2023/1/31
下野市小金井の多宝山 慈眼寺(じげんじ、厄除観音)
下野西国三十三ヶ所観音霊場の第23番札所としての観音様とのことです
下野三十三観音、下野西国三十三観音、下野秩父三十四観音を合わせて、下野一国百観音とも呼ばれるそう
江戸時代に建てられたという鐘楼堂も立派だ関東八十八ヵ所霊場の第20番の十一面観世音菩薩は、京都の醍醐寺より請来されたという
広い境内には、石像がいくつもあります
大観音像
日光街道沿いの駐車場内にも、いくつもの石塔が並ぶ
そして駐車場の入り口にも
慈眼寺隣の金井(かない)神社
小金井宿本陣隣りの鎮守として、江戸時代には栄えていたそう
地名や神社の名のもとの「金井」とは、黄金の湧き出づる井戸の意があり、また願いが叶うに通ずる縁起の良さがあるという
祭神は磐裂命、根裂命
金井神社から日光街道を渡ると、小さな小金井宿公園があり、その隅にある石碑
文化4年(1807)の石碑で、当地の文化活動を物語る
ここから江戸方面に街道を少し行くと、一里塚が残っている
この二つの塚の間に、旧日光街道が通っていたという
東側の塚には、エノキとクヌギ
西の塚には、サクラが育っている
一里塚から西に向かって約1.5㎞にある、八幡宮
鬱蒼とした薄暗い参道を進む
この参道は、八幡宮の裏へ続いていた
天保7年(1836)に建てられたとされる本殿(写真の拝殿の裏側)は覆屋で隠されており、市の文化財の彫刻は、見ることができない
その本殿だが、昨年末に訪れた下野市下古山の孝謙天皇神社の時に書いたが、772年に亡くなった称徳(孝謙)天皇と道鏡の間の子供「神ノ倉大権現」を祀った社殿で、都賀群山田里から富田八坂神社をへて、川中子の八幡宮にたどり着いたと伝わる本殿だ
正面の参道側の杜は、樹木の伐採や下草がかられ、少し陽が入っている
再び町中に戻り、久保公園
ここは、奈良・平安時代の幹線道路だった東山道と思われる道路跡で、北台遺跡として整備されています
東山道に立ち南西方面を望む
都(京都)から、このように繋がっていたのですね
日光街道と東山道、旧街道巡りの日となりました