12/31/2009

カーメルの海岸散歩

カリフォルニアのカーメルと言う街の海岸に遊びにきました。
ここは海岸のすべてが犬を放して遊ばせていい場所です。
海岸に入るのに講習会はいりません。バッジもありません。
すべてのルールは、常識で置き換えられています。


驚くのは、ここで走り回る犬たちのマナーの良いこと。
人や他の犬を噛むとか、吠えている犬は皆無です。
小さな子どもたちも、海岸で遊んでいます。
ここに居る犬たちは、幸せな犬たちなのだろうなあと、いつもながらに思います。

海岸で遊んだあとは、街のメインストリートを散策です。
クリスマスの飾りもそのまま残っており、普段からおしゃれな街がいっそうロマンチックに映ります。


帰り道、夕日が沈むのをカメラに収めました。
大地はすべていちご畑です。
ここのいちごの収穫は夏に行われるため、今は土が綺麗に盛られています。
ことしもいろいろなことがありましたが、家族が皆健康で過ごせたことに感謝です。
来年もさらにいろいろなことが起きそうな・・・

12/12/2009

Dog Park

柏の葉公園内にDog Parkを見つけた。










犬たちが元気に走り回っていた。

それはいいのだが、中に入っている人たちはみな、赤い首紐をぶら下げている。
トレーナーなのかな?



っとどっこい、ここは日本。
Dog Parkも許可制なのでした。



そもそも、ここはDog Parkではなく、Dog Runと言うそうです。

そして赤い首紐バッジを貰うには、講習を受けるのだそうです。

自己責任で生活できない人たちなのでしょうか?

訴訟されるととっても困るので、事前に手を打っているのでしょうか?

「犬同士、飼い主同士、または犬と人間の間の問題に、当公園は一切の責任を負いかねます」の一文ですませばいいのに。
自動車免許も、教習所へ行かなければならないと勘違いしているのと、本質は同じでしょうか?

日本人よ、ちゃんと自立してください。

これだけ張り紙があれば、嫌味の一つもいいたくなります。
おせっかいもいいとこです。

朝焼けと筑波山

12/10/2009

日本人?会社の問題?

良くわかるかどうか。
通勤バスの夜の風景。

私以外全員が窓側に座っている。
これって日本人の習性?
それとも横同士の接触を嫌った、うちの会社の社員問題?

朝のバスでも、会話は禁止されているのかと思うほど、全くの無音状態。9割は寝ており、1割は本を読んでいる。
社員旅行のようにとは言わないが、会話ぐらいあったほうがね~。

12/09/2009

脳視力


脳内視力とも言うらしい。

水晶体で集光した光が網膜に達し、その光量と波長に応じた電気信号が脳に達し、脳内の画像処理系が作り出す世界を、我々は現実と呼んでいる。

心臓が体の右側にあったり、内臓系がすべて左右反転している人もいるわけだから、実際に見ている、と認識している現実は、人によって全く違う世界なのかもしれない。

例えば右目と左目の信号が交差してしまっている人には、立体感がかなり異なるだろう。しかし生まれながらにそういう風景を現実としてみてきたその人には、それが普通であり、他人のそれと比較する術はないと思われる。

網膜には上下左右が反転した像が到達しているはずだが、それを元に戻す神経回路のねじれが無い人には、普通に考えて地球は上、空は下にあることになる。この年になってそんな世界を見たらさぞかし戸惑うだろうが、生まれた時からそれが現実であり、他人との比較のしようがないのだから複雑だ。
皆が「上」と言う方向には空があり、「右」と言う方にお箸を持つとすれば、神経ねじれのない人にも、他人と同じ上下左右が存在する。人がしたと言う方に自分の足があり、地球上を歩いているのだから、ねじれのない人が異常に気づくことはない。

つまるところ、眼に見えるものが現実だとすると、人それぞれの現実は異なり、他人と比較ができないことになる。

実際には網膜にきちんと結像しているにも関わらず、脳の画像処理系がいかれていると、モノが見えない状態になる。脳が見えた、と思うところに、眼鏡を使って無理やり合わせているのかもしれない。
まずは脳内視力を正常に保ち、それでも見えない場合にメガネを作らないと、眼球に無理が生じる。
脳内視力のトレーニング方法もWebで調べることができる。

瞑想等でストレスを解き放ち、画像処理系を正常に保つことで、老眼鏡とおさらばできたらと考えている。

それにしても、他人の見ている現実を、ぜひ覗いてみたいものである。

12/07/2009

病院と銀行


母親の治療のため、大学病院へ。

朝10時のアポのため9時過ぎには家を出て10時チョイ前に到着。
11時に治療か始まり、3時間かかるというので、一旦病院を出て銀行回りをした。
赴任時に作った東京銀行の口座は、東京三菱を経て今は三菱東京UFJ銀行となっており、非居住者口座を普通口座に切り替え、ATMカードの発行依頼、Internet Bankingの依頼をするうちに、駐車時間が2時間になってしまった。

次に労金へ行き、家のローン返済やらで開設した口座の残高を確認。ん万円ではあったが、まだ残高が残っていた。早速引き出そうとしたが、通帳だけでは引き出せないとのこと。15年前はATMなどなかったのか、この口座にもカードを持っていない。
印鑑もドレを使って口座を開いたのだか、さっぱりわからない状態。
結局登録印鑑を調べてもらい、次回印鑑とともに引き出せることがわかった。

そうこうする内に2時の終了時間を過ぎてしまい、病院へ。
まだ治療は終了しておらず、遅刻したことは知られずにすんだ。
ところがかなり遅れて治療が終了したものの、医者による診断があったり、インフルエンザの検査があったり、その後会計、薬局と、結局4時を過ぎてようやく病院を後にした。

待っていたのは内科の待合室なので、いろいろとあらぬ菌に犯されたこと間違いなし。
病気するのも、楽じゃないわ。

12/05/2009

木の一生


一本の大木の一生を考えたことは、だれにでもあるだろう。
芽が出て成長し、年毎に年輪を重ね、人間の何世代にもわたりその地に君臨する大木たち。

最近悟ったのは、木はひとつの生命体ではない、ということ。
葉っぱの一枚一枚が、人間と同じ、ひとつの生命だということ。

春になり新芽の赤ちゃんがすくすくと成長し、夏には活動の頂点を向かえ、秋から徐々に色あせて水気をなくし、木枯らしとともに散ってゆくのが葉っぱの一生。

地に落ちた葉は、やがて土に返り再び根から養分となり木を上り、次の新芽の元となる。
木は葉っぱにとって、あの世の存在なのだ。
輪廻の中の、死んで生まれ変わるまでの存在。
または霊界そのものなのではないか。

人間の目に霊界が見えるケースは珍しい。
菩提樹の大木の下で瞑想するということは、非常に理にかなっているのかもしれない。

道路の拡張は、交通の安全と便利さのために非常に重要な案件ですが、そこに存在してきた大木とは、ぜひともよく会話し、納得していただいたうえで、慈しみの心で切り倒していただきたいものです。

12/02/2009

星守る犬


星空を、いつまでもいつまでも見上げている、犬のことです。

「守る」は見つめるの意。
星がほしくてじっと見つめている犬という意味から 分不相応のことを望むもののたとえ。
     「成語林・故事ことわざ慣用句」より。

犬が星を取ろうとして天を見る。
無理な望みを抱くこと。
     「故事ことわざ15000」より。

犬が星を取りたいと思って見つめること。
身分の低いものが及ばぬ望みを抱くことのたとえ。
     「新編故事ことわざ辞典」より。

「犬」という言葉には、下等なものという意味が込められています。

そうでしょうか?

「犬」は、かなり仏に近い、悟りを開いた動物に思えます。
そうでない犬も、たくさんいるのでしょうが。

12/01/2009

足るを知る


よく「もう限界だ」という言葉を聞くが、「限界を超えずに、限界がわかるか」ということを、何十年も前に、どこかで誰かに聞いた。
もっともである。

しかし限界は超えてはいけないわけで、実際の限界はだれにもわからない。
宇宙の限界は、宇宙の内側からは見えないのと似ている。
おそらく宇宙にも限界があって、宇宙の外からは良く見えるのだろうと思う。

であるならば、自分を外から見たなら自分の限界が見えるか?
私には、他人を見てその人の限界は見えないから、きっと自分の限界も見えないのだろう。

「果報は寝て待て」
かなりPassiveな言葉である。
本来の意味は、「全力を出し切ったのだから、結果はどうでも良いではないか」、と仏教的に解釈できる。

「足るを知る」も、「現状で満足でございます。努力はいたしません」という意味ではない。
自分の器を知った上で、はじめて「足るを知る」ことができるのである。

あなたは、自分のやりたいことを、知っていますか?


人生80年として、もうそんなに残されてはいませんよね。

自分は何をなすべく、この世に生まれてきたのか、そろそろ答えを出したいものです。