2/20/2025

2025/2月の散歩(つくば・真壁)

2025/2/20 (Thu)
ジムのクラスが急遽キャンセルとなり、思い立って筑波山
筑波山梅林が咲き始めているので見に来たが、お昼はつくば市沼田の「そば処・日本料理 筑膳(つくぜん)」
大正2年に建てられた銀行だった古民家を、筑波山の山麓に移設し蕎麦屋を始めたという
店内はガラクタ屋にならないように、丁寧に配置された骨董品で飾られている
ところで今日は寒かった
店内には常に10人ほどしか通さず、筑波おろしの寒風吹き抜けるなか、1時間店外で待たされた
店員はきびきびと働いており、10人分の注文を受けるのが精いっぱいのようだ
が、せめて一室を待合室にあてがう等、冬場だけでも改善は可能だと思い、減点対象
「自然薯とろろご膳」の美味しいこと
自然薯のとろろと麦ごはんに加え、自然薯サラダ、自然薯のムカゴ、自然薯を練り込んだ豆腐、牛蒡、菜の花、土浦蓮根の酢漬、刺身こんにゃく、蕗の薹入り天ぷらに半蕎麦が付き、どれも薄味で大層美味しい
「筑波山そば」は、絶対に男体女体の2 peaksで来ると思ったが、期待外れの1 peak
蕎麦は石挽きの田舎風ながら太すぎず、ソバの香りと歯ごたえも良く後味に甘味が残り、つゆは塩分が多く感じるものの、蕎麦との相性はばっちり
蕎麦湯も、味、とろみ、香りとも文句なし
料理は満点。外で1時間待たせたので減点あり
食後は「筑波山梅まつり」開催中の、筑波山梅林へ
駐車料金500円で、入園は無料
開花状況は、紅梅:7分咲き・白梅:咲き始めといったところか
梅林全体で紅梅が2割、8割が白梅とのことで、スカスカ感は否めない
筑波山の斜面にある梅林の中は、意外と傾斜があり、登るにつれて関東平野が見えてくる






裾野だけだが、富士山が今日も見えた


心眼で、富士山見えますか?
ロウバイも残っている
ルリビタキの雄のようだ


筑波山の東、表筑波のSkyline

公園の脇にある、石稲荷(いしいなり)神社
筑波石の巨岩をご神体とする、筑波山七稲荷のひとつ、正一位稲荷大明神
地名は小字稲荷石(とうかいし)で、石稲荷(いしいなり)
もとは磐座信仰だろうと言われているようですが、拏吉尼天尊を祀っているようです
拏吉尼天は、荼吉尼天(だきにてん)とも呼ばれ、梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳したものといわれ、白狐に乗る天女の姿で狐の精とされ、稲荷権現、飯綱権現と同一視される仏教由来の神
ご神体の岩は、丁度富士山の方向を向いている

梅林に戻り、高度を下げます


振り返ると、男体山


マンサクという名は、他の花に先駆けて「まず咲く」ことから、あるいは花がたくさんつくので「豊年満作」から名付けられたといわれ、漢字では「満作・万作」と書く


次に向かったのは、茨城県桜川市真壁町椎尾の山道をかなり上ったところにある、天台宗 椎尾山(しいおさん)薬王院
標高200mの椎尾山中にあり、延歴元年(782)法相宗の僧・徳一によって開山され、延暦2年(783)最仙(さいせん)上人によって第50代桓武天皇の勅願所として天台宗に改められ、天長2年(824)天台座主第三代・慈覚大師円仁が再興、談義所(学僧の養成所)としたとされる
開山が最仙上人、中興が本孝上人という伝承もあるようだ
最仙上人は、常陸国関城(現在の茨城県筑西市)出身の、天台宗の開祖・伝教大師最澄の高弟で、中国で修行もした
慈覚大師円仁とかぶる略歴だが、最仙上人は782年にこの薬王院と、茨城県行方市の西蓮寺(天台宗)を開いたと伝わり、円仁の生誕(794)前となる
つまり円仁さんの大先輩ということになる
阿弥陀堂の仏様の前に飾られた、雛人形


「真壁のひなまつり」が開催中で、境内の色々な場所にひな人形が飾られている



薬王院本堂(市指定文化財)は数度の火災を経て、現在のものは延宝8年(1686)の完成

境内及び裏山斜面を覆う、スダジイ(椎)を中心とした約2.6haの自然林は 「椎尾山薬王院のスダジイ樹叢(じゅそう)」として茨城県指定天然記念物となっている
スダジイ群生地の北限に近いという椎尾山(標高256m)の地で、樹齢300 ~ 500年の巨木が10数本、直径30cmを超えるものは100本以上あるとされる
毘沙門堂は神殿の形だが、元々は天台宗所縁の日吉神社だったそうで、明治の廃仏毀釈の折、別の場所に移動させられるのを恐れ、毘沙門堂と称するようになったという
薬王院三重塔(県指定文化財)は、天文19年(1550)の大火で焼失したものを、寛文6年(1666)に来山した本孝法印(当町羽鳥山口氏の出)と、法弟尊孝法印が、40年の歳月をかけて再建し、大工棟梁桜井瀬左衛門安信の手により宝永元年(1704)に完成させた
法隆寺五重塔によく似た端麗な姿で、塔高25m、色彩豊かな装飾が見事だ
秘仏本尊の薬師如来像は、毎年の花まつりに合わせ1週間御開帳されるというが、本堂内の写真撮影が禁止されていた
本堂内の天井には、狩野派の絵師狩野育信によって、江戸時代に描かれた『夜遊び竜』と呼ばれる巨大な竜の絵が描かれている
この竜が夜な夜な天井の絵から抜け出し、弁天池の魚を食べてしまうので、天井の四隅に釘を打ち、竜を封じ込めたという逸話が残されているという




御朱印をお願いすると、手書きの御朱印のあと、仏様の前でお経を唱えて拝んでから、御朱印帳を返していただいた
社務所内の七段飾り
社務所前の池にも、おひな様飾り





本堂裏の高台の墓地

薬王院仁王堂(市指定文化財)は、本堂に遅れること8年の貞享5・元禄元年(1688)、三重塔と同じ大工棟梁桜井瀬左衛門により完成した、立派なもの
梁の上に龍が眠る
長い参道石段も見ごたえがある

仁王門の金剛力士像は、2011年から修復作業が行われ、2019年に修復が完了したが、雨漏りなどの心配があるため、阿弥陀堂の一角に移され、2020年に桜川市の指定文化財になったという
修復の過程で、鎌倉時代の13世紀の作であることが判明し、運慶・快慶で知られる慶派の仏師の制作ではないかとみられているという
筑波西山麓の山の中に、これだけ立派な寺を作るのは、さぞかし大変な事業だったであろうと、思わずにはいられない