7/09/2024

群馬旅行(伊香保温泉)

2024/7/09-2 (Tue)
水沢観音から1kmほど北上すると、渋川市総合公園があり、その展望台から赤城山が良く見える


これが榛名山の寄生火山のひとつ水沢山
その先に伊香保温泉があり、温泉街を散策
伊香保のシンボル、石段街入り口

オカトラノオ

天正4年(1576)に造られた石段で、日本で初めて温泉都市計画に基づいて整備された温泉街と云われている
山形県山寺、香川県金毘羅と並び、日本三大名段の一つなんだって
2010年の市町村合併を機に改修、延伸されて365段となったんだって
わが県の那須塩原温泉街や、鬼怒川温泉街よりはるかに人出が多い
バブル期に建てられた大型施設の、廃墟の姿も見られない

このまま生き残ってほしいなあ

365段の上にある伊香保(伊加保)神社は、天長2年(825)の創建だが、旧本社とされる三宮神社は天平勝宝2年(750)創祀らしい
里宮の三宮神社のころは、榛名山も含むこの地域の旧称「いかほ」の山々を山岳信仰の場とし、「いかつほの神」一座が祭神であったとされる
延喜式では「群馬郡 井加保神社 名神大」と記載されており、9C前半に名神大社、13Cに正一位に列した
延喜式記載の神社には国司が派遣され、主祭神は大己貴命と少彦名命の二柱となり、温泉と医療の神を祭る
その後総社一宮制となり、上野国では一宮貫前(ぬきさき)神社、二宮赤城神社、三宮伊香保神社であった
平安以降に伊香保温泉街へ移転し、温の守護神となり、「温泉神社」と称したが、明治に入り社号を「伊香保神社」に戻し、県社兼郷社となる


伊香保神社からさらに奥へ向かう
八重のドクダミの群落を見つけた
ユキノシタも、まだ元気に石壁にへばりついている
ダイコンソウ(大根草、Geum japonicum、バラ科ダイコンソウ属の多年草)
ヤマブキショウマ(山吹升麻)
秋の紅葉名所、河鹿橋(かじかばし)

呑湯という土地内の一ヶ所を指示する道標は全国でも珍しく交通史、風俗史として貴重なものだという
下を流れる湯沢川の川底は、鉄分がしみ込んだ真っ茶色
伊香保温泉の源泉のひとつ「黄金の湯」を飲泉できるのだが、日本一まずいと言われている
飲泉所の成分分析表も明示されており、鉄とマグネシウムの入った水が美味しいわけない
痛風、慢性アレルギー性疾患、肥満症などに効能があるとされるが、一口飲んで吐き出したくなった
伊香保温泉第二号源泉噴出口は、伊香保温泉の黄金(こがね)の湯の源
湧出量毎分1400ℓ以上という、大量の源泉が勢いよく噴出する湧出口を、ドーム型のガラス越しに眺められる
湧き出したばかりの湯は酸化していないため無色透明だが、迫力がある



源泉噴出口の隣にある露天風呂
ここに入らない手はないでしょう
手ぶらで来ても大丈夫
喜連川と同じく、露天風呂があるだけの施設だが、源泉投入浴槽(左)と、そこからあふれたぬる湯の浴槽(右)
女風呂も同じ構成
女性の更衣場は、浴槽と暖簾で仕切られているが、男性の方は仕切り無しの丸見え

泉質は、カルシウムとナトリウムとマグネシウムが多いが、含鉄泉と言える量の鉄は含まず、硫酸塩-炭酸水素塩-塩化物泉で、低張性中性温泉ということになる



露天風呂からの帰り道、伊香保神社下の薬師堂
石段をかなり下った関所跡
大きな葉っぱのタマアジサイは、まだ蕾
ノリウツギもこれから開花
榛名山二ッ岳の火山活動で湧出した伊香保温泉は、第11代垂仁天皇(3C後半から4C前半)の時代に発見されたといわれ、明治43年(1910)から昭和31年(1956)まで、渋川と伊香保の間には、東武鉄道運営の路面電車が走っていたそうだ
東武鉄道は日光方面への開拓に意欲的だったが、伊香保軌道線は放置され、新車の投入は一切無く、創業期からの木造車の更新改造で当座をしのぎ、戦後は路線バスの普及により路面電車は廃線となったようだ


今日の宿は、伊香保温泉のもう一つのお湯、白銀(しろがね)の湯を引く家族経営の旅館
24時間入浴可能がうれしい内湯
白銀の湯は、平成に湧出が確認されたメタケイ酸を多く含む単純泉
実は温泉泉温は15.5℃の冷鉱泉を加温していますし、メタケイ酸が検出されなければ、温泉とは言えない湧き水です
この宿の夕食は、年寄りにありがたい「品数少な目」が選べます
それでもこれだけ並ぶんですけどね

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