栃木市柏倉町の琴平(ことひら)神社は二つあり、柏倉温泉太子館のそばと、ここから登る山の頂上だ
歴史を感じる石段から始まるが、上の鳥居までですでに百と32段ある鳥居の先は、とんでもなくえぐられた、枯葉に覆われた空堀のような道を登る
稜線なのだが、これが表参道
どこまでも登る
地面が土から石に変わっても、登りは続く
「この先 急な坂 ありません」のやさしい看板だが、標高で見るとまだ半分しか登っていない
今までほどの急坂ではないが、しっかり坂道を登り「神社まで あと10分」
しかしここからは、スイッチバックのジグザグ登り
ようやく神社下と思われる、最後の135段石段
これがまた、45度だし、長いし
最後の石段はロープで塞がれていたので引き返し、迂回路で登る
石段の上からは、いつもの加波山、筑波山コンビ
安永元年(1772)全国の金比羅神社・琴平神社の総本宮である、讃岐の金刀比羅宮(象頭山金比羅大権現)より神璽を迎え祀った琴平神社が、鞍掛山(琴平山)山頂(標高340m)広場に鎮座する
ようやく神社下と思われる、最後の135段石段
これがまた、45度だし、長いし
最後の石段はロープで塞がれていたので引き返し、迂回路で登る
石段の上からは、いつもの加波山、筑波山コンビ
安永元年(1772)全国の金比羅神社・琴平神社の総本宮である、讃岐の金刀比羅宮(象頭山金比羅大権現)より神璽を迎え祀った琴平神社が、鞍掛山(琴平山)山頂(標高340m)広場に鎮座する
石段の上部には、なんと写真のような三階建の大門(旭額殿)があったという!
大鳥居の土台の大きな石が残っていると思ったが、こんな額殿の礎石だったんだ!!
明治11年完成というが、この急な参道の上に、これだけのものを建てたとは、昔の人は強すぎる!!!参道右手に女性が腰かけており、その後ろにある円柱は天水桶(水桶)ですが、鉄製だったため、戦時に国へ供出させられたところ、昭和20年(1945)に大火事が起こり、立派な額殿と周囲の松、社務所が全焼したという祭神が軻遇突智命だけあり、火事には強かったのか
2025年初の姿
神社の由緒だが、関口一郎左衛門が中心となり、伊勢大廟を経て讃洲象頭山金比羅(ことひら)本宮を参拝し、神璽を乞い請て1773年に帰村した
神璽をあらためると2枚あり、相談の結果1枚は邸内の祠に、もう1枚は鞍掛山に奉斎することにした
なるほど、冒頭に記したもう一つの琴平神社が、関口一郎左衛門の家であり、今の宮司の家ということか
後の天保6年(1835)鞍掛山金毘羅宮と称す
明治になり、大きく栄えた様子を描く「琴平神社細之圖 (版画)」
明治初期の琴平神社の全景が描かれた「下野國 金刀比羅山神社全図」最盛期には、神官11名、巫女16名が常在し、茶屋も62軒、芸子多数住み込み、子供たちのための寺子屋もあったという時代を描いた「野州柏倉鞍掛山 琴平神社境内之圖」
第75代天皇の崇徳天皇(顕仁)は、保元の乱で異母弟の後白河天皇に敗れ、讃岐に配流後、讃岐院とも呼ばれたが、讃岐国で崩御した。崩御後に後白河や忠通に近い人々が相次いで死去したことから、崇徳と藤原頼長の怨霊ではないかと言われ、日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳天皇)の一人とされるが、温厚な仏教徒だったようだ
崇徳の「崇(すう)」は、”たっとい・とうとい・あがめる・うやまう”という意味だが、”山”冠が”出”に変わると「祟(すい)」で、”たたる”というのもおもしろい
讃岐国にて崩御された翌年の永万元年(1165)、金毘羅大権現は象頭山(琴平山)に神霊を迎えて、御本社相殿に「崇徳天皇」として奉斎した
また大物主神は、「神代の昔、讃洲琴平附近は海岸で、良い港であつた。それ故、大物主大神(大國主神)が國土御經營に當り、此の良き地勢を利用せられ、山上に行宮を造らせ給ひ、之を策源の中心として、表日本を御經營遊ばされたのである。其行宮の蹟に神靈を鎭祭し奉つたのが、即ち金刀比羅宮である」と伝わる海の神で、大山祇神は山の神だ
海なし県の下野国に、海の神様金毘羅神社があるということから、麓の巴波川、秋山川、渡良瀬川の船頭や船主が、こぞってここにお参りに来るようになったというが、山道脇には多くの奉納石橙などの残骸が横たわっている
こうしてみると、鞍掛山の頂上は、岩山であることがわかる
こうしてみると、鞍掛山の頂上は、岩山であることがわかる
古代より、修験者の行場だったようで、表参道ほどではないにしても、こちらも楽な参道とは言えない
サザンカの花
岩山を過ぎると、ゆるい尾根道をくだる
尾根上を少し登り返した開けた場所に、草之庵という休憩所があり、そこから北の視界が開け、正面には赤城山、
やや西に浅間の雪山が見える
ミツマタの蕾が膨らんでいた
一気に県道まで下ると、ここが裏参道の入り口
県道を横切りそのまま長坂山へ向かう
途中、倒木でコースが迂回したり、
背丈以上の笹道を抜けたりして、
電波塔と三角点のある頂に到着
長坂山(389.2m)到着です
男体、大真名子などの日光連山から、高原山も見えました
県道まで戻り、佐野市側が災害のため通行止めのため、車の来ない県道210号線をてくてく下り、もとの表参道入口まで戻りました
今日出逢った動物:
岩山を過ぎると、ゆるい尾根道をくだる
尾根上を少し登り返した開けた場所に、草之庵という休憩所があり、そこから北の視界が開け、正面には赤城山、
やや西に浅間の雪山が見える
ミツマタの蕾が膨らんでいた
一気に県道まで下ると、ここが裏参道の入り口
県道を横切りそのまま長坂山へ向かう
途中、倒木でコースが迂回したり、
背丈以上の笹道を抜けたりして、
電波塔と三角点のある頂に到着
長坂山(389.2m)到着です
男体、大真名子などの日光連山から、高原山も見えました
県道まで戻り、佐野市側が災害のため通行止めのため、車の来ない県道210号線をてくてく下り、もとの表参道入口まで戻りました