3/31/2025

2025/3月のハイク(加波山)

2025/3/31 (Mon)

筑波山の北、加波(かば)山へ向かう
第12代景行天皇41年(111)、日本武尊が東夷を平定するに際して加波山に登拝、神託により社殿を建てたのが、加波山信仰の創祀とされるが、大同年間(806~810)には仏教僧が入山して両部神道(神仏習合)の時代に入り、第100代後小松天皇のときに「中宮⇒文殊院」、「本宮⇒正幢院」、「親宮⇒円鏡寺」の3寺体制となった
明治時代に入り、神仏判然令により、それぞれ神仏分離して3神社となった(寺院は廃寺)
「中宮⇒文殊院⇒加波山神社」、「本宮⇒正幢院⇒三枝祇神社本宮」、「親宮⇒円鏡寺⇒三枝祇神社親宮」となった
ここまでの流れは、「熊野三山」と同じだと感じるが、その後白河院をはじめ歴代の上皇が熊野詣をして反映したのに比べ、加波山信仰はヒットせずに廃れてゆき、別の流れになってしまったのだと推測できる
今回、茨城県桜川市真壁町側から加波山に登り、麓と山頂にある多くの神殿に出会い、状況を把握するため、Netでわかる限りでの調査を行った
その結果、呼び名を統一しないと混乱するため、このブログだけの呼び名として、中宮を意味する「加波山神社」、加波山三枝祗神社本宮を意味する「本宮神社」、三枝祇神社親宮を意味する「親宮神社」これらをまとめて「加波三山」と呼ばせていただく
それぞれが別の宗教法人であり、別の神社であるとして、読み進めていただきたい

上記の状況を知らずに、最初に訪れたのは「加波山神社」の真壁拝殿
「本宮神社」の遙拝所が、看板右手の裾野方面にあったが、事情を理解しておらず参拝はしてこなかった
ちなみに「親宮神社」の里宮は大正時代に廃され、「本宮神社」の里宮に合併された
「加波三山」の本殿はいずれも加波山の山頂にあり、参拝しやすいように麓に拝殿が作られた
「加波山神社」の拝殿は、この真壁側と、東の石岡市の八郷拝殿がある
平成16年(2004)に西麓の真壁町(現・桜川市)に「箱根大天狗山神社」という新宗教団体の資金提供で、新たな里宮(真壁拝殿)を建立した
山頂の本殿を、こちらで拝むわけだが、山頂の方向を向いていないのには、理由があるのか?
きらびやかな拝殿だが、惹きつけるものは無い
明治6年(1873)に郷社列格、社名を「加波山神社」とした

山頂の奥宮拝殿の向拝(ごはい)の龍で、宝暦2年(1752)制作だが、平成6年の建て替えにより、こちらに置かれている


「加波山神社」の主祭神は、国常立尊(クニノトコタチ、神世七代/天神七代の初代)、伊邪那岐尊(イザナギ)、伊邪那美尊(イザナミ)である
「加波山神社」の真壁拝殿の隣には、末社の「加波山普明神社」の拝殿があり、本殿は加波山の東中腹にあり、祭神は明治時代に活躍し、「日本最後の仙人」と称される国安普明だという
加波三山の事情を知らずのことだが、加波山への登山駐車場として「加波山神社」の駐車場を使いたくなかったので、トイレもあるという長岡グラウンドの駐車場に車を停る
「加波山神社」が好みではなかったものの、案内所にあったMapは使えそうなので、持ち歩くことにした
こちらの地図は、ちょっと見づらい
いざ歩き始めると、キブシの花穂が、あちらこちらに垂れ下がっている

「加波根不動明王」が加波山の二合目にあるが、鳥居?
昔、加波山中腹にあった石像の不動明王像が大水で流出し、それが埋まっていた場所が現在の場所と言われ、大願成就の神様として広く信仰を集めている。
社殿は、1990年に火事で焼失し、翌1991年に「箱根大天狗神社」の協力で再建された。
ということは「加波山神社」の末社かな?
「寝不動尊」の額がかかるが、「根」なのか「寝」なのか?鈴もあるし、神社なんだよね?
「加波根不動明王」から登山道へ入り、モミジイチゴと思われる木も、あちらこちらに
ウグイスカグラ

加波山三合目には、桜観音が立つ
モミジイチゴの蕾がかわいい

ネコヤナギかな?
イチリンソウも咲いている
アオキの雄株の花芽
桜観音からコンクリート道路を歩くと、採石場のあたりで、真壁の町が見渡せる
ニワトコ(接骨木、庭常、セッコツボク、Sambucus racemosa subsp. sieboldiana、ガマズミ科ニワトコ属の落葉低木または小高木)

筑波山が半分見えた。右の小山は坊主山(709m)か?
四合目と五合目の間は、石切り場となっている
帰路は石切り場の向こうの路を通る予定
ヤシャブシ(夜叉五倍子、Alnus firma、カバノキ科ハンノキ属の落葉高木、日本固有種)で、花粉が花粉症などのアレルゲンとなる
ようやく五合目に到着し、ここでコンクリ道路から別れ、山道となる
イチリンソウの群れ


大きな岩が滑落している

葉の形から、エイザンスミレと思われる



七合目の山椒魚谷
徐々に大きな石が目立ちます

八合目を過ぎたところで林道と交差し、ベンチがあったので、ここでお弁当をいただく
歩き出しは陽射しもあったが、その後雲が出て、ベンチに着いたとき再び陽が差したので休憩場所としたが、おにぎりを食べ始めたころに、何やら白いふわふわしたものが落ちてきた
九合目を過ぎて、石岡からの登山道、さらには雨引山から続く関東ふれあいの道とも合流
加波山山頂駐車場わきの髙天原社は、「加波山神社」の末社のようだ
鳥居をくぐり、石段を登る
雪はまだ、ちらつく程度

最後に竹竿の鳥居をくぐる
左右に二つの神殿がある
左の神殿が「加波山神社」拝殿
右側が「親宮神社」拝殿


二つの拝殿の間の石段を登り、関東ふれあいの道に沿い、南の加波山山頂方面へ進むとすぐに「加波山神社」祖霊社が左手にある
拝殿前の枝垂桜は、まだ咲いていない
大きな石の路を登る
北側には燕山(701m)

大岩が次々と現れる
しばらく行くと「親宮神社」本殿が現れる
祭神は、伊弉冊大神(イザナギ)、速玉男大神(熊野三所権現)、事解男大神(熊野十二所権現)、建許呂神(茨城国造の祖)
次のたばこ神社は「加波山神社」の摂社
東側の石岡市旧八郷町地区は、葉たばこの産地であり、たばこ産業発展を祈ったのであろう
草野姫命(カヤノヒメ、オオヤマツミの妻)を主祭神に、八雷神(黄泉国で腐敗したイザナミの体に成っていた八種の雷神)と大己貴命(オオクニヌシ)を配祀する
ここで先ほどランチ休憩をしていた時に、下から登ってきた夫婦とすれ違う
聞けば山形から朝4時に出てきたという
「山形の山はまだ雪で歩けないから、足慣らしに来た」という
「福島もまだ駄目だから、茨城まで来た」流石である
あそこが、加波山山頂だろう
岩の隙間をすり抜けて登る
「加波山神社」本殿
祭神は、国常立尊(クニノトコタチ、神世七代/天神七代の初代)、伊邪那岐尊(イザナギ)、伊邪那美尊(イザナミ)
雪も舞っており、遠望は望めないが、西の日光~高天原方面に眺望が利く

「加波山神社」本殿背面に岩があるが、これがご神体か?

ここが山頂かと思いきや、さらに南に登りがある
加波三山最後の「本宮神社」正一位本宮本殿が、山頂と思しき場所に建つ
祭神は、伊弉冊命(イザナギ)、速玉男命(親宮に同じ)、事解男命(親宮に同じ)、配神は、雷神として大雷神、山雷神、野雷神、火雷神、黒雷神、稚雷神、裂雷神、土雷神の8柱を祀る
「本宮神社」本殿正面の大岩
人が立つと、その大きさがわかる
山名板や三角点は発見できずだったが、とりあえず標高709mの加波山山頂に立った
関東百名山第49座、日本百低山にも選ばれる
さらに小高い場所に、大岩がゴロゴロ
この岩の頭が、おそらく最高地点だが、寒いので先を急ぐ



下り坂になり、さらに南に、廃墟のようなプレハブ(社務所だそうです。失礼)が2棟あり、その裏に「本宮神社」拝殿が、見放されたように立つ
「本宮神社」拝殿の裏にも大岩が迫る

このまま南へ進むと帰路が遠くなるので、Uターンして長岡方面へ下山する

と言いつつ、大岩の列柱が現れた

何とも、おどろおどろしい場所だ
これが「本宮神社」鳥居と思われる
山中には、筑波山同様に、多くの巨木がひっそりと暮らしている
下山道は日陰になるのか、春の花はほとんど見つからなかった
落ち葉に覆われた路を、ひたすらに降りる
このあたりが、登りに見た採石場の上か?
三合目にある「本宮神社」一の鳥居で、ようやく登ってきた道と合流
三合目より下は、里山の感じ
桜満開の木もある
ヒメツルニチニチソウ
二合目を過ぎると、裏筑波が良く見える

急坂は無いものの、ひたすら登り、ひたすら下るのも、結構疲れた

本日であった動物;
人間4人、猫2匹
本日Listに加えた植物;
ニワトコ、ヤシャブシ
加波三山が、加波山頂で勢力争いをしているようで、興ざめの部分がある
熊野三山や、出羽三山のように、別の祭祀場所であれば共存できたかもしれないが、一つの山の山頂に3つの本殿と、それぞれの拝殿を祀っては、氏子も困惑するだろう
単なるハイカーは、困惑を通り越して、いったいどうなっていることやら、困惑⇒混乱⇒興味喪失となってしまう
一部、新興宗教の金の力で、煌びやかになっていることも、幻滅要因だ
加波山三枝祗神社本宮・親宮の遙拝所(里宮)を訪問しなかったのは、取りこぼした感がある
なんだかなあ、という気になってしまった、加波山登頂記でした

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