下野三十三観音最後の一つとなった、第27番引地山日向寺(にっこうじ)へ
ガイドブックの住所をたどると、そこは御朱印をいただける管理者の家
地図を見ると東武佐野線の線路を渡ったところに、千手観音があり、そちらに向かう
そこは小高い丘が公園になっており、名前も観音山公園となっているしかし、引地山日向寺の表示がない
そもそも、日向寺のご本尊は聖観音であり、千手観音ではない
観音山公園の頂上に社殿があるが、日枝神社とある日枝神社
日枝神社のすぐわきにもう一つ本殿があり、やっと見つけた引地山日向寺の文字
隣り合って社寺があるのは珍しくないが、地図に乗っていないのでは、探しにくい
まちがいなくここが下野三十三観音の最終地点である
なかなか堂々とした本堂だ
さて疑問は千手観音である
日枝神社のすぐわきにもう一つ本殿があり、やっと見つけた引地山日向寺の文字
隣り合って社寺があるのは珍しくないが、地図に乗っていないのでは、探しにくい
まちがいなくここが下野三十三観音の最終地点である
なかなか堂々とした本堂だ
さて疑問は千手観音である
観音山公園の下に佐野千手観音寺があり、こちらを指していたようだ
慶長5年(1600年)天下分け目の関ヶ原合戦の直前、真田父子3人(真田昌幸・信之・信繁(幸村))が徳川側と豊臣側に分かれて戦うことを決断した密議の場所と言い伝えられている
大河ドラマ以前は、地元の人も知らなかった場所らしい
この薬師堂は、米山古墳のふもとにある
大河ドラマ以前は、地元の人も知らなかった場所らしい
この薬師堂は、米山古墳のふもとにある
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