7/21/2023

2023/7月の散歩(山あげ祭)

2023/7/21
那須烏山市城東の、500円そばの店「梁山泊」
八溝玄そばの寒晒しそばをいただく
今日から3日間、ユネスコ無形文化遺産および、国指定重要無形民俗文化財である、烏山の山あげ祭が行われる
町内ごとに幟を立てるのだろうか
永禄3年(1560)時の烏山城主那須資胤が、当地方の疫病防除・五穀豊穣・天下泰平を祈願し牛頭天王を烏山に勧請しました。その祭礼の奉納余興として、当初は相撲や神楽獅子等が行われていました。
やがて江戸歌舞伎が隆盛になり、常磐津所作が流行したのをきっかけに常磐津所作を奉納余興として行うようになったことで、今日のような全国でも類例を見ない絢爛豪華な野外歌舞伎舞踊へと変わってゆきました。
八天宮神社
安政2年(1855)安徳天皇を祭神として創立。鍛冶町宿尻に鎭座したが,町が発展したため新しくできた日野町に遷宮したので、八天[はってん]と名乗るようになったという
山あげ舞台の奉納は、6町内の輪番で行われ、今年は金井町の屋台が使われる
市内各所をめぐり、演目を披露する
舞台の後方では、前山、中山、後山の準備
前の場所から移動し、組み立てあげて披露する
各山の頂上には、からくりがある
竹で骨組みを組み、和紙を幾重にも張り付けた上に、背景を描く

午前中の雨も上がり、天気も良くなってきた
山が立ち上がった
屋台の中では、笛や太鼓の演奏を行う



場所ごとに移動の観客席を作り、一席1,000円で観賞できる
金井町の御拝飾りは「神功皇后と武内宿禰」
寛政8年(1769)常陸国鷲子村薄井武衛門による制作とされる
開始のあいさつは、日本語、英語、北京語で行われる
ここでの演目は「将門(忍夜恋曲者)」
平将門の娘・滝夜叉(たきやしゃ)姫が、がまに乗って登場


蝦蟇(ガマ)の妖術を使う怪しいものを退治せよ、と河内源氏の源頼信(よりのぶ)の命を受けた大宅太郎(おおやたろう)光國(みつくに)は、相馬の古御所に探索に行くが、古御所の中で旅姿のまま仮寝をしていると、ふと不気味な空気を感じ、目を覚ますと、そこに絶世の美女が現れる


その女は京の都の島原の「如月(きさらぎ)」と名乗り、色仕掛けで光國を味方に引き入れようとする。
中山の景色が、秋から春へと変わった
光國は、将門の娘・滝夜叉姫であろうと察し、かつての将門の乱の模様を詳しく語り始める。
将門落命の様子を聞くと如月は父の最後に涙を流し始める。
如月は取り繕おうとするが、将門の形見である相馬錦の御旗を落としてしまう。
それを見た光國は、滝夜叉姫であると見破り、ついに正体を明かし大立ち回りへ


滝夜叉姫の妖術で古御所は炎上
滝夜叉姫は山の彼方に

演者、唄、三味線、太古、笛の息がピタリと合った、みごとな演目でした

一か所の披露が終わると、山を倒して解体し、次の場所へ移動します

暑い中、演者たちは大変です


若集は、力を合わせます


山あげならぬ、山さげ

後山の次は、中山さげ

那須烏山市中央の、真宗大谷派 鹿崎山 信寿院 粟野坊 慈願寺
貞応2年(1223)に親鸞聖人の24人の直弟の1人である、信願房により栗野鹿崎に開山
天正年間(1573~1593)に馬頭(那珂川町)に移り、延宝8年(1680)現在地に移る



山あげが奉納される八雲神社へ向かう
途中で八雲神社の神輿があり、話を聞くと神社内には特別なものは無いという
ならばと出店のようなこの御仮殿で、御朱印とお神酒(東力士)をいただく
日差しの厚い中、日本酒が実に旨い

おいしい肉屋さんで、今夜の焼き鳥と、明日のコロッケを購入
2025年当番の、泉町の屋台が飾られていた
御拝飾りは「神武天皇と金鷲」で、彫刻師薄井貞良(茨城県常陸大宮市鷲子)等により、明治41年(1908)に制作された
金井町の屋台を迎えるための、お囃子が始まった
泉町の若集が左右に並ぶ中、金井町の入場


かなりの重量物で、下り坂を慎重に進む
山の部品を乗せた台車も続く
今日は6ヵ所での舞台を行うが、演者さんは同じ人たちだという
日本の祭りには、命がかかってる!

0 件のコメント:

コメントを投稿