2/28/2025

2025/2月のハイク(鞍掛山)

2025/2/28 (Fri)
2月5回目7座目のハイクは、宇都宮市新里町と日光市との境にある鞍掛(くらかけ)山へ
麓の登山者用駐車場は、10台は止められそうだが、今朝はうちらだけ
登山道へ入る
実はかなり手前の「新里の山桜」の隣に、鞍掛山神社の一の鳥居があった
2011年の震災で倒壊してしまったが、2014年に再建
一の鳥居から、馬の鞍のような台形状の、鞍掛山を望む

登山道入り口からすぐに、二の鳥居がある
神社の説明版があるが、能書きは後にしよう
岩がゴロゴロした参道を登る

右手の沢は姿川の源流のひとつだが、水は流れていない
登山道沿道の岩陰にたたずむ、双体神
双体道祖神(そうたいどうそじん)は、男神と女神が並んで一体物の道祖神が普通だが、首の取れた二体が並んで置かれているに過ぎない
誰が置いたか、こちらは双体神といっても良さそうだ
キジカクシ科のジャノヒゲの実が、まだ付いていた
沢道を進む
結構な巨石がゴロゴロしている
鞍掛山神社入り口に到着
山そのものと、雨期に流れ落ちる滝が、御神体とされる


梯子の上の岩の割れ目の中が本殿だ
慶応4年(1868)5月、野州世直しを鎮圧するために武蔵国板橋から宇都宮城に派兵された新政府軍に対し、旧幕府軍は庄屋など豪農の家に火を着けながら進軍し、折からの南東の風で火は宇都宮城下に広がった(戊辰戦争の一部)
宇都宮城主は、この割れ目に身を隠し、難を逃れたといわれている

今は岩室の奥に、鏡のようなものが置かれ、お神酒がささげられていた


岩室から外に延びる木
鞍掛山神社本殿を後に、登山道へ戻り、山頂近くにあるという奥の院(奥宮が正しいと思うのだが)を目指す
分岐点からいきなり斜度がきつくなる
針葉樹林の根を頼りに、ジグザグに高度を上げる

上から見るとこんな感じだが、
下から見るとこんな感じ
やがて鎖の手すりが設置された、直登となる

手すりの支柱がところどころ崩壊しており、修繕するのも相当な作業になると想像される
岩石にははっきりした層が重なっており、溶岩が凝固したのではなく、海底で堆積した層だろう

この鎖場が、とにかく長い

左手に頼りすぎると、左肩が上がらなくなるほど、長い
足でしっかりと登る必要がある
ようやく登りきる
奥の院(奥宮)に到着
修験僧の時代には、鎖も無かったんですよね
隣の古賀志山が見える
鞍の鞍部に出てしまえば、山頂までなだらかな道
標高492.4mの鞍掛山は、栃木百名山第70座
山頂からの眺望はわずかですが、今日は春霞もあり、高原山もぼんやりと見えるだけ
山頂からさらに東へ進み、大岩の手前から、高原山と、
赤薙山がぼんやりと
日光山開山の祖勝道上人が鞍掛山に登り、偉大なる男体山を望み、開山を決意したといわれるが、現在の鞍掛山から、雄大な男体山は望めそうにない

大岩展望台へは、梯子を2段登る

大岩展望台からは、南側の展望が開けている
北東側にも展望はあるが、日光連山の眺望はきかない

大岩展望台でお弁当を広げ、今日初めての登山者に合う
ここから南へ、尾根伝いに下山
この下山道は、麓の地図やガイドブックには載っていないが、YAMAPでは本道のように示されている
鞍掛山を見上げながらの下山中、二人連れの中年女性とすれ違う
その後、一人で登って来た男性は、時間ができるとこの山に来るという
下山した尾根道には、ロープや鎖場は無し
左はヤマレコの高度図で、5合目からの急登の様子がよくわかる
右は時間軸ベースのYAMAP高度で、鎖場登りに時間をかけている様子がわかる
本日であった動物;
人間4人のみ


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