7/11/2024

群馬旅行(赤城山)

2024/7/11 (Thu)
ビジネスホテルの朝食は、これで良し
群馬旅行3日間で、今日が一番の降水確率だが、とりあえずは赤城山を目指す
ひときわ目を引く朱色の「赤城山大鳥居」は、高さ21.3m、柱の直径は1.7mあり、昭和40年の県道拡張に伴い、古くからあった木造の朱塗りの鳥居にかわり建てられたもの

大鳥居近くから見える榛名山
前橋市街地
群馬県道4号線を登ると、赤城山総合観光案内所がある
ここで雨が降り出し、とりあえず赤城大沼の南を抜けて赤城公園ビジターセンターへ
大鳥居に掛けられている額は、平成3年の補修工事の際に架け替えられたもので、ここに改修前の額が飾られている
額の文字は、江戸時代の書家 角田 無幻の書を元にしているそうだ
オオハンゴンソウだろうとよく見ていなかったが、これは、ハチミツソウ(蜂蜜草、ハネミギク(羽実菊)、Verbesina alternifolia、キク科ハチミツソウ属の多年草)
雨はいよいよ本降りとなり、山頂エリアのハイクは中止して、大沼湖畔小鳥ヶ島の赤城神社へ向かうが、車から出られぬほどの大降りで、山頂エリア全体を次回の訪問に繰り越し、山を下りることに
向かう先は赤城神社三社のひとつで、赤城山の峰の一つである荒山山麓に鎮座する赤城神社(三夜沢、みよさわ)だが、赤城温泉エリアを抜けての林道は、凄まじいものだった
赤城神社三社とは、里宮として前橋市の市中、二之宮町にある二宮赤城神社、山宮とされる三夜沢赤城神社、そして本宮とされる山上の大洞赤城神社をいうようだ
しかしながらこの三社間に連携は見られず、HPも別々、お互いを述べる言葉もないのは、これまでの歴史がそうさせているようですが、要は、延喜式神名帳にある名神大社 赤城神社とはどれを指すかをめぐっての論争のようだ
2021年に境内に自生する御神木の杉の木(樹齢130年)を使い、建て替えられたという白木の大鳥居は見事だ
この由緒書きの内容も、どの赤城神社のことか、明確ではないようだ
とはいえ拝殿へ続く参道は、かなり厳かだ
天気が良ければ、鳥居に向かって振り返ると、正面に富士山が見えるという
かなり大きな拝殿に、8本の鰹木と、石段左右に菊の紋章は、何を意味するのか?

本殿は拝殿から離れ、中門と塀で囲まれた中にある
砲弾の石碑だという
祭神は豊城入彦命(トヨキイリヒコノミコト)と大己貴命(オオナムチノミコト)とどちらも男性なのだが、鰹木は女性神を表す偶数の8本
藤原秀郷(俵藤太)が平将門討伐のため上野国府に向かう途中、献木として植えたと伝えられる俵杉は、県の天然記念物
近隣の社寺を統合した際、と思われる祠が並ぶ

5月5日には市の重要無形民俗文化財に指定されている太々神楽が奉納される神楽殿
出生が上野国勢多郡桂萱郷上泉村(現・群馬県前橋市上泉町内)とされる、戦国時代の兵法家上泉 伊勢守 信綱(かみいずみ いせのかみ のぶつな)は、剣聖と讃えられる剣豪の一人で、新陰流の祖

三夜沢赤城神社へ続く参道には、慶長17年(1612)大前田村(現 前橋市大前田町)の彦兵衛の寄進により、約1200本の松が植えられたといい、いずれも樹齢400年に及ぶ
松とともに約3万株のヤマツツジも植えられており、春には名所として知られる
麓まで降りた先に見える榛名山
近隣には道の駅が乱立しており、「ぐりーんふらわー牧場」「ふじみ」「まえばし赤城」とはしごして、1年前にオープンした「まえばし赤城」で昼食
群馬のうどんは美味いが、お米はいまいち、野菜も栃木と大差なく、フルーツもさえない、が今回の旅行の食事総論
次は赤城神社三社めぐりと赤城山ハイキング、妙義神社と妙義山ハイクを考えよう

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