女人禁制だよ」と言っていたのが気になる
葉に模様の入ったマムシグサ
キシダマムシグサ(岸田蝮草、ムロウマムシグサ、Arisaema kishidae)と思われる
葉の丸いマムシグサ
これは新種か?
花の終わったショウジョウバカマが群生していました
花が茎の途中で分岐している
ショウジョウバカマではないかも
と思いきや、こんな記事を発見
開花時には数センチの花茎でその後10~20cmほどになりますが、ショウジョウバカマは花が終わった後もグングンと花茎を伸ばしていきます。
時には50㎝を超えることもあり、その小さな花からは何ともアンバランスな姿になります。
だそうです
「すべすべ、なめらか、しっとり、とろとろの元祖美人の湯」アルカリ単純泉です
露天風呂には無料の泥パックもあり、マイナスイオンを持つ主成分のモンモリロナイトは、肌表面のプラスに傾いた皮脂などの有害物を吸着する作用があります。
皮脂や角質と一緒に毛穴の汚れも吸い取ってくれます。とのこと
実際顔が引き締まった感じがします
飲泉もできます
隣の水道水で3倍に薄めるのが作法だそうですが、知らずに原液を一杯いただいてしまいました
帰路の喜連川で、ポピーまつりが開催されていました
ちょうど夕方で、カメラマンが何人も来ていました


お丸山公園展望台をバックに





5/15/2022

2022/5月の散歩(宇都宮)

2022/5/15
宇都宮市の遺跡の広場へ
5~6千年前の古代縄文時代遺跡を復元した広場です
こんなに立派な施設を作りながら、周辺に案内板もなく、駐車場の入り口すら示されていません
とっても魅力的な栃木県なのに、アピール下手で損をしていると思います
あれ、オキナグサがもうこんなに白髪に

園内の土手には、ニッコウキスゲが群生しています
正しくは、ゼンテイカ(禅庭花、ニッコウキスゲ(日光黄萓)、H. dumortieri var. esculenta)だそうです
エゾカンゾウの変種とか、ヒメカンゾウの変種とされ、出生は明確ではないようです
葉がシャガのように広がり、カサスゲに似ていたことから、「日光の黄色いスゲ」となったようです
エゾカンゾウの別名が、エゾゼンテイカなのもうなずけますが、混乱しますね
また、スゲの漢字「萓」はカンともよみ、ヤブカンゾウ(藪萱草)と書くそうで、どうやら複雑な関係性のようです
ちょうど下野新聞の記者さんが、撮影に来ていました
古代遺跡とゼンテイカが絵になります
遺跡の方ですが、隣接する墓地公園の開発にあたり、予想もしなかった縄文前期の大集落跡が発見されたため、当初の墓園計画の一部を変更して、「根古谷台遺跡」として現状保存することにしたそうです(宇都宮市HP)
バブルの時代に復元され、現在の財政で管理維持するのは、大変だと思われます
そこから南方に200mの丘陵に、犬飼(いぬかい)城、別名根古屋城(ねごやじょう)跡があります
比較的新しい看板が整備されており、遺跡とは大違い
城跡は私有地となっており、しかも複数の地権者が所有しているそうなので、地元の方たちの力なんでしょうね
城門は岡の南側にあります
城に関する伝承はほとんど残っていないため憶測だが、宇都宮氏が戦国時代に防備拠点の1つとして築いたと考えられている
二の丸を抜け、本丸だが、モウソウチクで埋め尽くされており、展望はきかない
本丸の中に井戸跡とされる窪地がある
私有地のため文化財指定はされておらず、根古谷台遺跡との一体整備も、市と私の間で進められそうにない