1/05/2023

2023/1月の散歩(真岡)

益子焼の「やまに」直営のレストランで、彩り野菜のカレーライス
益子産のそば粉を使用し、粗目の大根おろしと山菜がたっぷりのったみぞれ山菜そば
食後に歩いたのは、真岡市の「自然ふれあい園大久保」
私がお手伝いしている、里山保全活動と同じレベルで、地域のボランティアが守っている遊歩道ですが、ヨシ刈りをしないと、ロウバイの木がだめになりそう
2023/1/07
下野市の吉田村の吉田八幡宮
銅製一の鳥居

文治4年(1188)小山判官朝政が鶴ヶ岡八幡宮より勧請して創建。小山城の東北に当たり鬼門守護の役割を果たした
元亀二年1571晴朝が社殿改築と伝わるが別当寺報徳院が何度も火災に遭って古文書宝物が失われているので詳細は不明

石造手洗鉢は、市指定有文
神楽殿もある

祭神は譽田別命(応神天皇)

神輿堂の中のお神輿
神輿堂
大道泉橋で鬼怒川を渡り、長沼八幡宮
こちらの青銅鳥居は県指定文化財
延暦14年(795)、坂上田村麻呂が東夷征伐に功をなし、その帰途、武運を感謝するため一社を造営し、誉田別尊を奉斎したのが始まりと伝わる
康平6(1063)年、源頼義が石清水八幡宮を勧請、永保2(1082)年には源頼家が社殿を造営するなど源氏の崇敬厚く、遠征の度に戦勝祈願、寄進がなされた

天明7年(1787)建立の随身門
鎌倉御家人、さらに関東八屋形の一として勢力を誇っていた長沼氏の庇護の下、神社も栄えたが、戦乱の文明年間(1469~87)、十二代長沼成宗の時に長沼城落城。神領も没収され衰退

本殿は、元禄10年(1697)再建の三間社流造


末社の二荒山神社
千勝神社は、江戸時代に常陸国坂井(現下妻市)より勧請されたもの
神社本殿の裏山は、カクレザト塚古墳となっているが、詳細は分からず
宮内古墳群とは、「小山市粟宮の宮内地内に所在する」となっているが、地理的にかなり離れており、飛び地のようなものなのだろうか?
古墳への入り口にある庚申様
土盛りの上に祠が二つある
末社熊野神社
琴平神社
本殿

イチゴの生産量54年連続日本一の栃木県内で、真岡の生産量が最も高い
長沼八幡から南に200mの、新御堂山 円頓止観院 宗光寺【別格宗光寺
天台宗の別格本山として848(嘉祥元)年慈覚大師により、関東の比叡山として開基された。
その後1190(建久1)年に長沼宗政が、源頼朝の本願により鎌倉大御堂を遷し、新御堂を建立。
1351(観応2)年にいたり長沼宗恒が、祖父宗光の菩提のために宗光寺を建立。比叡山より盛海僧正を招いて当山を中興した。さらに「新御堂山円頓止観院宗光寺」の勅額を賜わり、以来、喜多院(川越市)、金鑚寺(埼玉県児玉郡)と並んで、中世における関東の3大学問所として関東天台宗寺院の頂点にたった歴史があります。

コマツグミ(駒鶇、Turdus migratorius )
昭和56年(1981)新築の本堂

観音堂には、多羅観音菩薩がまつられ、安産にご利益があるそう
元禄時代に奉安されたお地蔵様を祀る地蔵堂

当地では35日忌の供養に親族でお参りする習慣があるそう
築280年の下館城館の一部を使用した書院


鐘楼は天保三年の創建で、梵鐘は昭和に再鋳されたもの
写真を撮り忘れたが、天保3年(1832)建立の姿を現在に伝える大門(総門)の屋根は、大谷石の石瓦葺きです
次に、真岡鐡道久下田(くげた)駅横の、蟠龍山護国院 芳全寺
天文14年(1545)に下館第6代城主、後の久下田城主となる水谷出羽守正村入道(水谷蟠龍斎)によって建立されました
寛保2年(1742)鋳造の、青銅製阿弥陀如来座像は、県の指定文化財
とちぎ名木百選、市天然記念物「芳全寺のシダレザクラ」
先の宗光寺とともに、桜の時期にぜひ再訪したい



2023/1/08
用事でR4を南下した際、気になっていた古河市上片田の香取神社へ

祭神は經津主神だが、その他の情報なし





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