12/02/2025

2025年のBlog

2025/12月

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2025/12月の里山

2025/12/02 (Tue)

11月のチェーンソー講習会でぶっ倒したままの木の処理で汗を流す
ブタと鶏のもつ入り里芋汁をいただく

2025/12/09 (Tue)

先週の倒木処理作業継続(予定)


11/30/2025

2025/11月のハイク(西金砂山)

2025/11/30 (Sun)

11月の茨城めぐりも、第6回目
1: 奥久慈男体山、袋田の滝
今日は、茨城県常陸太田市、龍神峡の南にある山岳信仰の聖地とされる常陸五山(他に東金砂山、真弓山、竪破山、花園山)のひとつ、西金砂山(にしかなさやま)
天下野(けがの)公民館の「常陸国ロングトレイル」用の駐車スペースに車を停めたが、ここにはトイレが無いので、2km先の龍神峡の駐車場で小用を済ます
今日向かう峰
公民館からしばらくは、住民の生活道路を歩く

ビワ(枇杷、Rhaphiolepis bibas; シノニム: Eriobotrya japonica、バラ科の常緑高木)の花期は晩秋から冬(11 - 2月)で、甘い芳香がある地味な白い5弁の花を群がりつける
花径は1 cmほどで、クリーム色を帯びた白い花弁は、茶色の短い軟毛が密に生えた萼片に包まれていて、開花のときは花弁を外側に出す
長期の花期に多量の花密を蓄え、甘い芳香を放って昆虫または小鳥が来るのを待ち、花粉の媒介が行なわれるという
西金砂山の山頂には、茨城百景のひとつ、西金砂神社があり、道標を右折すると祭禮道という登山道が始まる
登山道の入り口は、墓参道でもある
東には、東金砂山があり、登山候補の山だ


尾根道に出て、衣服を一枚脱いだ

片流れの危険地帯
巨大な岩が出てきた
ハダカホオズキ (裸酸漿、竜珠、Tubocapsicum anomalum、ナス科ハダカホオズキ属の草本)
花期は8-9月で、白から淡黄色の花弁の先端は5裂し、その裂片は反り返るという
正面の岩山を右から巻いて登る、通称「歌仙坂」
暗い林道から見える、日差しを浴びた紅葉がきれいだ

再び尾根道を進む


筑波山で見た、ノササゲ(キツネササゲ)
葉の基部が茎を抱かず、翼のある短い葉柄をもつのは、アキノキリンソウ




ウリハダカエデかな?
1時間半ほど歩き、天下野口鳥居に到着
ここで、車道と合流し、神社までは200m

「まつり山を下る」と彫られた石の彫刻がありますが、何のことだかさっぱり
後になり、意味が分かりましたが、後程
蓬莱山で見た、イイギリの実でしょう
神社の駐車場がすぐそこ

西金砂(にしかなさ)神社は、延暦25年(806)天台沙門宝珠(ほうじゅ、那須郡那珂川町旧馬頭町出身)上人により、近江国比叡山より日枝権現を勧請したのが創建とされる
言い伝えでは、金砂の神が鮑の船に乗って、水木浜に着いたといふが、似た話で「大洗磯崎神社」の神磯に、御祭神の大己貴命と少彦名命が、ガガイモという芋の皮の船に乗り御降臨になったのが斉衡3年(856)とすると、金砂の神の方が50年早いことになる
日枝権現は、神仏習合の信仰において、大山咋神(オホヤマクヒ、トシガミの子およびスサノオの孫)で、山王信仰と天台宗が融合したものといわれるが、西金砂神社の祭神にオホヤマクヒは入っていない
後に慈覚大師により中興され、古くは金砂大権現と呼ばれた天台宗の山岳寺院もあった
仏教色の強い神社で、境内には比叡山延暦寺を模した伽藍が造営され、西金砂山の麓にある諸沢村堂平には千手観音堂、赤土村太平山には鐘楼と経堂、中染村羅漢沢には十六羅漢堂があったといふ
西側は断崖絶壁の天然要塞のため、治承4年(1180)佐竹秀義によって築かれた城郭が西金砂山山頂にあったという
鳥居の向にある案内板のある所が館跡とされるが、遺構は残っていない
二之鳥居の脇にあるサワラとイチョウの御神木は、茨城県の天然記念物で県内最大級の、推定樹齢750年
明治6年に村社、大正12年に郷社、さらに昭和になって県社に昇格したという

神社までは45度の壁を登る
750歳のイチョウは、まだ元気だ
長い石段の途中に、最初の境内社「駒形神社」
ここから見下ろす駐車場側のモミジ

石段を登った場所にこんもりとした山があるが、初期のご神体か古墳か?

さらに少し上に拝殿があり、木造平屋建て、撞木造、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造板張り
縁の下に、多くの木彫りの狛犬と獅子が並べてある
山王信仰では神の遣いといわれるサルだが、日光東照宮の三猿の形で、安置されている
西金砂神社の祭神は、大己貴大神(オオクニヌシ、国津神の主宰神)、少彦名大神(スクナビコナ、天地開闢の別天津神造化三神カミムスビの子)、国常立大神(クニノトコタチ、神世七代/天神七代の初代)だが、本殿は山頂にあるという
神道を崇めた水戸光圀公は、寛文6年(1666)古仏像をすべて廃し、山王(日枝)権現と刻んだ神鏡一面を鋳造し、幣帛を加えてこれを神璽とし、ガラスの酒瓶一対を奉納して神前の祭器としたといふ
山頂の本殿までは、本格的な登山道となる
途中にもいくつもの境内社
最後は45度の石段

ようやく本殿が現れる
文化元年(1804)に再建された本殿は、一間社入母屋造、銅板葺き、外壁は真壁造板張り、正面には軒唐破風の向拝、細部には精巧な彫刻が施されている

ここが西金砂山山頂(標高418m)で、金砂山城の城跡

治承4年(1180)源頼朝が伊豆に兵を挙げると常陸国内の豪族は頼朝に応じたが、平氏にしたがって京にいた佐竹氏は頼朝の招きに応じなかった
富士川の合戦で平氏を敗走させた頼朝は常陸国府に向かい、佐竹忠義を殺害したが、忠義の弟の子供佐竹秀義は太田城を捨てて金砂山城を築城し籠城したが、頼朝軍は佐竹義季を内通させることに成功し、背後の間道から軍勢を送り込みこれを攻め落としたという
月居山の山頂にあった月居城同様に、関ヶ原の戦いで態度をはっきり示さなかった佐竹氏は、慶長7年(1602)秋田に移封され、その際西金砂神社を遷宮し、秋田市内に金砂神社として鎮座させた
断崖の上からの西側景色は、素晴らしい

富士山も見えるはずだったが、気温が高いため遠方は霞んでしまっている
手前の山肌の紅葉も、今年はずいぶん堪能できた
水木浜から来た「金砂の神」が日枝権現なのか、オオクニヌシとスクナビコナなのか?
21の境内社は、白山神社、熊野神社、八幡神社、神明社、春日神社、諏訪神社、鹿島神社、稲荷神社、大杉神社、素鵞神社、鷺森神社、雷神社、駒形神社、厳島神社、山野神社、天満神社、西宮神社、竈神社、松尾神社、足尾神社、竜田神社


日本最大級の磯出の祭事「金砂神社磯出大祭礼(かなさじんじゃいそでたいさいれい)」は、渡御行列の発着地となる西金砂神社と東金砂神社から、神輿を担いで日立市水木浜までの約75kmを、延べ10日で往復する、72年に1度(未年)の大祭礼で、「二度見る者は稀である」と言われるが、御神木の老杉、大イチョウ、大サワラは、10回は見ているかな?
仁寿元年(851)に第1回大祭礼が開催され、前回は530人の大行列で2003年に第17回、次回は2075年なので、多分見れないわな
水木浜への渡御は「金砂の神は是浜磯大しまと云所より出現し給ふとも申伝ふ」という故事にもとづくという
拾った動画は46分あるので、お暇なときにどうぞ
「海浜の磯」に示現する神の話は、大洗磯前・酒列磯前神社と同じで、祭神も同じ神々だ
であるならば、磯出大祭礼の神輿に乗る神は磯前と同じ、オオクニヌシ、スクナビコナ、クニノトコタチだろう
先ほどの道路沿いの石彫物「まつり山を下る」は、まさにこの大祭礼で、西金砂神社から山を下る大行列を表していたのだ!
ところで磯出大祭礼で水木浜へ参る神々は、何をしに水木浜へ行くのだあろう?
またすぐに帰路の神輿で戻ってくるのだろうか、72年後の次の神輿に乗って戻ってくるのだろうか?
さて山歩きを続けるとしよう
西金砂山の西面は、確かに断崖絶壁で、奥久慈男体山のようだ
西金砂山から北に尾根道を進む
しばし進むと北の諸沢口鳥居があり、そこで龍神峡へと向かう「常陸国ロングトレイル」と別れ、東へ
標高410mのピークを過ぎ、急な下り坂が続く

降りたら登り、標高418mのピークのベンチでお昼休憩
クマの落とし物ではなさそうだ
安龍ヶ滝まで、落ち葉の急坂を一気に滑り降りる
安龍ヶ滝上流の沢に出たが、水は流れていない
滝上からのぞき込むが、水が無ければただの崖
安龍ヶ滝の正面に回り込む道があった

水が無ければやはりただの崖

そしてこの道は行き止まりで、また坂を登り直す

この先は西金砂神社まで、逆川に沿って登ってゆく

西金砂神社入り口まで戻ってきたのは、御朱印をいただくため
ここからは往路と同じルート、磯出大祭礼の山下りの道を引き返す
茎がたいそう長く、先の方で数回の枝分かれをして茎上部に残る、黄色い筒状花(管状花)と周辺の白い舌状花からして、ヒメジョオンであろう


麓まで降りてきて、農家の庭のイイギリ
今日も無事駐車場に到着


常陸国ロングトレイル・中央部エリア・C04マップより



本日であった動物:
ハイクコースではすれ違い1人、410m三角点で4人だけ