11/13/2023

2023/11月の散歩(那珂川町)

2023/11/13
那須烏山市大木須の「そば長山」から、スタート

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十割そば品切れで七三だったが、うんまい
つゆが濃いめかと思いきや、蕎麦を流し込むとちょうどいい
そば湯は淡白だったが
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かけにしてもそばが美味い、天ぷらカリッと、卵かけご飯も最高
アクセスの悪さが、また良い良店
長山からすぐの、松倉山頂にある観音堂は次回に回し、広重美術館裏の靜(しず)神社へ
元は八幡宮と称し、武茂城主の守神であり、後には佐竹城主の守護神として崇敬保護されたが、創建は詳らかではない
祭神は、譽田別命・手力男命・須佐之男命

神殿は修理中なのか、放置されているのか
広重美術館の駐車場わきにある、別雷(わけいかづち)神社

煙草神社の石柱は、たばこの栽培に貢献したため

祭神、天津瓊瓊杵命・熊野大権現・岩倉大人命
那珂川町健武の健武山(たけぶやま)神社
大同元年(806)創建の、下野国で正史『続日本後紀』に最初に記録された神社




武茂川では砂金が採れ、この地方では川の土砂を揺すって砂金を探していたと伝わる。この地方の産金は「那須のゆりがね」として和歌にも詠まれ、遠く都にもその名が知られていた
かつての祭神は素戔嗚命であったが、現在は日本武尊(やまとたけるのみこと)と金山彦尊(かなやまひこのみこと)である
金山彦命は、伊弉冉命(いざなみのみこと)が火の神である迦具土命(かぐつちのみこと)を生んだ際に、火傷で苦しみながら吐いた嘔吐物から生まれた鉱山や鍛冶の神とされる
本殿は優美な千木つき
自然の岩を利用した手水舎
境内社の八坂神社
那珂川町大内の戸隠神社
大同元年(806)創建とは、健武山神社と同年
信濃(長野県長野市戸隠)の戸隠神社の分霊を勧請したのが始まり
推定樹齢350年、樹高50m、目通周囲5.8m、枝張東西22.8m、南北24mと、栃木県内でも有数の巨木として県指定天然記念物だったが、枝はずいぶん切り落とされたようだ
とちぎ名木百選にも選ばれている


享保15年(1730)に改築し、弘化元年(1844)再建と、下野神社沿革誌にある
祭神は、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)ということは、信濃の戸隠神社奥社の分霊
信濃の奥社神殿は岩の中で見えなかったが、こちらは立派な彫り物があるようだ



神社巡りは休憩して、那珂川町大山田下郷の御前岩(ごぜんいわ)
武茂川沿いにある自然石・奇岩だが、元禄5年(1692)に徳川光圀が領内検分の折、御前岩を見て「これは誠に天下の奇岩じゃ」と驚き「かかるものを衆目にさらすことは、よろしからず」と土地の役人に命じ、御前岩の対岸に竹を植えさせた。この竹を湯文字(ゆもじ=こしまき)笹と言い、現在でも武茂川沿いの国道461号から御前岩が直接見えないように遮っている
どうでもよい逸話だが、那珂川町大内地区のサイマラ淵に御前岩と対となる男根の形をした「オンマラ様」と呼ばれる石があったが、明治時代末期にこの石が崩れて淵に沈んでしまったという
以前は、御前岩の中程の穴から霊水がしたたり落ち、月に一度赤く濁ったといわれているが、オンマラ様が淵に沈んだことを知った御前岩は、悲しみのあまり霊水が変色しなくなったそうである
示現神社のそばに東光寺があるので、看板に沿って林道に入るが、行けども行けども森の中
ようやく東光寺入り口の看板を見つけるが、車を止める場所もなく、徒歩のみのアクセスなので、訪問を断念
途中の林道からの景色は最高でした
林道へ入ったおかげで、えらく遠回りをして、那珂川町小砂(こいさご)の示現(じげん)神社
小砂は、つい先日陶器市で訪れた村
カシ林叢(りんそう)は町の天然記念物
といわれても、林叢ってなあにですが、一言でいうと林のようです
大治4年(1129)の創建で、大己貴命、事代主命を祀る
昭和4年(1929)に創立800年を記念して現在地に遷宮したそう
拝殿額は出雲大社宮司八十二代千家尊統謹書だそう
神殿は、鮮やかな朱に塗られている

今日のしめは馬頭温泉「ゆりがねの湯」
馬頭では砂金が採取され、奈良の大仏に塗る黄金の一部として使われるなど、長年にわたって朝廷に献上されましたが、砂金の含まれた土砂を水洗いしながら、ゆり動かして砂金をとる「ゆりがね」が、色々な名称に使われている旧馬頭町を、堪能しました

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