12/23/2023

2023/12月の散歩(黒磯)

2023/12/23
黒磯へ出かけ、小雪のちらつく中、昼食に那須塩原市上厚崎の南国食堂マムアンへ
お店の前には看板も無く、ここでいいのかと思ったが、店内の人はタイ料理っぽいものを食べているので、間違いなかろう
メニューの品は、どれも食べてみたいものばかり
2つのメニューをハーフ&ハーフできるのは、ありがたい
一品目はグリーンカレーとカオマンガイのH&H
カオマンガイは+100円で大盛に
チキンライスに似ているが、大皿内のタレが大きな違いで、コクとパンチのある甘辛さが、柔らかな鶏肉とよく合う~
手前のグリーンカレーも、香辛料が気持ちよく効いている
もう一品はレモングラスと焼肉のバインミー
特製パンを焼いて、ダイコンスライスと味付けタレが、絶妙
はっきり言って、日本にあるタイレストランで、1番美味しいのではないかと思える二品でした
超絶満足
しかもこのお店、座席数は16席ほどですが、女性が一人で全てをまかなっていますが、バタバタ感は全くなく、一人一人丁寧に対応しており、感服です
テイクアウトもできるそうで、次回はどう使っていこうか、再来決定のお店でした
那珂川河畔公園へ
大型カメラを三脚に構える人が三人
白鳥の飛来地かと思いきや、カワセミ(翡翠、翡翆、魚狗、川蟬、Alcedo atthis、ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ属に属する水辺に生息する小鳥)
那須連山は雪雲の中
セグロセキレイ(背黒鶺鴒、Motacilla grandis、スズメ目セキレイ科セキレイ属の主に水辺に棲む鳥)
夏は子供の水遊びに良さそうな場所
八溝山もよく見える
ムクドリ(椋鳥・鶁・白頭翁、White-cheeked Starling、Grey Starling、Sturnus cineraceus、スズメ目ムクドリ科)
黒磯公園に入り、黒磯郷土館を覗く
那須連山が見えてきた


焼き芋をかじりながら、散歩を終了

皆幸乃湯(かいこのゆ)は、おもて那須手形で100円割引
pH9.3、泉温52.5℃で、アルカリ性高温泉
溶存物質量634mg/kgなので、低張性単純温泉
pHが高いのでお湯は柔らか、内湯は42℃くらい、露天は体感41℃くらいで、ゆっくりと入れる
遠赤外線による低温(60℃)サウナや打たせ湯もあり、石鹸、シャンプーの質も好い
今日は大当たりのランチに始まり、鳥の写真がばっちり取れ、焼き芋屋のおじさんと話もでき、予想以上のお風呂に入れて、なんかいい一日でした


12/22/2023

2023/12月の散歩(上三川、雀宮)

2023/12/20
地元上三川のシラサギ神社の本殿を拝見したことが無かった気がする
元禄年間(1688~1704)の建物だというから、300年以上だ
左から、雷電宮、愛宕神社、出雲神社の境内社があり、本殿反対側に、白鷺天神を祀る
2023/12/22
これまた家からすぐの宇都宮市雀宮町にある、天台宗 大通山 地福院 正光寺
正光寺は江戸中期、正徳年間(1711~1716)の開山と伝えられるが、江戸初期の創建の説もある
雀宮宿は江戸初期より日光街道の雀宮宿駅として重要な役割を果たしてきており、当初宇都宮藩領であったが、後に天領として幕府が直轄した地域の菩提寺として信仰されたが、火災などにより古来の記録などはほぼ失われてしまった
昭和44年(1969)、60年以上を経て寺が再建された
本尊は、阿弥陀如来
明治35年(1902)の大暴風により本堂伽藍が倒壊し、聖徳太子と伝教大師の幼像を安置する太子堂を残すのみとなったが、老朽化が激しく、平成24年(2012)に改修移築を行った
新たに鐘楼堂も建立された

12/18/2023

2023/12月の散歩(足利)

2023/12/18
足利市大岩町の大岩山山頂下にある、真言宗 豊山派 大岩山 多聞院 最勝寺 毘沙門天へ
日本三大、関東最古の毘沙門天だという
日本三大毘沙門天とは、京都府京都市の鞍馬山、奈良県生駒郡の信貴山、そして栃木県足利市の大岩山を指すという
ある夜の夢に老翁が出てきて告げます。「関東の足利に霊山があり、その山に登れば、所願を叶えることができる。私は山王権現である。」
夢から覚めた行基上人は三度礼拝し、下野の下にある足利郡に一夏、安居して、信じて修法することを怠ることがありませんでした。(今の足利行基山 徳正寺がここにあたるとされています。)また、ある夜の夢では甲冑を纏った武人が現れ、こう告げてきます。「ここより北にある大岩山という山に登ると衆生済度の為になる。私はあなたが信じる所の多聞天王(毘沙門天)である。」と言って、光を放って消えていきました。
行基上人は喜びに耐えられず、ずっと持っていた毘沙門天像を用い、盤石の上に安置して乾いた茅で堂を作りました。
天空テラスからの関東を一望する眺望
東に筑波山
南にスカイツリーと東京ビル街

西には霊峰富士の山

天平17年(745)行基上人によって開かれ、大和国、菅原寺の聖徳太子作、閻浮檀金(えんぶだごん)で出来た毘沙門天像(多聞天)を祀ったのが始まりと言われる
その後、聖武天皇より、本堂、経堂、山門、鐘楼、三重塔、十二坊の諸堂を賜るとともに、「大岩山多聞院最勝寺」という山号を賜る
宝永元年(1704年)建立の石段は、市指定文化財
聖武天皇の勅願により建立された山門は、文安4年(1447)に雷火によって諸堂が全て焼失するも、山門のみ無事だったと伝えられ、元禄6年(1693)と平成17年(2005)に改築
運慶作と伝わる市指定文化財の阿形像(あぎょうぞう)、吽形像(うんぎょうぞう)2体の木造金剛力士立像(仁王像)がありましたが、2021年2月21日に発生した足利市山林火災の際に、本尊などと主に退避させる際、首がとれる等の損傷を受け、現在修復中
山門内に賓頭盧様
大岩山毘沙門天本堂は、開山以来落雷等による火災で焼失、再建を繰り返してきた
文安4年(1447)5月の雷火により、山門以外の諸堂全てが焼失、その後再建されるも宝暦7年(1757)本堂は再び焼失し、宝暦12年(1762)に再建され現在に至る
2021年2月21日に発生した足利市山林火災は、23日午後4時頃には、寺から約800m離れた天狗山の山裾で真っ赤な火の手をあげ、強風で火の勢いが一気に増し、両崖山の南側の地域に避難勧告が発令されるにいたる
近隣住民約45人が協力し、2tトラックを使って毘沙門天像や絵馬などを一つ一つ毛布にくるんで、山から離れた市有施設まで夜通し運び出した
毎年正月に必勝祈願で訪れている、地元の足利工業高校野球部の生徒達も手伝いに駆け付けてくれ、重くて運べなかった鐘や灯籠を次々と避難させ、27日までに約150点を運び出した

毘沙門天像は約260年間本堂から出た記録がなく、本来であれば専門業者に依頼して、数か月の調査をしながら慎重に運び出すところを、わずか数時間で運び出したため、毘沙門天像の右足がぐらついたり、同じく本尊の善膩師童子(ぜんにしどうじ)像の右手が取れたりしてしまった
修復費は合わせて7,000万円以上になると見積もられている
本堂は、明治40年(1907)、昭和13年(1938)と平成5年(1993) の3度に渡り修復作業がなされ、平成5年の本堂修復工事の際、本堂下部、基壇下の発掘調査を行った結果、平安時代末期まで遡ることのできる瓦、本堂周辺や十二坊の一つである大坊跡からは、奈良時代の瓦などが出土している
山門には、鯉の飾り瓦
樹齢約600~800年と推定される、三本スギが御神木

大杉権現と呼ばれ、仏様が宿り、救いの手が差し伸べられている
大きさ目通り7m、高さ29m、枝張り東西16m、南北33mの大木は、樹齢は約800年と推定される、足利市内最大のスギは市指定の天然記念物
聖武天皇の勅願により建立された鐘楼堂
太平洋戦争時、鰐口・梵鐘を供出した為、昭和28年(1953)に鰐口・梵鐘が奉納されたが、損傷のために新しい鐘が奉納され現在に至る
鐘楼堂から見える筑波山
毘沙門天は、仏教において天部に属する仏神であり、仏法を護る護法善神の一人であり、四天王や十二天に数えられ、北の方角を守護している
四天王として祀られる際は「多聞天(たもんてん)」という名で呼ばれ、毘沙門天は戦の神様であり、勝利をもたらすとされるほか、七福神の一柱に数えられ、様々な福徳を授けて下さる福の神でもある
行基菩薩の夢の中に山王権現が現れ、大岩山を示し、行基菩薩を足利の地へといざなったことから一山の鎮守として本堂西側に山王権現を祀る
現在の山王社は桃山時代の建築とされ、大岩山内で最も古い建築と言われているが、破損により、昭和52年に修復
山王権現社に並んで、大黒天社、稲荷神社、西宮神宮が安置される
過去の出来事が良く残されているお寺のようで、案内版が各所にある



大岩山毘沙門天から山道を下ること約200m、広葉樹、針葉樹に囲まれた静寂した岩場に、叶権現がある
鑁阿寺の開祖足利義兼の孫足利泰氏が、百か日の祈願をこめて大岩山毘沙門天を参詣をしていた際、九十九日目に行基平のそばを通りかかった時、白蛇が岩の間から現れたのを目にし、これは願がかなった印だと思い、白蛇を捕らえてこの岩穴に納め、そこへ祠を建てて願い事が叶う神社として、叶権現を祀る神社を造ったと言われている


大岩山毘沙門天から叶権現までの古道は、なかなかの山歩きである
ロープ場もある

毘沙門天にいた案内員から丁寧な説明を受けていため時間が押し、計画していた大岩山 剣ヶ峰~行道山 石尊山へのハイクは中止し、佐野のアウトレットでお買い物

さらに佐野ラーメンの夕食もとって帰宅
ラーメン太七は、モツも柔らかジューシーで最高でした