2/16/2025

2025/2月の散歩(古河・鹿沼)

2025/2/16 (Sun)

茨城県古河市上大野の三社神社
鳥居の額には「正一位三社大明神」と彫られている




左から八龍神社、稲荷神社、浅間神社、八幡神社、大日神社、愛宕神社とならぶ
祭神は、経津主神(フツヌシ)、宇迦之御魂神(ウカノミタマ)、木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)、品陀和気命(ホムダワケ、応神天皇)、天照大御神(アマテラス)、火之迦具土神(カグツチ)
祭神から三社を読み解くと、フツヌシ=香取、ウカノミタマ=稲荷、コノハナノサクヤビメ=浅間、ホムダワケ=八幡宮、アマテラス=神明宮、カグツチ=愛宕のいずれかだろう
境内社を除くと、香取神社が残るな
本殿裏に蔵がある
三つ引き両紋が付いている


新鮮で手ごろな野菜を求め、野木・小山エリアの直販所をまわり、お昼に小山市役所わきの「酒食 まるた」へ

本日の定食からMixフライ定食
アジも海老もいかにも冷凍で、いただけない
ひもかわうどんの、国産豚しゃぶおろし
これは、いけてる

2025/2/17 (Mon)

城山登山の帰り道、鹿沼の縄文神社と言われる、鹿沼市上殿町の押原(おしはら)神社へ
周辺の明神前遺跡からは、祭祀遺構・住居跡に加え、ドングリや栃の実のアクを抜くための「水晒し場」が発掘されているという
明神前遺跡の水晒し場は、編み物が敷かれた木組(きぐみ)遺構で、国内初の発見例だという
神社の創建は、押原宗丸(むねまる)が大和の三輪大神を勧請し、人皇第51代平城天皇の御字の大同4年(809)に押原杉本大明神と称し、明治2年に押原神社へ改称
勾玉のような形の手水鉢
天慶2年(1015)平将門反叛の時、平貞盛・藤原秀郷等が本社に戦勝を祈り、速に追討して戦勝せしを以て、本社に弓箭鏡剣等を奉納せりという
正應5年(1292)社殿を焼失、寛正4年(1463)川俣勘太夫に至り本社を再築
祭神は、大物主命(オオクニヌシ)、配神に、天照皇大神(アマテラス)、素盞嗚命(スサノオ)、少名彦名命(スクナビコナ)、日本武尊(ヤマトタケル)、誉田別命(十五代応神天皇)
額縁に見事な彫刻を持つ、「正一位押原神社杉本大明神」の拝殿額
境内社:八坂神社・素盞嗚神・大杉神社・大己貴ほか8社

押原神社本殿は、完全に覆われていて見えないものの、江戸時代享保元年(1716)に制作された、一間社流造(桁行3.2m・梁間3.0m)の、市指定有形文化財(建造物)
本殿左手にある「竜神の泉」は、近くを流れる黒川の伏流水だったと思われる
押原宗丸は、この地で湧水していた地下水を、人々の生活用水や農業用水に利用するため、大規模な灌漑工事に着手し、近隣の人々の生活向上に大いに貢献したとされているが、押原氏以前の太古から、利用されていたことだろう
神楽殿



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