ジムのクラスが急遽キャンセルとなり、思い立って筑波山
筑波山梅林が咲き始めているので見に来たが、お昼はつくば市沼田の「そば処・日本料理 筑膳(つくぜん)」大正2年に建てられた銀行だった古民家を、筑波山の山麓に移設し蕎麦屋を始めたという
店内はガラクタ屋にならないように、丁寧に配置された骨董品で飾られている
ところで今日は寒かった
店内には常に10人ほどしか通さず、筑波おろしの寒風吹き抜けるなか、1時間店外で待たされた
店員はきびきびと働いており、10人分の注文を受けるのが精いっぱいのようだ
が、せめて一室を待合室にあてがう等、冬場だけでも改善は可能だと思い、減点対象
「自然薯とろろご膳」の美味しいこと
が、せめて一室を待合室にあてがう等、冬場だけでも改善は可能だと思い、減点対象
「自然薯とろろご膳」の美味しいこと
自然薯のとろろと麦ごはんに加え、自然薯サラダ、自然薯のムカゴ、自然薯を練り込んだ豆腐、牛蒡、菜の花、土浦蓮根の酢漬、刺身こんにゃく、蕗の薹入り天ぷらに半蕎麦が付き、どれも薄味で大層美味しい
「筑波山そば」は、絶対に男体女体の2 peaksで来ると思ったが、期待外れの1 peak
「筑波山そば」は、絶対に男体女体の2 peaksで来ると思ったが、期待外れの1 peak
蕎麦は石挽きの田舎風ながら太すぎず、ソバの香りと歯ごたえも良く後味に甘味が残り、つゆは塩分が多く感じるものの、蕎麦との相性はばっちり
蕎麦湯も、味、とろみ、香りとも文句なし
料理は満点。外で1時間待たせたので減点あり
食後は「筑波山梅まつり」開催中の、筑波山梅林へ
駐車料金500円で、入園は無料
開花状況は、紅梅:7分咲き・白梅:咲き始めといったところか
梅林全体で紅梅が2割、8割が白梅とのことで、スカスカ感は否めない
筑波山の斜面にある梅林の中は、意外と傾斜があり、登るにつれて関東平野が見えてくる
裾野だけだが、富士山が今日も見えた
心眼で、富士山見えますか?
ロウバイも残っている
ルリビタキの雄のようだ
筑波山の東、表筑波のSkyline
公園の脇にある、石稲荷(いしいなり)神社
筑波石の巨岩をご神体とする、筑波山七稲荷のひとつ、正一位稲荷大明神
地名は小字稲荷石(とうかいし)で、石稲荷(いしいなり)
食後は「筑波山梅まつり」開催中の、筑波山梅林へ
駐車料金500円で、入園は無料
開花状況は、紅梅:7分咲き・白梅:咲き始めといったところか
梅林全体で紅梅が2割、8割が白梅とのことで、スカスカ感は否めない
筑波山の斜面にある梅林の中は、意外と傾斜があり、登るにつれて関東平野が見えてくる
裾野だけだが、富士山が今日も見えた
心眼で、富士山見えますか?
ロウバイも残っている
ルリビタキの雄のようだ
筑波山の東、表筑波のSkyline
公園の脇にある、石稲荷(いしいなり)神社
筑波石の巨岩をご神体とする、筑波山七稲荷のひとつ、正一位稲荷大明神
地名は小字稲荷石(とうかいし)で、石稲荷(いしいなり)
もとは磐座信仰だろうと言われているようですが、拏吉尼天尊を祀っているようです
梅林に戻り、高度を下げます
振り返ると、男体山
マンサクという名は、他の花に先駆けて「まず咲く」ことから、あるいは花がたくさんつくので「豊年満作」から名付けられたといわれ、漢字では「満作・万作」と書く
拏吉尼天は、荼吉尼天(だきにてん)とも呼ばれ、梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳したものといわれ、白狐に乗る天女の姿で狐の精とされ、稲荷権現、飯綱権現と同一視される仏教由来の神
ご神体の岩は、丁度富士山の方向を向いている梅林に戻り、高度を下げます
振り返ると、男体山
マンサクという名は、他の花に先駆けて「まず咲く」ことから、あるいは花がたくさんつくので「豊年満作」から名付けられたといわれ、漢字では「満作・万作」と書く
次に向かったのは、茨城県桜川市真壁町椎尾の山道をかなり上ったところにある、天台宗 椎尾山(しいおさん)薬王院
標高200mの椎尾山中にあり、延歴元年(782)法相宗の僧・徳一によって開山され、延暦2年(783)最仙(さいせん)上人によって第50代桓武天皇の勅願所として天台宗に改められ、天長2年(824)天台座主第三代・慈覚大師円仁が再興、談義所(学僧の養成所)としたとされる開山が最仙上人、中興が本孝上人という伝承もあるようだ
慈覚大師円仁とかぶる略歴だが、最仙上人は782年にこの薬王院と、茨城県行方市の西蓮寺(天台宗)を開いたと伝わり、円仁の生誕(794)前となる
つまり円仁さんの大先輩ということになる
スダジイ群生地の北限に近いという椎尾山(標高256m)の地で、樹齢300 ~ 500年の巨木が10数本、直径30cmを超えるものは100本以上あるとされる
毘沙門堂は神殿の形だが、元々は天台宗所縁の日吉神社だったそうで、明治の廃仏毀釈の折、別の場所に移動させられるのを恐れ、毘沙門堂と称するようになったという
薬王院三重塔(県指定文化財)は、天文19年(1550)の大火で焼失したものを、寛文6年(1666)に来山した本孝法印(当町羽鳥山口氏の出)と、法弟尊孝法印が、40年の歳月をかけて再建し、大工棟梁桜井瀬左衛門安信の手により宝永元年(1704)に完成させた
薬王院三重塔(県指定文化財)は、天文19年(1550)の大火で焼失したものを、寛文6年(1666)に来山した本孝法印(当町羽鳥山口氏の出)と、法弟尊孝法印が、40年の歳月をかけて再建し、大工棟梁桜井瀬左衛門安信の手により宝永元年(1704)に完成させた
法隆寺五重塔によく似た端麗な姿で、塔高25m、色彩豊かな装飾が見事だ
秘仏本尊の薬師如来像は、毎年の花まつりに合わせ1週間御開帳されるというが、本堂内の写真撮影が禁止されていた
御朱印をお願いすると、手書きの御朱印のあと、仏様の前でお経を唱えて拝んでから、御朱印帳を返していただいた
社務所内の七段飾り
社務所前の池にも、おひな様飾り
本堂裏の高台の墓地
薬王院仁王堂(市指定文化財)は、本堂に遅れること8年の貞享5・元禄元年(1688)、三重塔と同じ大工棟梁桜井瀬左衛門により完成した、立派なもの
梁の上に龍が眠る
長い参道石段も見ごたえがある
仁王門の金剛力士像は、2011年から修復作業が行われ、2019年に修復が完了したが、雨漏りなどの心配があるため、阿弥陀堂の一角に移され、2020年に桜川市の指定文化財になったという
本堂内の天井には、狩野派の絵師狩野育信によって、江戸時代に描かれた『夜遊び竜』と呼ばれる巨大な竜の絵が描かれている
この竜が夜な夜な天井の絵から抜け出し、弁天池の魚を食べてしまうので、天井の四隅に釘を打ち、竜を封じ込めたという逸話が残されているという
御朱印をお願いすると、手書きの御朱印のあと、仏様の前でお経を唱えて拝んでから、御朱印帳を返していただいた
社務所内の七段飾り
社務所前の池にも、おひな様飾り
本堂裏の高台の墓地
薬王院仁王堂(市指定文化財)は、本堂に遅れること8年の貞享5・元禄元年(1688)、三重塔と同じ大工棟梁桜井瀬左衛門により完成した、立派なもの
梁の上に龍が眠る
長い参道石段も見ごたえがある
仁王門の金剛力士像は、2011年から修復作業が行われ、2019年に修復が完了したが、雨漏りなどの心配があるため、阿弥陀堂の一角に移され、2020年に桜川市の指定文化財になったという