一本の大木の一生を考えたことは、だれにでもあるだろう。
芽が出て成長し、年毎に年輪を重ね、人間の何世代にもわたりその地に君臨する大木たち。
最近悟ったのは、木はひとつの生命体ではない、ということ。
葉っぱの一枚一枚が、人間と同じ、ひとつの生命だということ。
春になり新芽の赤ちゃんがすくすくと成長し、夏には活動の頂点を向かえ、秋から徐々に色あせて水気をなくし、木枯らしとともに散ってゆくのが葉っぱの一生。
地に落ちた葉は、やがて土に返り再び根から養分となり木を上り、次の新芽の元となる。
木は葉っぱにとって、あの世の存在なのだ。
輪廻の中の、死んで生まれ変わるまでの存在。
または霊界そのものなのではないか。
人間の目に霊界が見えるケースは珍しい。
菩提樹の大木の下で瞑想するということは、非常に理にかなっているのかもしれない。
道路の拡張は、交通の安全と便利さのために非常に重要な案件ですが、そこに存在してきた大木とは、ぜひともよく会話し、納得していただいたうえで、慈しみの心で切り倒していただきたいものです。
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