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2025/12月のハイク(竪破山)作成中

2025/12/17 (Wed)

日曜日の山行き予定が、天候のため延期され、今日の午前中はお天気の予報

標高418mの一の鳥居からハイク開始
ここは茨城県の男体山と高萩市の中間、御岩神社の北で多賀山地の北は花園山、南は神峰山に連なり「花園花貫県立自然公園」に含まれる竪破(たつわれ)山にある、黒前(くろさき)神社
茨城百景の竪破山は、山全体が黒前神社だが、社殿は竪破山の山頂にある

『常陸国風土記』には、
もとは角枯山(つのかれ)と呼んだが、紀元前80年頃、蝦夷の征服に出征していた黒坂命(くろさかのみこと)がこの地で病気になって死んで以来、黒前山と呼ぶようになった
とある
江戸時代に入り、山中の岩に黄門様が名付けた岩の名前から、竪割(たつわれ)山、竪破山と呼ぶようになったという










不動石(ふどういし)
(横8m×縦3m×高さ1.5m)
盤上に不動明王の石像が祀られ、その足元をきれいな清水が流れ落ちています。この石像は、明治になってから祀られたもので、石そのものはもともと黒前神社の祭神が浜降りの時、神輿の休み場所であったといわれています。











手形石(てがたいし)
(横0.9m×縦1.4m×高さ1.5m)
石いっぱいに右手5本の指の跡が深くえぐられているように見えます。八幡太郎源義家が石を押した時についた手形と言われています。





畳石(たたみいし)
(横8m×厚さ2.46m)
畳を積み重ねたように大きな石が4段に裂けるように割れています。
八幡太郎源義家が腰をおろして休んだので「腰掛け畳石」と呼ばれたことに由来しています。後に、堅破山で修行をしていた修験僧が座禅をした石とも言われています。











仁王門(におうもん)
明治2年に建てられた明神鳥居のすぐ上に木造の門があり、門前には右大臣・左大臣の木像が配置されています。門の呼び名である仁王様は右大臣・左大臣の後方にある畳半畳ぐらいの板張りの囲いの中に収蔵され僅かに格子窓を透かして見ることができます。以前は、仏教像である仁王様が堂々と配置されていましたが、慶応4年(1868年)3月に発布された「神仏分離令」によって黒前神社として継承され、神社形体の随身門として右大臣・左大臣に置き換えられました。本来は処分されるべき石像の仁王様を隠しながらも大切に守ってきた背景には仏教霊場として佐竹時代に広く恩恵を受けた地元の強い信仰がうかがえます。現在に残す神仏混淆の珍しい門となりました。





舟石(ふないし)
(長さ4m、幅1.5m、厚さ右50cm・左90cm)
甲石の前にあり、土に半分埋まっているような舟型の石でその形が珍しいとされています。


甲石(かぶといし)
(高さ3.5m、外周12m)
元禄(1688年)以前は「堅破和光石」と呼ばれ、薬師如来が隠されている石として信仰され、正面に石をくりぬいたほこらがあり、その中に薬師如来の十二神将像(現在は6体)が祀られています。水戸光圀翁が仏教色の強い「堅破和光石」を「甲石」に改名したと言われています。
● 堅破山黒前神社由来
 標高六五八米の堅破山は多賀久慈両郡の間に聳(そび)え、往昔はつのがれ山といヽ巨石信仰の霊場であった。
 山上には常陸風土記にいう黒坂命を祀る黒前神社があり山中には七奇石三瀑の名勝がある。黒坂命の事蹟については東夷征討の武将として奥羽遠征の帰路この山にて客死しよって山上に命の霊を祀り毎年旧四月八日例祭を行い七年毎に「磯神御幸大祭」が行われる。七奇石は「烏帽子石」「畳石」「甲石」「舟石」「胎内石」「神楽石」「太刀割石」で太刀割石は一名将軍石ともいわれ昔八幡太郎義家が神授の刀にて巨石を割ったという伝説から山名にしたという。三瀑は「不動滝」(奈々久良滝)「剣滝」「龍馬滝」である。頂上からの遠望東に太平洋、南、神峰、高鈴、真弓、筑波、加波の諸山。西、金砂、八溝、日光、那須連峰等を望むことができる。
  昭和六十三年四月吉日 黒前神社奉賛会












胎内石(たいないいし)
黒坂命が陸奥(蝦夷)遠征の帰路、山の麓で疲れていた体を休めていた時、一人の童子が馬を引いて通りかかり、あまりに疲労した黒坂命を見てその馬の背に乗せ、急坂の山肌を一気に駆け上がり、この岩窟に休ませたことから「胎内」という名がついたといわれています。
















太刀割石
(縦直径7m×横直径6m×高さ2.5m)
永保3年(1083年)、八幡太郎源義家が奥州征伐の折、戦勝祈願のために堅破山に立ち寄り巨石の前で陣を引いて野宿していると、夢の中に黒坂命が現れ大太刀を差し出しました。目覚めた義家が自分の前に置かれた大太刀をひとふりすると巨石がまっぷたつに割れたと言われています。元禄3年に隠居した水戸光圀翁が元禄6年(1693年)にこの山に登ったおり、「最も奇なり」と感銘し石の名をつけたと言われています。以前は「磐屋(いわくら)」と言って、神の宿る石として信仰され、石の回りにしめ縄を張りめぐらし、みだりに石の上に上ることはできませんでした。


















神楽石(かぐらいし)
元の名を「まいまい石」と言い、堅破山の神霊が浜降りの歳、折橋の氏子の人たちにこの場所で神輿を渡し、一休みのためにお神楽を奏し、神楽舞をしたとされ、石の名になりました。